軽井沢高校 校長日記 『つれづれ軽井沢だより~乞う「ちょうどええ」』

学校の様子を校長の視点から伝えたいと思い、校長日記を書くことにしました。授業日毎日更新を目指します。ご愛読ください。

 6月30日(水) たまたま? 064

2010-06-30 20:53:49 | 日記

 先週の土曜日にドイツから国際郵便が届きました。
 Tさんからでした。
 Tさんは軽高でクラス担任をした生徒で、卒業後大学でドイツ語を学び、国内で旅行会社などに勤務したのち、ボランティアをするためドイツに渡り、ドイツ語にさらに磨きをかけようと、現在もそのままドイツで働いています。
 今年の5月末に一時帰国をしたそうで、その時にタイミングよく同窓会報が届き、私が校長として再び軽高に赴任したことを知って、同級生と学校にやって来たそうです。
 土曜日に学校に来た卒業生らしき人たちから「内堀先生はいますか」と訊かれました、と理科の渋谷先生から以前報告を受けていて「誰だろう」と気になっていましたが、それが彼女たちだったわけです。
 同封されていた写真には、生徒昇降口前で女性ばかり8人、教え子が笑顔で写っていました。
 連絡しなかったのは驚かせるためだと、元担任と同じようなことを考えるものです。
 でも、土曜日ですからね。
 土日に仕事はあっても、もう毎週部活動の指導をしに学校には来ていないからなあ。
 彼女は手紙にこう書いていました:「卒業生して10年経った今も、軽高生で良かったと思えます。一番充実していた学生時代は軽高での3年間でした。中学生の時、家から遠いこともあり、先生にも家族にも軽高英語科への進学は反対されました。あの時『軽高英語科以外の学校へ行くつもりはない』と言い退けたのは正しかったなあとしみじみ感じました。軽高へ行かなかったら今の自分はなかったと言い切れます。だから軽高が本当に大好きです」と。
 嬉しくてもう少しで涙が出そうになりました。

 翌日曜日の夜、今度は、上の8人とは別のMさんから家に電話がありました。
 Mさんも元担任だったクラスの生徒で、5月14日(金)の日記で、日光まで全国大会の応援に行ったと書いた、そのスケート部の選手だった子です。
 Mさんは「先生がリンクのどこで応援してくれていたか、今でも覚えていますよ」と言いました。
 彼女も、私が軽高に再びやって来たことを知って電話をしてきたのでした:「ブログ見て、まさに『Applause』だね、ってUと話しました」と。
 『Applause』というのは、このクラスで毎日発行していた学級通信のタイトルです。
 その時気付いたのですが、当時の『Applause』はB4判1枚、手書きで発行していて、その長さで文章をまとめる癖がついているので、どうしてもブログが長くなってしまうのではないかと。

 翌月曜日には、そのUさんから学校に手紙が届きました。
 MさんとUさんは中学校時代からの友人で、現在二人とも地元で働いています。
 高校時代の『Applause』を思い出しながら毎日ブログを楽しみにしていること、近々学校に伺うつもりだがその前に挨拶をと思って手紙を書いたこと、などが書かれていました。

 3人の筆跡や声は高校時代のままでしたが、その文章や電話の応対は成長した姿をしっかりと伝えていて、つくづく「立派になったもんだ」と思いました。
 3日連続で軽高時代のクラスの生徒から連絡があったのは、単なる偶然なのでしょうか。
 示し合わせたわけではないと思いますから、とても不思議な気持ちがしています。

 今日の昼休みには、スケート部2年女子の金澤さんに、県スケート連盟の国体強化選手の指定証を手渡し、激励しました。
 (この時の模様は、「軽井沢高校ニュース 6月号その2」をご覧ください)
 毎朝・放課後・休日と本当に一生懸命練習をしています。
 まずは、インターハイ、国体の出場権を得て、全国大会で自分のベストの滑りをしてきてほしいと願っています。
 金澤さんは、入学以来強歩大会2連覇。
 来年3連覇をしたら何か出さないといけないね、と顧問の宮坂先生には約束しました。

 放課後は、職員研修会。
 「中学生にとって魅力ある軽高をどのようにつくっていくか」というタイトルで、いわゆる「ブレーンストーミング」と「KJ法」というのを使いました。
 具体的には、班に別れて、個々が思いついたアイディアを躊躇せずどんどん模造紙に貼り付け、出た意見をグループ化してタイトルを付け、最後に模造紙を示しながら発表し合いました。
 拍手と笑顔、笑い声の中に真剣な表情もあり、とてもいい会でした。

 写真は、昨日の芸術鑑賞の時にいただいた色紙と手ぬぐいです。
 色紙は演者4人全員のサインが書いてある写真のもののほかに、1人ずつサインしたものが4枚あり、全部で5枚あります。
 生徒が見られるように、生徒昇降口に掲示してもらいました。

 6月29日(火) 間抜け 063

2010-06-29 20:35:07 | 日記

 今年の芸術鑑賞は『学校DE寄席』、軽高の体育館に寄席がやって来るという企画でした。
 担当の堀内先生が準備から当日まで、細かく丁寧な対応をしてくれました。
 朝の9時くらいでしょうか、舞台の搬入の方が事務室に挨拶に見えました。
 午後1時40分開演で、1時間半上演の予定ですから、丸一日仕事です。

 実は、私は、落語や漫才など、いわゆる「お笑い芸」が大好きで、CDやDVDを結構持っているのです。
 ネタをやるお笑い番組も録画をして観たりしていますし、東京に出かけて行って時間があるときには、新宿の末広亭や上野の鈴本演芸場に寄ることもあります。
 そんなわけで、今日は前々からとても楽しみにしていました。

 「オープニングトーク」は古今亭志ん輔さん。
 高校生向けに落語の約束事などを話してくれました。
 今の高校生は「M1グランプリ」や「レッドカーペット」や「オンバト」などに出るような若手漫才師に興味はあっても、落語はあまり観ないようです。
 体育の桜井先生がステージ上に呼び出され、「大工の熊」さんの役をやらされました。
 道具の担ぎ方だとか、歩き方だとか、戸の開け方だとか、いろいろ言いながら、いいようにからかわれていました。
 これで「つかみはOK」ということでしょう。
 話の中で「何事も『間』が大事です。日本の文化はこの『間』や『無』を大事にする文化です」というようなことを言っていたのが特に印象に残りました。
 「間抜け」の語源もこの「間」から来ているんですよね。

 続いて桂才紫(かつら さいし)さんの落語。
 大学を出てからこの世界に入った方で、35歳。
 寄席の最初(「開口一番」)は「若手の古典落語」がしきたりだそうです。
 演目は『子ほめ』。
 ご隠居から大人と子どものほめ方を教わった八っつぁんが、実際に試してみるがうまくいかないというお馴染みの話でした。

 その後は、太神楽(だいかぐら)曲芸の鏡味仙三(かがみ せんざ)さん。
 この方も大学を出てからこの世界に入った現在34歳。
 演目の最初は「傘まわし」。
 傘の上にいろいろなものを載せて回す、正月になると「おめでとーございます」「いつもよりたくさんまわっております」と言いながらよくテレビに出ていた海老一染之介・染太郎さんが得意としていたあれです。
 次が「ばちの芸」。
 3本から4本の、太鼓を打つばちのような道具を投げ上げたり立てたりします。
 最後は「五階茶碗の芸」。
 あごの上に茶碗ほかいろいろなものを積み上げていき、バランスを取る芸です。
 どれも相当な修業をしたのだろうなと感じるものでした。
 会場からは「おー」「すごーい」という歓声が上がっていました。

 「ラス前」は、動物ものまねの江戸家まねき猫さん。
 先代の江戸家猫八さんが他界され、その息子の江戸家子猫さんが、昨年猫八を襲名しましたが、まねき猫さんはその妹さんなのだそうです。
 清少納言の『枕草子』の「春はあけぼの やうやう白くなりゆくやまぎは・・・」のくだりに合わせて、鶏や猫や犬や虫や烏や、そのほかいろんな生き物が四季を彩りました。

 トリは、真打ち古今亭志ん輔さんの登場。
 「演題は当日のお楽しみ」ということでしたが、『子はかすがい』でした。
 別名『子別れ』とも言います。
 「オープニングトーク」で大工の熊さんが出てきましたが、この話の主人公も、酒が原因で妻息子と別れた大工の熊さんでした。
 なるほど。
 期するところあって酒を断った熊さんが偶然息子を見かけ、また3人で暮らし始めるまでの人情話ですが、圧倒的な話芸で観衆を引き込み、場内を静寂が包みました。
 いやあ、すごいですね、プロは。
 志ん輔さんの師匠の志ん朝さんも人情話が得意で、私は大好きでしたが、志ん輔さんも56歳になり、ますます円熟味が増していますね。
 (それぞれの様子は「軽井沢高校ニュース-6月号その2-」でご覧いただけます。)

 昨日の日記で、初めての聴衆を前に短時間で手ごたえのある話をするのは難しい、と書きましたが、実は、今日のこの芸術鑑賞で、プロの話者はどんな話芸を披露し、聞き手はどんな反応を示すのか、といったことを見据えて書いたものでした。
 花束贈呈の後、志ん輔さんは「ライブというのは空間の共有です。演者が振動させた空気が聞き手の体を揺らし鼓膜を揺らすのです」というようなことを言っていました。
 若手のお笑い芸人が、本来の芸である漫才やコントを捨てて、テレビのトーク番組だけに専念するようになったら、たぶん芸人としてはそこで終わりでしょう。
 ネタを作り上げ、何度も練習して、ドキドキしながらライブに掛ける、しかも出演料はさほど高くない、その手間暇や土臭さを省いて、その場限りの思いつきで成り立ち、ギャラを考えると割のいいトーク番組などに移っていった方が、タレントとしては楽なのだと思います。
 でも、人間、楽をするようになるときっとダメなんだろうな、ということではないでしょうか。
 そのライブでさえ、今は、人気のある若手芸人にとっては、若い女性から「キャーッ」と言われるだけの場になっていて、決して芸を磨く場ではなくなりつつあるような気もしています。
 落語家は、若手イケメン漫才師とは若干環境が違うのかもしれませんが、いずれにしても、放っておいても向こうからお客さんがやって来る場所を飛び出して、ほとんどの客が「初心者」、場合によったら大して落語に興味もないような高校生がいる場所へ自分から出かけていく。
 若者の関心が薄い古典芸能に興味を持ってもらおうと、果敢にいろいろなことに挑戦する志ん輔さんほかの皆さんには、歌舞伎界で同じようなことに挑戦し続ける、中村勘三郎さんの姿が重なって見えました。

 6月28日(月) ♪現在、過去、未来 062

2010-06-28 20:12:55 | 日記

 お気づきになったと思いますが、昨夜から、画像(写真)を大きくしました。
 少しは見やすくなったでしょうか。

 また、一日の日記に複数の写真を入れられないか、現在勉強中です。
 時間を見て挑戦してみたいと思っています。

 先週末は、地域高校協会終了後、学校で若干の仕事を片付け、午後になってから、今年一般公募で学校評議員になっていただいた宗田光一さんの個展に教頭さんと出かけました。
 東御市で開催するというご案内のはがきをいただいていたのです。
 事前の連絡をしませんでしたので、残念ながらご本人には会えず仕舞いでしたが、コーヒーを飲みながら油絵と外の景色とを眺めるゆったりとした時間が、短時間とはいえ取れたのはよかったと思います。
 宗田さんからは、今日お礼のメールが来ました。

 今日まで1学期期末考査でした。
 どの学年の生徒にとっても大事な試験ですが、特に、3年生にとっては、2学期末の成績が出るまで、つまり12月までは、1学期の成績や出席状況などが、受験先や就職先へ送られる資料となるわけですから、その意味では一段と重要な意味を持つことになります。
 きっとそれぞれ頑張ってくれたことと思います。

 現1学年が来年度台湾へ修学旅行に行くことはお伝えしました。
 行き先を慎重に検討してきたため、若干他校より遅くなりましたが、業者を選ぶためのプレゼンテーションが、学年のPTA役員の皆さんにも出席していただいて、期末考査終了後の午後一番で行われました。

 軽井沢中学校の進路講話に呼ばれていましたので、その後すぐに車で出ました。
 本校がトップバッターで、その後が小諸商業高校、最後が佐久長聖高校という組み合わせでした。
 3学年主任の小須田先生から「ブログ拝見しています」と言われ、ちょっと驚きました。
 資料はA4判4ページ。
 あれこれ考え、ない知恵を絞って写真のような資料を作り、教頭さんに両面カラー印刷をしてもらって持参しました。
 軽井沢中学校の3年生は172名、そこに保護者の希望者と3学年の先生が参加していました。

 今日の話は、基本的には、本校のPRがメインですが、派遣申請には「進路を考え、進学しようとしている中学生・保護者に高等学校の立場から助言を」とも書かれていましたので、話の最後に一言加えました。
 「過去は『過ぎ去』ってしまったものだから今更変えられない。未来は『未だ来』ないもの、つまりこれから来るものなのでいくらでも変えることができる。変えられるけれども、「今」という瞬間の積み重ね以外に未来を変える方法はない。昨日より今日。今日より明日。毎日の少しずつの努力の積み重ねが自分の未来を変えることになる」と。
 そう、もうおわかりですね、そこから「プラスワン」の話を具体例を挙げてしました。
 「皆さん一人一人が、自分のできる最大の努力をし、希望の進路を実現することを願っています。そして、1人でも多く、来年の4月に軽高でお会いしましょう」と。

 結婚式のスピーチの時にも同じことを感じますが、初対面の人に話をするのは、聞き手の反応がわからないのが一番難しいところですよね。
 笑ってもらおうと思ってした話が、思ったほどウケない。
 聞き手がどの程度楽しんでいるのか分からない。
 授業だとお互いをよく知っているし、例えば、1時間とか2時間とか、ある程度長く話すのであれば、次第に話者の人となりが伝わるし、聴衆の表情や反応も少しはわかってくるので、まだいけるかもしれないと思うのですが、結婚式の3分とか講話20分とかでは、実感を持った「手ごたえ」を得るのがなかなか難しいなと、いつも思います。
 (決して「もっと長くしゃべらせろ」という意味ではありません。誤解のないよう。長くなればなったで別の技術が必要になりますからね)
 アンケートを取るのであればあとで見せてもらって参考にしたいですし、話をするのは好きなので、機会があればこれからもどんどん出かけていきたいと思っています。

 6月25日(金) イランイラク 061

2010-06-25 23:58:48 | 日記
 
 さっきまで今日の日記のタイトルは「おっ、できるんだ」でした。
 校長ブログの初期設定をしてくれた数学の須澤先生が「どこからでも校長ブログはアップできますよ」と言ってくれていたのですが、今日初めて、学校と自宅以外のパソコンからブログをアップしようと試み、本当にできることを実感して、ちょっと感動したからでした。
 総合教育センターの校長マネジメント研修の時、昼休みにセンターのコンピュータを使ってみて、いけそうな感触は得ていましたが、実際には、今日初めて挑戦したのです。

 今日から2日間の日程で「地域高校協会」の総会・研究協議会が、軽井沢プリンスホテルで開催されています。
 地域協会加盟校は18校、最北は下高井農林高、最東は軽井沢高、小海高、一番南は阿智高、阿南高、中信の県境は蘇南高、白馬高と、多くの高校が「十州に境連ぬる」(県歌『信濃の国』)長野県の県境などに位置し、まさに「県内各地」からPTA役員と校長が集まって来ています。
 昼間の会議と夕方の教育懇談会を終え、もう少し話をしましょう、ということになりました。
 ホテルの中のバーが今日は閉まっているということで、外に出かけ、先程ホテルに戻ったところです。
 皆さんに別れを告げ、フロントで「10分で100円」というインターネットがあることを知り、「ビジネスコーナー」に向かいました。
 財布を見ると、小銭が200円しかありません。
 もう少し小銭を増やす手も考えましたが、「いけるだろう」「いってみよう」(byいかりや長介さん)と、無謀にも一度もやったことのない20分以内のブログアップを目指して、さっきまで必死に日記を書き、あと一歩というところまで来た時に、なんとタイムオーバー、編集画面が一瞬にして「ご利用ありがとうございました」に変わりました。
 「ハー?」という、かなりの「イライラ」を抑えつつ、またフロントに行って換金した100円玉を机の上に積み上げて、今度は落ち着いて、最初から日記を書き始めたところです。

 今日の会は、内容も雰囲気もよい、すばらしいものでした。
 県教委から管理係の守屋主任指導主事、教学指導課の堀金係長、県校長会の志摩副会長が、忙しい中、出席してくださいました。
 2つの研究協議もそれぞれ内容が充実していましたし、本校保健委員会と顧問の小森先生、英語部と顧問の草間先生のアトラクションも、他校の皆さんに大好評でした。
 全体を通して、一言で言えば、参加者から地域高校に向ける「思い」がひしひしと伝わって来ました。
 会の冒頭の「理事長挨拶」の中でも申し上げましたが、この地域高校協会の元は、昭和23年の学制変更で「高等学校」になった時には県立ではなくて、その翌年に県立に移管した学校が集まってできた会でした。
 県立でない、ということは、町村立であったり、地域の組合立であったりしたわけで、まさに地元の皆さんの「この地域にぜひ学校を」という思いの結晶としてつくられた学校が「地域高校」だと言えます。
 「地域高校」は地域の皆さんのこういう熱い思いでつくられ、当初は地元の子どものほとんどが通っていたのではないかと思います。
 時代の変化とともに、高校は次第に「商品化」され、「ともに創り上げるもの」ではなく「選択の対象」となっていきました。
 少子の時代を迎え、学級数減や定員割れなどの課題が出てきています。
 本当にその地域に高校は必要ないのか、という地域全体の議論を含めて、今あらためて地域高校がどうあるべきかが問われていて、その意味でも、この協会の存在意義は大きなものがあると思っているのです。

 今日を迎えるにあたっての準備、そして今日の進行、会の盛り上げは、ホント、教頭さんと事務長さんがすべてやってくれたものです。
 参加者からは「軽井沢の準備は本当に丁寧だ」とか「今日は楽しいねえ」とか「来てよかった」とか言っていただきましたが、これもすべて、二人の尽力によるものです。
 ・・・と、ここまで書いて、何とか今日の日記をアップできそうです。
 今日のところは、とりあえず、ここまでとします。
 おやすみなさい。
 (写真は、総会・研究協議会の全日程終了後、参加者で訪れた「旧三笠ホテル」。明治の時代に日本人だけで洋館を造った、その「進取の気概」が掛値なしに素晴らしいと思います)

 6月24日(木) 襷に長し 060

2010-06-24 23:55:13 | 日記

 一日の日記を少し短くしたい、と言っておきながら、短くならないばかりか逆に長くなっているではないか、というご指摘を受けました。
 「長くないですよ。楽しみに読んでいます」と言ってくれる人もいるのですが、自分も短くしなければと思っていますし、ブログにもそう書きましたので、今日は思い切って短くしたいと考えています。
 あまりの短さに驚かないでくださいね。

 地域高校協会の総会が、明日から1泊2日の日程で軽井沢プリンスホテルを会場に行われます。
 今年は軽高が、理事長校・事務局校ということで、教頭さん、事務長さんを中心に、以前から準備を進めてきましたが、いよいよ明日に迫り、打ち合わせや準備が白熱化してきました。
 総会の模様は、明日、このブログに掲載する予定です。

 今日は、午前中に、小諸新聞の柳沢さんが校長室を訪れ、現中学3年生を対象に本校で初めて実施する「くくり募集」について、取材をしてくれました。
 6月10日(木)の日記でも少し説明していますが、今日は、具体的に、受検生にとってどんなメリットがあるのかとか、そもそも「くくり募集」とはどういう趣旨で行うものなのか、とか様々なことを聞かれました。
 私からも何度か「どう思います?」と聞きました。
 いわゆる一つの「逆取材」ってやつでしょうか。
 せっかくですから、いろいろな機会にいろいろな方からご意見・ご感想を聞いておいた方がいいですよね。
 すぐに載せます、とおっしゃっていましたが、どんな記事になるのか、楽しみにして待ちたいと思います。

 中学校に行って話す「進路講話」というのがあります。
 だいたいどの学校でも3校くらいの高校を一度に呼んで、1校あたり15分とか20分で話をする、というケースが多いようです。
 今のところ、軽井沢中学と御代田中学から依頼されていて、どちらも私が行く予定でいます。
 当日の「資料」の準備は、構想だけは前から練っていたのですが、軽井沢中学がいよいよ月曜日に迫ってきたので、具体的な作成作業に入りました。
 夜遅くに、教頭さんと2人教務室で、実際にプリントアウトしてみて、ああでもない、こうでもないと言いながら、一応大雑把には完成させました。
 また明日の朝、再度修正を試みたいと思っています。

 先生方との面談も、今日、いろいろな都合で延び延びになっていた2人の先生と行い、あと一人を残すだけになりました。
 面談自体は非常に有意義だと考えていますが、教員の数がうちの2倍、場合によっては3倍という学校もあると思います。
 そういう所の校長先生はどうやって時間を見出しているのか、他人事ながら気になります。
 
 今日も先程から、強力な睡魔の攻撃を断続的に受けています。
 時々意識が遠くの方に行ってしまっているようです。
 撃退するには、今日の私の状況ではあまりに荷が重いものですから、冒頭のお約束どおり、今日はこの辺で失礼します。
 (今、今日の日記の長さを見てみました。思い切って短くする、と意気込んでみて、ちょっと長めくらいの長さのようです)