犬がおるので。

老犬から子犬まで。犬の面倒をみる暮らし。

ねことの暮らし。

2012年05月31日 | おせわがかり日誌


今はこんな「どえん」になっているが、

彼ら(手前2匹)はこどものとき、こんなんだったんである。























これは他家に養女にいった、みけこ。





ちなみに、このきょうだいのなかで、いちばんかわい(器量よし)かった。





先に家にいたほかの3匹は男の子、1匹だけ女の子(女帝)がおり、





(↑女帝)





きょうだい唯一の女の子だったので、女帝のためにも残したかったのだが、

やはりかわいいからから、いの一番に、もらわれていった。





この子が残っていたら、猫王国の雰囲気が、ずいぶん違ったんだろうになあ~。





養い家では、大切にかわいがってもらっているようだ。





これは、かぶ。

歌舞伎役者みたいな模様だから、かぶ。

母のネーミングは、いつも変。


小さい頃はおとなしかったのだが、今は一番強いらしい。

こわがりで、人がきたらどこかに隠れて出てこないくせに、

猫界では、一番いばりくさっている、『暫定ボス』だ。

品格のないボス、とでもいおうか。





茶太(ちゃた)、多分、3きょうだいの、長男。

誰にでも、すぐ、ごろんごろん、と、のどを鳴らす。

社交的で明るい猫だ。





数年前に我が家にやってきた子猫も、

今ではこんなに(どえん)大きくなって、

先住ねこたち(20歳超)を脅かすまでになった。





先住猫のきょうだい。

この子達もうちにきたときは3きょうだいだった。

3匹とも、オス。


本当は5匹くらいいたらしいのだが、保護した付近の小学生の話しでは、

一番かわいいのは行方不明、もう一匹は、父親でないオス猫にとらえられたらしい。

残った3匹を引き取ったのだが、茶太と同じ柄の子がもらわれていった。


顔はちょうど二人の中間のようで、性格は大雑把できかんぼう、ジャイアンタイプ。

食がよくて、体は一番(どえん)大きかった。

性格的には、次男坊っぽかった。





そして同じ茶かのこの2匹が残り、

そのうちの1匹、一番小さかった末っ子が我が家(実家)のボスに(手前の子)。





長男(奥の子)は、ちょっとおばかなところがあるが、それはそれでかわいい。





やることがおもしろいというか、だめ人間ぽいのだ。





すねる、ごねる、にぶい、こずるい、いばる、とぼける、こざかしい。

でも母が泣いたり、咳をしたりすると、心配して、家の中のどこにいても、飛んでくる。

泣いていたらほっぺの涙をざりざりした舌でなめてくれたりする(さかなくっさい)。





まあ、そんなところが、なんていうか、愛らしい。

猫って意外と、人情味あるのよね。





末っ子のボスは、とても賢い。頭がいい。

長男の分、ぜんぶ、この子にいっちゃったんじゃないかと思われるくらい、賢い。





今は齢20歳の大老猫なので、

若い世代にそのボスの座を譲ってしまったが、

往年時代は、どこの動物病院へ行っても、先生たちに、

「この子は野生でいたら、大ボスになっていたね」

といわれていた。

育てた私としては、それが、ちょっと自慢だった。


末っ子で、体がとても小さくて、

ミルクから育てたのだが、立派に育ってくれたもんである。


もし、もらわれていった次男坊が残っていたら、

この子とどっちがボスになっていただろうな、と想像する。

次男は風来坊だったので、ボスキャラではないかもしれない、とか。

どっちにしても長男は小兵だな、とか。

(奥にいる女帝は権力者ではない女帝)





迷い猫だった6番目の彼。

うちにたどりついたとき、体中傷だらけ、ひどい怪我をしていて、母が助けた。

虐待を受けたのか、猫同士のけんかだったのか、わからない。

母たちは虐待だというのだが、どちらにしても、

去勢してあったし、しつけはゆきとどいていたし、

刺身好きなところを見ると、誰か人間にかわれていたに違いない。

捨てられたのか、逃げてきたのか、飼い主が入院したり、亡くなったりしたのか・・・。

いつから放浪していたのか。





本来は気性が荒いタイプ(色の濃いキジトラほど野生に近く気性が荒いという)のようだが、

放浪生活で飢えや孤独を味わったからか、最終的には、おっとりとした、人を信じる、懐深い猫になった。

時折、昔の片鱗を見せることがあったけれど、先住猫たちにはとても気を使っていたし、

万事において、控えめだった。甘えるにしても、誰も見ていないところ限定であった。

とてもいい猫だった。





寝付くまではとても元気で、





寝付いてからは、苦しまず、




たった数日で亡くなった。

迷い猫としてうちにきてから10年以上の歳月が過ぎていた。

介護を覚悟していたのに、ちっとも世話をかけない猫だった。

そんなところまで、気を使っていたのか、と不憫になるほどに。


一番はじめに猫医者にかかったとき、歯や体の具合を見て、

「15歳から20歳の間」といわれていたけれど、本当は何歳だったのだろう。


彼が数日寝付いた時に用意した、

彼のおむつが、まだ実家にはある。


亡くなる前の、やさしい、静かなまなざしが、忘れられない。

時々、ふっと、思い出す。

死は悲しみではあるけれど、決してそれだけではない。


彼のことを思い出すたびに、そう思うのだ。





女帝。

我が家に初めてきた猫。

彼女については、語ると長くなるので、女帝というにとどめておこう。

その二文字ですべてを表していると思うので。


女帝は、茶色かのこきょうだいがやってきたとき、

1歳だったんだけど、避妊手術をしていたのに、出ない乳をやって、

一生懸命、こねこたちの世話をした。

しつけもした。

ボスにしてみれば、まさに、仮の母である。

そんなやさしい一面もあるのだった。

だが、女帝は女帝である。

気に入らないことがあれば、ただじゃおかない。

かじりつく、ひっかく、すぐ怒る。

ただ、この女帝は『気難しい』のだが、別に強くはない。

だけど元ボスは育ててもらった恩があるので、この女帝には手を出さない。

だから女帝さまとして、のさばっていられるのだった。


ボスの相手は男のみ。

不遇の迷い猫は一応年上だし、老練ゆえに逆らいもしないから、

手を出したりはしないので、もっぱら、成敗の相手は、阿呆の長男だけである。

あとは、庭に紛れ込んでくる外猫たち。

ボスがいつもおっぱらっていた。

家の中なのに、ひとにらみで、いなくなる。

ボスは強いのだ。

そんなボスが『女帝』を仮の母として、

一目置いて、大事にしていたので、だからこそ、女帝は女帝としていられたのだった。



若い2匹がボスの黄金時代にやってきたら、

たちまち配下に置いたであろう。

ものすごく、強かったんだから。

一瞬で馬乗りになり、急所をがぶり、である。

賢くなければできない業だった。まさに賢王。

惜しいことに、彼ら(ちびっこギャング)がやってきたのは、

この賢王が老いてからだったために、猫の王国は、

たちまち、無法かつ情に欠ける国となってしまった。

ボスの統治の飢えに、平和な暮らしを謳歌してきた『女帝』も、

きっと、くやしいに違いない。

まあでも、時は流れる。

時代は変わる。

猫の世界もいろいろだ。



猫と暮らすのは、ほんと、退屈しない。

猫は人との暮らしを、一体、どう思ってるのだろうか。

いちど聞いてみたい。


いちど猫を知ると、猫のいない生活は本当にさみしいものだ。

いつかまた、猫と暮らしたいわ。