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あるタカムラーの墓碑銘

高村薫さんの作品とキャラクターたちをとことん愛し、こよなく愛してくっちゃべります
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酒より、軍艦マーチのほうが効くと思うけど (下巻p162)

2005-11-03 23:31:15 | 晴子情歌 再読日記
9月25日(日)の 『晴子情歌』 は、第三章 野辺地 下巻のp133~169まで読了(のはず。外出したので、往復の電車で読んだ記憶がある)

・・・この記事を半分くらいまで作成中、操作ミスで入力がパーになってしまいました・・・ ショックのあまりふてくされて寝ようかと思いましたが、やり直します。もう一度旧字体を入力しなおさないとアカンのか・・・。

晴子さんの手紙・・・召集の二日前、淳三は晴子さんと結婚するという手紙を書き送り、大揺れの福澤家。結婚式。その夜のひととき。出兵する淳三。谷川巖が出兵前に晴子さんを訪ねてくる。
彰之・・・甲板長・足立がルソン島へ出兵した時の話の続きを聞かされる彰之。松田との会話。トシオとの会話。
彰之の回想・・・杉田初江と過ごした日々。

***

登場人物
杉田初江 彰之が大学生の頃に付き合った女。上巻に出ていた高倉絢子の後に付き合っていたと思われる。

登場した書籍や雑誌名 (作家名だけ出ているものは無視。登場ページの表記は略。すみません)
今回はなし。

★☆★本日の名文・名台詞  からなのセレクト★☆★
今回はちょっと多いです。もう一度やり直すことになって、半ベソ気味・・・。

★この私がそれなりに日々生きてきたと云つても、その思ひは福澤の誰とも共有されるものではないのだらう、と。この土間にゐるのはまさに、探せばどこかに必ずをり、忘れてしまへばそれだけのことでもある「ハル」と云う名の何者かだ、と。 (p121)
結婚式の朝、台所で支度をしている福澤家の女たちを見ての、晴子さんの感慨。急な話とはいえ、福澤家の三男・ろくでなし(笑)の淳三の選んだ嫁は、奉公人の晴子さん。福澤家にとっては、所詮は「よそ者」なのですね。

★火を眺めてゐると、こゝろとも身體ともつかない未分化で茫洋とした何かの情動が募つていきます。燃えてゐるのは、長年この暗い臺所の漬物石のやうに何者でもなかつた私の無念が半分、何かしら生まれようとしてゐる淳三への思ひが半分だらうと思ひましたが、愛情とは違うその感情を何と呼びませうか。いゝえ、一人の人間が私にとって何者かになることの感情と云ふよりは、その人を私の何者かにすることの意思であつたかも知れない。それは結婚と云ふ形も、生活も愛情も未來も何も關係ない、たゞ私の中に湧きだした何かの刹那の欲望であつたのでせう。そこにたまたまゐたのが淳三と云ふことです。 (p127)
送別を兼ねたささやかな宴会の後、淳三の洗濯物を竈の残り火で乾かしている晴子さん。この「残り火」に重ねた晴子さんの描写はすごく好きです。晴子さんの中で、何かが終わった証を暗示しているかのよう。火を見つめながら自分の心情を仮託するところなぞ、何だか万葉から平安の時代に詠まれた和歌が、思い出されませんか?

★一人の人間がある日戰地へ行くと云ふのも、それを送り出すと云ふのも、尋常な経ではゐられない異様な出來事です。しかしそんなときでも生きるのが上手い人と下手な人がをゐるもので、淳三は明らかに後者でした。 (p127)
晴子さんから見た淳三。そんな淳三と過ごす夜、晴子さんはいろんな話を持ちかけたり、五目並べをしたりと、召集前の淳三の気を紛らわせようと努めたのでした。

★そのとき淳三は一寸不思議な表情をしてをりましたが、あれはまるで私の顔や道端や野邊地のさらが全て透明になつてその向かうが見えると云つた、ぽつかり開いた穴のやうな清々した顔でした。あるいは未だ半分も形になつてゐない人生や、繪や、野邊地や、家や人間の全部から自由になつた短い解放感があつたのかも知れません。――――いまもその話をしたら、淳三は一言云つただけでしたけれど。もし人生に訣別する顔でもしたのなら、まだ戰争の姿を知らなかつたと云ふことだ、と。 (p132)
翌朝早く家を出た淳三さんと、握り飯を持って後を追いかけた晴子さんとの別れの場面。

★さて、かうして何もかも過ぎ去つたと一時は考へた私でしたが、現実は逆で、谷川巖が激しい息づかひを立てゝときともなしに私の傍らにゐると感じるやうになつたのは皮肉なことでした。數へで二十三歳の私は未だ男女のことを知らず、生來それほど欲望が強いはうではなかつたと思ひますが、それでも日夜私の中のどこからか聲がして、この身體に觸れてほしい、愛撫してほしいと云ひ、その都度若々しく逞しい男の手や固く締まった腰や鋭く白い首筋を思ひました。最後に見た巖の手や肩や腰の形を一つまた一つ舐めるやうに思ひだし、幻想の爐で熱し熔かし續ける私はもう幾らか頭が變になつてゐたのか、あの巖の赤々と艶やかな肌を食らふ夢を見るのです。 (p135)
召集がかかった谷川巖が訪ねてきた後の晴子さん。たった一日違いで、晴子さんは巖の知っていた「野口晴子」ではなく「福澤晴子」になってしまった・・・。まさに「運命のいたずら」。名ばかりの夫・淳三とは全く正反対の巖が現れたことは、晴子さんの中の「女の性」に再び燃え上がる何かを投与されたものなんでしょうか。

★「(略) 喉乾がして、息もたえだえにして倒れながら走っている吾ァ、一人ど。重機一門と一つにるなって骨と皮の二本脚で走ってる吾ァ、世界の果てまで一人ど。兵だァ一人で生ぎて一人で死ぬ。怖いものも、したいこどもない。吾ァ一人だ……。そうだ、あのとき吾ァ虫になって蓑ば被って、小さく小さく固まって冬眠する夢ば見だ……」
「一人」というのは、前近代的なあらゆる錯誤をかき集めて築かれた日本陸軍の、自分もまた「一人」という意味か。あるいはその軍隊の崩壊を目の当たりにしている、寄る辺ない兵隊「一人」か。
 (p142~143)
足立さんの話と、それを聞いての彰之の感慨。足立さんの話は、読んでいて重くて辛いものを感じますが、目を背けることは出来ません。眼前で起こっているかのような表現力が、あまりに優れているから。さすが高村さん! でございます。

★そうして、何だか自分の腕のほうが思いがけない磁石に引かれているような感覚に陥るとき、彰之はふと自分が女をひっかけたのではなく、自分こそ女の張りめぐらせた磁場にひっかかったのだという不可解な閃きにとらわれたものだった。内気でおとなしい、目立つほどの容姿でもない女一人、想像もしなかった何かの磁力線を発して男の皮膚を捉え、共振させている――――。 (p147)
初江という女を彰之から見ると、こんな感じだそうで。これはほんの一部分の引用ですが、こういう「内気でおとなしい」女性の底の深さと暗さを、学生だった彰之はまだ知ることはありません(苦笑)

★「悲惨な記憶でも、ですか」
「何が悲惨かは足立が思うことだべ。俺は最近よく思うど……。戦争だろうが何だろうが、何十年も繰り返し繰り返し、こころの中で戻っていくものがあるというのはいい。あんたはどうだ? 俺には、それがない。これは家族も子どもも関係ない、自分のこころの話だ。足立に会って分かったのは、そういうことだ」
 (p165~166)
彰之と松田さんの会話。次の彰之とトシオの会話と比較するのも面白いかもしれません。

★「みんな、懲りないよね」という例の拍子抜けした声が聞こえ、「何が」と彰之が適当に応えると、「戦争とか、炭鉱とか、二百カイリとか」という返事が返ってきた。
「懲りないというのは、どういう意味だ」
「だって戦争に負けて、炭鉱が潰れて、今度は海まで取られて。いい加減やられっ放しだってのにさ、それでもみんな生活に追われて走り回って、泣いて笑って、燃え尽きて、はい終わりって感じ。躁もいいとこだ。……去勢された牛って、肉質が良くなるんだって。知ってる?」
「君らの世代はどうしたいんだ」
「煮ても焼いても食えない肉になるよ、たぶんね……」
 (p167)
彰之とトシオの会話。トシオの台詞を入力するたびに、「面白いなあ」とつくづく感じてしまいます。今回のタイトルもそう。
しかしアッキーは、この頃から既にお坊さんの素質というか資質というか、そういう特徴を無意識に発していますね。全く世代の異なる足立さん、松田さん、トシオの話を聞き、対話をしているのですから。宗派や信仰は違えども「聖職者」と呼ばれる人たちには、備えていないといけないものの一つ。それは「他人の話を聞く、聞き上手でなければならない」ことだと、私は思っているので。

***

※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。

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