8日(木)の 『晴子情歌』 は、第一章 筒木坂 上巻p42~p80まで読了。晴子さんの手紙でひと区切り。
紅茶をいれた晴子さんが、過去の思い出に遡っていきます。晴子さんの両親・野口康夫と岡本富子の馴れ初め、その頃の時代背景、晴子さんの誕生、関東大震災、弟妹の誕生、不穏な時代の雰囲気、富子さんの死まで綴られています。
おや?、何だか 『失われた時を求めて』(マルセル・プルースト) で、ある食べ物から過去に遡っていく構成と似ているような・・・。食べ物や飲み物の記憶って、そういう魔力があるのかもしれない。
前回、私は「これは歴史小説だ」、「これは大正、昭和と生きた一介の女性による証言だ」 と書きました。それを強く感じたのは、今回の部分を読んだからです。大正時代も、昭和の初期も遠くになりにけり・・・ではありませんが、21世紀に生きる今、20世紀がどんな時代で、どんな歴史を紡いでいたのか・・・。振り返る、又は知識として知ることも大切だと感じられるのです。
***
『晴子情歌』 は登場人物が多いので、今回から備忘録代わりにメモ。
そして本が好きな私としては、「いつかは読むかも知れない本」として、登場した書籍名と、判る範囲で著者名もメモします。
登場人物
野口康夫、野口富子 晴子さんの父母。
野口哲史、野口幸生、野口美也子 晴子さんの弟妹。
岡本芳國、岡本初音 晴子さんの祖父母。晴子さんの母・富子さんは三女になる。芳國さんは婿養子。ちなみに長女・次女の名は、房子・民子。
岡本キク 富子さんの祖母で、初音さんの母。
登場した書籍や雑誌名 (作家名だけ出ているものは無視。登場ページの表記は略。すみません)
『熱帶の生き物』 晴子さんが図書館で借りた図鑑。
『嵐が丘』(エミリー・ブロンテ) 私は小学生の頃、学校の図書館で借りて読んだ。
ここまでは前回読書分に登場した本。
『白樺』 武者小路実篤、志賀直哉、その他。(ど忘れしたのでネットで検索)
『青踏』 平塚らいてうが創刊。(これもど忘れしたのでネットで検索)
『早稻田文学』 『改造』 ・・・こんなのは知らない(苦笑) 気が向いたら調べる。
『ダブリン市民』(ジェームズ・ジョイス) 『神の火』(新版) 『リヴィエラを撃て』 ですっかりおなじみ。私も去年、やっと読みました。晴子さん曰く「素敵でした」とのこと。
『中央公論』 この頃から在ったのか・・・。
『高瀬舟』(森鴎外) 私は未読。
『人類の意思に就て』(武者小路實篤) 作者名は知っていても、作品は知らん・・・。
『棕櫚』 『海邊の墓地』(ヴァレリー) ヴァレリーといえば、ポール・ヴァレリーしか知らんぞ、私は(笑)
『勞働運動』(大杉榮)
『新潮』 康夫さんの文藝仲間の一人がこれに小説を発表。しかも、それを推薦した編集者の名も書かれている(佐々木千之 ささき・ちゆき)。新潮社が版元だから、「社史」などを調べたら当時の編集さんたちも判りますわね。
★☆★本日の名文・名台詞 からなのセレクト★☆★
晴子さんの手紙だけなので、覚悟はいいですね?
★いまも、かうして貴方にいろいろなことを書かうとする衝動はこの心身のどこから来るのか、何に向かふ衝動なのかと考へるのですが、しかし現にこんなふうにやつて來る衝動の、なんと自由で清々してゐること。 (p42)
彰之に手紙を書いて送ることを、晴子さん自身が評した一文。
★富子と小説の出會ひは、青春の高揚を繪に描いたやうで、私は想像するたびに自分も少しはそんな時期があつたかも知れない懐かしさと面はゆさに驅られます。 (p52)
前回もピックアップした、「晴子さんの感じたこういう状態は、私にも確かにあった」・その2。「読むことの喜び」が、素直に語られていますよね。
★大正と云ふ時代はたしかに明治の謹厳な重しが外れたやうなところがあつたのですし、この時代の彼らの熱氣を浮ついた議論のための議論と批判するのは、後世の賢い人たちに任せることにしませう。 (p53)
「大正」という時代やその言葉が持つ雰囲気って、不思議ですよね。「大正デモクラシー」だの「大正ロマン」だの、相反するものが共存、あるいは対立していた時代なのか。平成の世、「大正時代」を検証したり振り返ったりする試みも行われてきていますよね。
★本來は生きることゝ一つであるべき人間の品位が、なほも教養や理想と同義語だつた富子の中で、康夫がいつどのやうにして望ましい男性像になつていつたかも、たぶんリアリズムの目よりも浪漫的な情緒のはうが似合ふ話だつただらうと私は思ふのですが、はて。 (p54)
富子さんが康夫さんをどう慕っていったのかを、娘の目から冷静に見ている一文。ちなみに康夫さんは岡村家の経営する下宿に住んでいて、富子さんの家庭教師でもありました。
★私は五年前、あの萬国博覽會の未來都市を見學しての歸り、ふと未來と云ふものがひどくぼんやりとして可でも不可でもないやうに感じられたのでした (p54)
『LJ』 で合田さんがヴァイオリンを弾いていた時にも出てきた、大阪の万国博覧会のこと(私はまだ生まれてませんでした) ちなみに今回のタイトルも、大阪万博から。
★かうして樂しい思ひ出はみな本の家にあつたやうな氣がして來るのは、たヾ子どもであることの無上の幸のせゐでせう。 (p65)
「晴子さんの感じたこういう状態は、私にも確かにあった」・その3。晴子さんの母・富子さんに髪を梳かれている思い出。私の場合、小さい頃は髪がもつれやすかったんで、大変だったと思うな・・・。
★すると康夫は「君は美の直感を數學的に收斂しようとしてゐるわけかい?」と尋ね、重松さんは「美の直感ぢやない、美の形だ」と應へます。 (p71~72)
重松さんは、康夫さんの友人で画家。しかし検挙されてしまいます。晴子さんの夫・淳三さんも画家なので、同じようなことを言っていたなあ、と晴子さんは思い返していました。
夏に再読した 『照柿』 にも、売れない画家だった人物が登場してました。
★病院と云ふところは一旦床に就いたが最後、昨日までとは隔絶されて、あとはたゞ死に向かふのを誰もが爲すすべもなく畏まって待ち、悲嘆や狼狽さへ出口を失ふ非日常の場所です。 (p78)
これは富子さんが劇症肝炎にかかって入院した出来事を語っています。「病院」の項目で、名言・ことわざ事典に入れてほしいくらいの一文ですわ・・・。
***
※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。
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お、恐ろしいくらいの鈍いペース。むっちゃ時間がかかりすぎてる~。
明日には第一章を読み終える予定なんですが・・・
旧字体をその都度登録しておかないとアカンかも・・・。
紅茶をいれた晴子さんが、過去の思い出に遡っていきます。晴子さんの両親・野口康夫と岡本富子の馴れ初め、その頃の時代背景、晴子さんの誕生、関東大震災、弟妹の誕生、不穏な時代の雰囲気、富子さんの死まで綴られています。
おや?、何だか 『失われた時を求めて』(マルセル・プルースト) で、ある食べ物から過去に遡っていく構成と似ているような・・・。食べ物や飲み物の記憶って、そういう魔力があるのかもしれない。
前回、私は「これは歴史小説だ」、「これは大正、昭和と生きた一介の女性による証言だ」 と書きました。それを強く感じたのは、今回の部分を読んだからです。大正時代も、昭和の初期も遠くになりにけり・・・ではありませんが、21世紀に生きる今、20世紀がどんな時代で、どんな歴史を紡いでいたのか・・・。振り返る、又は知識として知ることも大切だと感じられるのです。
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『晴子情歌』 は登場人物が多いので、今回から備忘録代わりにメモ。
そして本が好きな私としては、「いつかは読むかも知れない本」として、登場した書籍名と、判る範囲で著者名もメモします。
登場人物
野口康夫、野口富子 晴子さんの父母。
野口哲史、野口幸生、野口美也子 晴子さんの弟妹。
岡本芳國、岡本初音 晴子さんの祖父母。晴子さんの母・富子さんは三女になる。芳國さんは婿養子。ちなみに長女・次女の名は、房子・民子。
岡本キク 富子さんの祖母で、初音さんの母。
登場した書籍や雑誌名 (作家名だけ出ているものは無視。登場ページの表記は略。すみません)


ここまでは前回読書分に登場した本。










★☆★本日の名文・名台詞 からなのセレクト★☆★
晴子さんの手紙だけなので、覚悟はいいですね?
★いまも、かうして貴方にいろいろなことを書かうとする衝動はこの心身のどこから来るのか、何に向かふ衝動なのかと考へるのですが、しかし現にこんなふうにやつて來る衝動の、なんと自由で清々してゐること。 (p42)
彰之に手紙を書いて送ることを、晴子さん自身が評した一文。
★富子と小説の出會ひは、青春の高揚を繪に描いたやうで、私は想像するたびに自分も少しはそんな時期があつたかも知れない懐かしさと面はゆさに驅られます。 (p52)
前回もピックアップした、「晴子さんの感じたこういう状態は、私にも確かにあった」・その2。「読むことの喜び」が、素直に語られていますよね。
★大正と云ふ時代はたしかに明治の謹厳な重しが外れたやうなところがあつたのですし、この時代の彼らの熱氣を浮ついた議論のための議論と批判するのは、後世の賢い人たちに任せることにしませう。 (p53)
「大正」という時代やその言葉が持つ雰囲気って、不思議ですよね。「大正デモクラシー」だの「大正ロマン」だの、相反するものが共存、あるいは対立していた時代なのか。平成の世、「大正時代」を検証したり振り返ったりする試みも行われてきていますよね。
★本來は生きることゝ一つであるべき人間の品位が、なほも教養や理想と同義語だつた富子の中で、康夫がいつどのやうにして望ましい男性像になつていつたかも、たぶんリアリズムの目よりも浪漫的な情緒のはうが似合ふ話だつただらうと私は思ふのですが、はて。 (p54)
富子さんが康夫さんをどう慕っていったのかを、娘の目から冷静に見ている一文。ちなみに康夫さんは岡村家の経営する下宿に住んでいて、富子さんの家庭教師でもありました。
★私は五年前、あの萬国博覽會の未來都市を見學しての歸り、ふと未來と云ふものがひどくぼんやりとして可でも不可でもないやうに感じられたのでした (p54)
『LJ』 で合田さんがヴァイオリンを弾いていた時にも出てきた、大阪の万国博覧会のこと(私はまだ生まれてませんでした) ちなみに今回のタイトルも、大阪万博から。
★かうして樂しい思ひ出はみな本の家にあつたやうな氣がして來るのは、たヾ子どもであることの無上の幸のせゐでせう。 (p65)
「晴子さんの感じたこういう状態は、私にも確かにあった」・その3。晴子さんの母・富子さんに髪を梳かれている思い出。私の場合、小さい頃は髪がもつれやすかったんで、大変だったと思うな・・・。
★すると康夫は「君は美の直感を數學的に收斂しようとしてゐるわけかい?」と尋ね、重松さんは「美の直感ぢやない、美の形だ」と應へます。 (p71~72)
重松さんは、康夫さんの友人で画家。しかし検挙されてしまいます。晴子さんの夫・淳三さんも画家なので、同じようなことを言っていたなあ、と晴子さんは思い返していました。
夏に再読した 『照柿』 にも、売れない画家だった人物が登場してました。
★病院と云ふところは一旦床に就いたが最後、昨日までとは隔絶されて、あとはたゞ死に向かふのを誰もが爲すすべもなく畏まって待ち、悲嘆や狼狽さへ出口を失ふ非日常の場所です。 (p78)
これは富子さんが劇症肝炎にかかって入院した出来事を語っています。「病院」の項目で、名言・ことわざ事典に入れてほしいくらいの一文ですわ・・・。
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※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。
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お、恐ろしいくらいの鈍いペース。むっちゃ時間がかかりすぎてる~。


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