今はこんな「どえん」になっているが、
彼ら(手前2匹)はこどものとき、こんなんだったんである。
これは他家に養女にいった、みけこ。
ちなみに、このきょうだいのなかで、いちばんかわい(器量よし)かった。
先に家にいたほかの3匹は男の子、1匹だけ女の子(女帝)がおり、
(↑女帝)
きょうだい唯一の女の子だったので、女帝のためにも残したかったのだが、
やはりかわいいからから、いの一番に、もらわれていった。
この子が残っていたら、猫王国の雰囲気が、ずいぶん違ったんだろうになあ~。
養い家では、大切にかわいがってもらっているようだ。
これは、かぶ。
歌舞伎役者みたいな模様だから、かぶ。
母のネーミングは、いつも変。
小さい頃はおとなしかったのだが、今は一番強いらしい。
こわがりで、人がきたらどこかに隠れて出てこないくせに、
猫界では、一番いばりくさっている、『暫定ボス』だ。
品格のないボス、とでもいおうか。
茶太(ちゃた)、多分、3きょうだいの、長男。
誰にでも、すぐ、ごろんごろん、と、のどを鳴らす。
社交的で明るい猫だ。
数年前に我が家にやってきた子猫も、
今ではこんなに(どえん)大きくなって、
先住ねこたち(20歳超)を脅かすまでになった。
先住猫のきょうだい。
この子達もうちにきたときは3きょうだいだった。
3匹とも、オス。
本当は5匹くらいいたらしいのだが、保護した付近の小学生の話しでは、
一番かわいいのは行方不明、もう一匹は、父親でないオス猫にとらえられたらしい。
残った3匹を引き取ったのだが、茶太と同じ柄の子がもらわれていった。
顔はちょうど二人の中間のようで、性格は大雑把できかんぼう、ジャイアンタイプ。
食がよくて、体は一番(どえん)大きかった。
性格的には、次男坊っぽかった。
そして同じ茶かのこの2匹が残り、
そのうちの1匹、一番小さかった末っ子が我が家(実家)のボスに(手前の子)。
長男(奥の子)は、ちょっとおばかなところがあるが、それはそれでかわいい。
やることがおもしろいというか、だめ人間ぽいのだ。
すねる、ごねる、にぶい、こずるい、いばる、とぼける、こざかしい。
でも母が泣いたり、咳をしたりすると、心配して、家の中のどこにいても、飛んでくる。
泣いていたらほっぺの涙をざりざりした舌でなめてくれたりする(さかなくっさい)。
まあ、そんなところが、なんていうか、愛らしい。
猫って意外と、人情味あるのよね。
末っ子のボスは、とても賢い。頭がいい。
長男の分、ぜんぶ、この子にいっちゃったんじゃないかと思われるくらい、賢い。
今は齢20歳の大老猫なので、
若い世代にそのボスの座を譲ってしまったが、
往年時代は、どこの動物病院へ行っても、先生たちに、
「この子は野生でいたら、大ボスになっていたね」
といわれていた。
育てた私としては、それが、ちょっと自慢だった。
末っ子で、体がとても小さくて、
ミルクから育てたのだが、立派に育ってくれたもんである。
もし、もらわれていった次男坊が残っていたら、
この子とどっちがボスになっていただろうな、と想像する。
次男は風来坊だったので、ボスキャラではないかもしれない、とか。
どっちにしても長男は小兵だな、とか。
(奥にいる女帝は権力者ではない女帝)
迷い猫だった6番目の彼。
うちにたどりついたとき、体中傷だらけ、ひどい怪我をしていて、母が助けた。
虐待を受けたのか、猫同士のけんかだったのか、わからない。
母たちは虐待だというのだが、どちらにしても、
去勢してあったし、しつけはゆきとどいていたし、
刺身好きなところを見ると、誰か人間にかわれていたに違いない。
捨てられたのか、逃げてきたのか、飼い主が入院したり、亡くなったりしたのか・・・。
いつから放浪していたのか。
本来は気性が荒いタイプ(色の濃いキジトラほど野生に近く気性が荒いという)のようだが、
放浪生活で飢えや孤独を味わったからか、最終的には、おっとりとした、人を信じる、懐深い猫になった。
時折、昔の片鱗を見せることがあったけれど、先住猫たちにはとても気を使っていたし、
万事において、控えめだった。甘えるにしても、誰も見ていないところ限定であった。
とてもいい猫だった。
寝付くまではとても元気で、
寝付いてからは、苦しまず、
たった数日で亡くなった。
迷い猫としてうちにきてから10年以上の歳月が過ぎていた。
介護を覚悟していたのに、ちっとも世話をかけない猫だった。
そんなところまで、気を使っていたのか、と不憫になるほどに。
一番はじめに猫医者にかかったとき、歯や体の具合を見て、
「15歳から20歳の間」といわれていたけれど、本当は何歳だったのだろう。
彼が数日寝付いた時に用意した、
彼のおむつが、まだ実家にはある。
亡くなる前の、やさしい、静かなまなざしが、忘れられない。
時々、ふっと、思い出す。
死は悲しみではあるけれど、決してそれだけではない。
彼のことを思い出すたびに、そう思うのだ。
女帝。
我が家に初めてきた猫。
彼女については、語ると長くなるので、女帝というにとどめておこう。
その二文字ですべてを表していると思うので。
女帝は、茶色かのこきょうだいがやってきたとき、
1歳だったんだけど、避妊手術をしていたのに、出ない乳をやって、
一生懸命、こねこたちの世話をした。
しつけもした。
ボスにしてみれば、まさに、仮の母である。
そんなやさしい一面もあるのだった。
だが、女帝は女帝である。
気に入らないことがあれば、ただじゃおかない。
かじりつく、ひっかく、すぐ怒る。
ただ、この女帝は『気難しい』のだが、別に強くはない。
だけど元ボスは育ててもらった恩があるので、この女帝には手を出さない。
だから女帝さまとして、のさばっていられるのだった。
ボスの相手は男のみ。
不遇の迷い猫は一応年上だし、老練ゆえに逆らいもしないから、
手を出したりはしないので、もっぱら、成敗の相手は、阿呆の長男だけである。
あとは、庭に紛れ込んでくる外猫たち。
ボスがいつもおっぱらっていた。
家の中なのに、ひとにらみで、いなくなる。
ボスは強いのだ。
そんなボスが『女帝』を仮の母として、
一目置いて、大事にしていたので、だからこそ、女帝は女帝としていられたのだった。
若い2匹がボスの黄金時代にやってきたら、
たちまち配下に置いたであろう。
ものすごく、強かったんだから。
一瞬で馬乗りになり、急所をがぶり、である。
賢くなければできない業だった。まさに賢王。
惜しいことに、彼ら(ちびっこギャング)がやってきたのは、
この賢王が老いてからだったために、猫の王国は、
たちまち、無法かつ情に欠ける国となってしまった。
ボスの統治の飢えに、平和な暮らしを謳歌してきた『女帝』も、
きっと、くやしいに違いない。
まあでも、時は流れる。
時代は変わる。
猫の世界もいろいろだ。
猫と暮らすのは、ほんと、退屈しない。
猫は人との暮らしを、一体、どう思ってるのだろうか。
いちど聞いてみたい。
いちど猫を知ると、猫のいない生活は本当にさみしいものだ。
いつかまた、猫と暮らしたいわ。