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あるタカムラーの墓碑銘

高村薫さんの作品とキャラクターたちをとことん愛し、こよなく愛してくっちゃべります
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表目、表目、表目、右上二目一度、かけ目、表目、表目、表目 (上巻p129)

2005-09-16 00:35:50 | 晴子情歌 再読日記
10日(土)の 『晴子情歌』 は、第一章 筒木坂 上巻p123~p167まで読了。

第二北幸丸は出港。目的地に着くまで編み物をして時間潰しをしている彰之は、同室になった甲板長・足立から、松田が昔どこかで彰之を見た気がすると言っていた、と聞く。
晴子さんの手紙は、筒木坂での新しい生活が綴られている。父・康夫の両親、子供と奥さん、孫たち。そしてツネちゃん・・・。
母の手紙から、彰之は大学時代の思い出をよみがえらせて、回想する。

***

いろんな趣味・特技を持つ高村キャラクターは多いですが、今回は「編み物」ですか。最初に読んだ時、私はのけぞりましたよ(苦笑) だって編み物出来ないもん、私!
そういえば秋から冬にかけて、電車内や喫茶店・ファーストフードなどで編み物をしている女性が必ずといっていいほどおりましたが、携帯電話がこれほど普及すると、ちっとも見かけなくなりましたね。

***

これが意外と手間のかかる、登場人物と書籍の備忘録。自分でやると決めたんだから、仕方ない。

登場人物
足立 第二北幸丸の甲板長で彰之と同室。それなりに重要な人物だったりするが、名前は、多分出ない。『黄金を抱いて翔べ』 の名無しの野田さん状態、再び?

野口芳郎、ヰト 康夫さんの両親、晴子さんたちの祖父母。
野口タヱ 忠夫さんの奥さん。子供は全部で八人。筒木坂の家に残っているのは五人。名前が判っているのは、長男・武志、三男・秀行、次女・トキ、五男・平治、三女・タマ
ツネちゃん 隣家に住んでいる子でタマの子守をしている。弟妹三人。姉は名古屋の花街に酌婦として売られた。
野口昭夫 康夫さんの次兄。第二章の方が登場頻度は高い。

福澤公子 彰之の従姉。淳三の兄・啓二郎の娘。 
高倉絢子 彰之が大学生の時に付き合った武蔵野音大生。 

登場した書籍や雑誌名 (作家名だけ出ているものは無視。登場ページの表記は略。すみません)
『数学ジャーナル』  個人的には興味なし(笑)
『サルトル全集』 彰之が大学生だった時代、どうやらサルトル読まなきゃトレンディ(笑)ではなかったみたいです。ところで「実存主義」って、一体何なの?
『資本論』(カール・マルクス) 今さら言うまでもない。
『シートン動物記』 親が子供に読ませたい本によく挙げられますね。アニメになったこともあるし、子供時代に読んだ人も多いでしょう。本文にも出てくる「狼王ロボ」の話が最も有名。
『ジャン・クリストフ』(ロマン・ロラン) 高村作品にしょっちゅう出てきますね。今回読んだ部分では、これに関する記述が晴子さん・アッキー共々、多かったです。再三書いてますが、私は中学生の時に読むのを挫折しました(苦笑) 大人の今なら読めるかな~?
(今回の例外:シモーヌ・ヴェーユの名も登場しておりました) 

★☆★本日の名文・名台詞  からなのセレクト★☆★
今回はさんざん迷ってしまい、結局長い引用ばかりになりました・・・。

★そうだ、自分は反権力を掲げておきながら逮捕されたとたん福澤の名を頼った後輩を先ず嫌悪し、次いで頼られた福澤の名を嫌悪したが、そんなものは些細な感情だった、と。それよりも、全共闘各派の掲げた理念がどれも理念であることすらやめて、組織維持の硬直した行動原理にすり変わった六十八年の全部を自分は嫌悪したのだ、と。しかしそうだとしても、とにかく世界の状況を越えていこうとした連中の意思が、そうした悲惨な形で引き裂かれたことに突然言い知れぬ衝撃を受けた、あの直観はどこから来たのだろう。まさにあれこれの理念が死んだという直観。あるいは自分の生きてきた戦後の時間が死に、この先の地平に何もないのを見たという直観は。
彰之は自問したが答えはなく、代わりにやがて噴出する寸前だったはずの断末魔の言葉や理想の、いまは死んだ熱を呼び戻したとき、その場に参加しなかった者は何かを永久に失ったのだということは二十三歳の自分は考えたのだと思った。
 (p126~127)
かなり長いですが、省くのもどうかと迷いました。前回、「行動しなかったバカ」と自らを吐き捨てた彰之の真意が、これ。

★したども、夜更けにこゝさ坐つてお母(が)さまは<泣いだつた。吾ァお腹痛めた子どもば死なせて、有り難いと云ふしかねがつたお母さまが氣の毒で、吾も一人亡ぐしてるし、忠夫さんは樺太だし、お母さまととひと晩こゝに坐つてだねす。だども、吾ァまんづ何があつても有り難いとは云はね。朝晩、釋迦如来さまは拜むけども、亡ぐした子は諦められねもの。 (p147)
タヱさんの話。お母さまとは、満州で戦死した郁夫さんの遺骨を受け取った、ヰトさんのこと。戦争であれ病気であれ、「子供を亡くす」ということは、「母」である女性には、本当に悲しくて辛いこと。なのに、その「母」から生まれた男性は、どうしてこうも戦うこと、争うことが好きなのでしょうねえ・・・? 女性の「産みの苦しみ」を、知らないからか。

★私には音樂のことも、フランス精やドイツ精のことも分かりませんが、小説の中で或る輕薄なパリ娘がクリストフに云ひます。いつも何かに興味を持つてゐたくてたまらない、と。大學で難しい講義を受けると自分にはほとんど理解は出來ないけれども、それでも自分自身に云ひ聞かせるのだ、自分はこのことに心ひかれてゐる、あるいは少なくとも役に立つのだ、と。このいゝ加減な娘のほんの少し眞面目な思ひは、そのまゝ十代の私の思ひです。分かることも分からないことも一字一句も飛ばさず、少しづつ頁をめくつていくときの、何と明るい靄を見るやうなびであること。 (p148)
「晴子さんの感じたこういう状態は、私にも確かにあった」・その4。そうですよね、本を読む喜びを知った時期は、こんなふうになるもんですよね、晴子さん。

★歴史に主体などなく、世界を知る絶対知や根源的な直観もないとなれば、私たちは何をもって世界を知るのか。貴方や私がこうして言葉を一つ話すたびに生成していく、中心のない、乱反射のような意味や価値の拡散が世界なのか、と公子は問う。 (p153)

★彰之がどうしていまさら『ジャン・クリストフ』なのかと問うと、公子は即座に、これを読んで涙を流した世代をどうやって越えていくかが、私たちの当面の課題だろうからだ、と応えた。歴史に主体はあるのか否か、あるいは中間というものがあるのか、自分たちにはまだ分からないけれども、マルクスやロマン・ロランや、あるいはドストエフスキーが人間というものを考えた、あの確固とした世界や人間の情熱と確信を私たちがもはや感じられないでいることは否定できない。だとすれば、ここに至った道筋を突き詰めつつ、私たちはかつてあった世界や歴史をとにかく越えていくしかないだろう、と。 (p154)
上記二つの引用は、大学生時代の彰之に多大な影響を及ぼした、従姉・福澤公子の言葉。公子さんはハーバードに在籍もしておりました。すごいな~。当時の学生は、こんなにも賢くて、難しい事柄を呼吸をするように考えたり喋ったりしていたのか・・・。
しかし彰之はうんざりしております。母・晴子、姉・美奈子、従姉・公子、当時の恋人・絢子と、彰之に所縁のある女性たちは『ジャン・クリストフ』を読んでいるからです。いったいどういうわけで女はロマン・ロランが好きなのだろうと訝った。 (p150) とありますから。・・・ホントに女性は『ジャン・クリストフ』が好きなのかしらん? いつかは読まねばなるまい。

★新しい人間。公子の口から放たれたそれは、まるでニーチェの言う超人のように聞こえ、その一瞬、目に見えない意思の気体が大気圏外へ向けて発射されたかのような漢字を覚えながら、彰之は唐突に公子は正しいと思った。なぜなら戦後民主主義といっても、戦争の責任も結果も与り知らない自分や公子の世代に、とにかく戦前の無力感を引きずった共産主義は共感しようもなく、もはや貧窮の実感もない東京にも、万国労働者の団結や新たな革命の呼び声が届くはずはなかったからだ。また一方、自己疎外とか実存とかいう言葉の中に一寸、理由もなく人間性の過剰を感じるような感性を備えた世代が来ている、それが自分たちだという漠とした認識を持ったのもそのときだった。 (p155)
もう一つ公子さんの言葉と思想、それに関する彰之の分析を取り上げてみました。彰之の大学生時代の雰囲気や、生きていた空気が嗅ぎ取れるかと思ったからです。

***

※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。

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