軽井沢高校 校長日記 『つれづれ軽井沢だより~乞う「ちょうどええ」』

学校の様子を校長の視点から伝えたいと思い、校長日記を書くことにしました。授業日毎日更新を目指します。ご愛読ください。

 6月25日(金) イランイラク 061

2010-06-25 23:58:48 | 日記
 
 さっきまで今日の日記のタイトルは「おっ、できるんだ」でした。
 校長ブログの初期設定をしてくれた数学の須澤先生が「どこからでも校長ブログはアップできますよ」と言ってくれていたのですが、今日初めて、学校と自宅以外のパソコンからブログをアップしようと試み、本当にできることを実感して、ちょっと感動したからでした。
 総合教育センターの校長マネジメント研修の時、昼休みにセンターのコンピュータを使ってみて、いけそうな感触は得ていましたが、実際には、今日初めて挑戦したのです。

 今日から2日間の日程で「地域高校協会」の総会・研究協議会が、軽井沢プリンスホテルで開催されています。
 地域協会加盟校は18校、最北は下高井農林高、最東は軽井沢高、小海高、一番南は阿智高、阿南高、中信の県境は蘇南高、白馬高と、多くの高校が「十州に境連ぬる」(県歌『信濃の国』)長野県の県境などに位置し、まさに「県内各地」からPTA役員と校長が集まって来ています。
 昼間の会議と夕方の教育懇談会を終え、もう少し話をしましょう、ということになりました。
 ホテルの中のバーが今日は閉まっているということで、外に出かけ、先程ホテルに戻ったところです。
 皆さんに別れを告げ、フロントで「10分で100円」というインターネットがあることを知り、「ビジネスコーナー」に向かいました。
 財布を見ると、小銭が200円しかありません。
 もう少し小銭を増やす手も考えましたが、「いけるだろう」「いってみよう」(byいかりや長介さん)と、無謀にも一度もやったことのない20分以内のブログアップを目指して、さっきまで必死に日記を書き、あと一歩というところまで来た時に、なんとタイムオーバー、編集画面が一瞬にして「ご利用ありがとうございました」に変わりました。
 「ハー?」という、かなりの「イライラ」を抑えつつ、またフロントに行って換金した100円玉を机の上に積み上げて、今度は落ち着いて、最初から日記を書き始めたところです。

 今日の会は、内容も雰囲気もよい、すばらしいものでした。
 県教委から管理係の守屋主任指導主事、教学指導課の堀金係長、県校長会の志摩副会長が、忙しい中、出席してくださいました。
 2つの研究協議もそれぞれ内容が充実していましたし、本校保健委員会と顧問の小森先生、英語部と顧問の草間先生のアトラクションも、他校の皆さんに大好評でした。
 全体を通して、一言で言えば、参加者から地域高校に向ける「思い」がひしひしと伝わって来ました。
 会の冒頭の「理事長挨拶」の中でも申し上げましたが、この地域高校協会の元は、昭和23年の学制変更で「高等学校」になった時には県立ではなくて、その翌年に県立に移管した学校が集まってできた会でした。
 県立でない、ということは、町村立であったり、地域の組合立であったりしたわけで、まさに地元の皆さんの「この地域にぜひ学校を」という思いの結晶としてつくられた学校が「地域高校」だと言えます。
 「地域高校」は地域の皆さんのこういう熱い思いでつくられ、当初は地元の子どものほとんどが通っていたのではないかと思います。
 時代の変化とともに、高校は次第に「商品化」され、「ともに創り上げるもの」ではなく「選択の対象」となっていきました。
 少子の時代を迎え、学級数減や定員割れなどの課題が出てきています。
 本当にその地域に高校は必要ないのか、という地域全体の議論を含めて、今あらためて地域高校がどうあるべきかが問われていて、その意味でも、この協会の存在意義は大きなものがあると思っているのです。

 今日を迎えるにあたっての準備、そして今日の進行、会の盛り上げは、ホント、教頭さんと事務長さんがすべてやってくれたものです。
 参加者からは「軽井沢の準備は本当に丁寧だ」とか「今日は楽しいねえ」とか「来てよかった」とか言っていただきましたが、これもすべて、二人の尽力によるものです。
 ・・・と、ここまで書いて、何とか今日の日記をアップできそうです。
 今日のところは、とりあえず、ここまでとします。
 おやすみなさい。
 (写真は、総会・研究協議会の全日程終了後、参加者で訪れた「旧三笠ホテル」。明治の時代に日本人だけで洋館を造った、その「進取の気概」が掛値なしに素晴らしいと思います)

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