あるタカムラーの墓碑銘

高村薫さんの作品とキャラクターたちをとことん愛し、こよなく愛してくっちゃべります
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東映ヤクザというより日活ポルノ (下巻p281)

2006-03-05 23:34:52 | 晴子情歌 再読日記
2005年9月29日(木)の 『晴子情歌』 は、第四章 青い庭 下巻のp280~309まで読了(したことにしておいて・・・キリがいいから) 短いですが、今回も見逃せない部分がいっぱいですよ!

彰之・・・松田との会話から、晴子さんの隠された過去を知る彰之。トシオとの会話。
彰之の回想・・・上記によって、晴子さんの言動を回想する彰之。(←そのまんまやん)

非常に個人的なことですが、今回のタイトルはもう一つ候補があって、どちらにするかさんざん迷ったのでした。
その候補は同じページのトシオの台詞、「お兄さんがた、あたしは女を捨てました」
(たったこれだけで3か月も悩んだということは、決してありませんから・・・ええ、ありませんとも!)

もう既にお気付きでしょうが、「晴子情歌再読日記」の各記事のタイトルは、小説の本題・重要な内容とあまり関係なさそうな部分、あるいは微苦笑を誘うような部分を、意図的にピックアップしております。(さっき眺めてみたら、そうでもないのもありますね・・・)
「微苦笑」というと、どうしてもトシオの台詞を選んでしまう。「お兄さんがた」を選んだら、またもやトシオの台詞になってしまいますから、今回は止めたのでした。

***

登場人物
なし。

登場した書籍や雑誌名
『ひかりごけ』(武田泰淳) 日本推理作家協会が編んだアンソロジー 『推理作家になりたくて』 第三巻「迷」 で、高村さんが取り上げた作品でもありますね。ちなみにご自身が選ばれた短編作品は、「みかん」 でした。
『空想より科学へ』(エンゲルス) ・・・こんな難しそうな本、よく読んだよね、晴子さん・・・。
『サロメ』(オスカー・ワイルド) 
『サド侯爵夫人』(三島由紀夫)
上記2つの戯曲は、トシオの台詞に出てきます。トシオはギリシア悲劇も演じていました。しかも全て女役で・・・。


★☆★本日の名文・名台詞  からなのセレクト★☆★

★不条理なのは松田という存在そのものか、それとも松田を自分の目のなかに棲まわせる自分かと、彰之は何度も考える。 (中略) それ以上の何があるか。好奇心ですらない、この衝動はいったい何だ。ただでさえすっきりしない水路に新たな淵を生みだして、そこに見知らぬ男一人棲まわせ、眺めている自分こそ何者だ。 (p282~283)

松田さんに再三、「あんたに似た女を知っている」と言われ続けた彰之。そりゃ気にならないはずがありません。
ところで後半の文章、官能的だなあと思ったのは私だけ? 「高村作品男性キャラクター同士の法則」(←何それ?)に当てはめたら、意外としっくりくるんですよね~。

余談ですが、彰之は「松田某」と繰り返していますが、彼のフルネームを覚えていますか、皆さん? 「松田幸平」ですよ。

★言葉が爆発する――――。ここに至るまで何ひとつ言い当てたこともなく、父や母や自分自身の周りをぐるぐる巡りながら溶け出し、折り重なり、腐敗ガスを発してきた言葉が煤を上げて燃え出し、爆発する。その爆発はいまだに少しも明晰でない額の奥の水路に引火し、そこにひそむ淵の一つ一つがさらに爆発する。たとえばとある日曜日に青森駅前に立った中学生の、学生ズボンの下ですかすかするひ弱な二本の脚が帯びていた微細な興奮や不安の言葉。市場の人ごみのなかに母の日傘やワンピースを見るとき、その脚をかすかに震わせて駆け上がってきたふわふわ、ざわざわする自意識の言葉。その周りに降り注ぐ駅や市場や連絡船の喧騒と混じり合い、響き合いながら漂っていた過剰な言葉の全部が爆発する。むしろいまや、一つ一つの瑣末なかたちが見分けられないような渾然を目指して爆発し、溶解する――――。あるいは、長年不確かに振動し続けてきた言葉の塊が壊れ、崩れ落ち、外へ向かって放射されるだけのことかも知れなかったが、ある種の発散か嘔吐のようでもあるこの心地は、これこそ〈暗いすがすがしさ〉だと彰之は思った。いったいこんな衝動を自分はどこで知ったのだと驚くような、いまや自分が自分のようではない、破壊的に軽々とした暗いすがすがしさだった。 (p287~288)

長い引用になりました。端折ろうかと迷ったんですが、ここは彰之が「爆発した言葉」を発言した直後の描写で、かなり重要な部分だとも思いますので・・・。(どういう言葉だったのかは、ネタバレになりますので取り上げません)
平たく言えば「爆弾発言後の、発言者が味わっている感情」の描写なのですが、それを高村さんは1ページの約2/3を費やして表現されています。彰之の10代から現在の30代にかけての時間を一気に遡り、あるいは一気に駆け上がるかのような、そんな「爆発する言葉」の余韻。
しかし、これを耳にした松田さんの心境を察すると、何と言っていいのやら・・・。

★言葉は彰之の口から放射されては溶けだし、混じり合い、言い当てたいと思った中心はそのつどむしろ彼方へ遠ざかるのだったが、爆発する言葉のあとに来る〈暗いすがすがしさ〉とは、ひょっとしたら元の言葉の塊にはもう関係ない、こうした何かのむきだしの生理か身体の感情のことだったかと思った。 (p291)

「爆発する言葉」の発言者・彰之は、その言葉は取り戻せないし、取り返せないことを、この時感じているわけですね。言わずにはおれなかった彰之の気持ちも、解ります。だけどこの虚しさは何なのでしょう。
「言霊」という言葉が日本にはありますが、「爆発する言葉」は言った者にも聞かされた者にも、どちらの魂にも突き刺さる、後味の悪い、苦いものになっているのでしょう。

★そう言って蠢く肉の声はいまは彰之のなかに深くもぐり混み、剛直な男の肉をも微動させ、緩んだり締まったりしながら二つの肉を混じり合わせていくのだったが、母にしろほかの誰かにしろ、そんなふうに自分の肉の奥深くで人ひとりの存在の重力を感じるなど、これまでになかったことだった。彰之は一瞬、三百日も読み継いできた長大な母の手紙のなかに自分が沁み入り、行間に偏在する母の重力を自分の肉に吸い込んでいるような感覚のなかにいて、その鮮やかさにあらためて驚いた。言葉にして語られずとも、行間のどこかにいたに違いない四十歳の母が、自分の肉と一つになってまざまざと感じられることに驚き、自分に分かるはずのない四十の女のなにがしかの波動が、錯覚であれ自分の肉を共振させていることに驚き、人について何かを思うことの、この異様な集中がとりもなおさず自分をどこかへ運んでいくような怖れに押し流されながら、どれもこれも自分の人生に何かの奇跡が起こっているのだと思った。 (p297)

高村作品に頻繁に登場するキーワードの一つ、「重力」を取り上げてみました。彰之が母の晴子さんと「同化」してしまう描写が秀逸ですね。
晴子さんの手紙が、文字通り彰之の血肉となっていくこの場面。晴子さんと彰之の関係は「母と息子」であることは周知。だけどここに、それすら超えた「女と男」、「一個人と一個人」の関係も窺えます。

★「ね、笑えるでしょ。何でも破壊するのがカッコよくてさ、それでエロだのグロだのと言ってられるいい時代さ、ほんと」
「ぼくの世代には、君らの破壊は露骨すぎて退屈だよ」
「うひょ!」
トシオは一つおどけた奇声をあげて通路を立ち去っていったが、最後に出入口のところから「だったら退屈でないものを教えてくれよ!」と、甲高く尖った声を張り上げた。
 (p308)

「トシオについては改めて取り上げる予定」と、以前の記事に添えてありましたので、ここでやります。
「何で彼の名前だけは、カタカナ表記なんだろうか」と疑問を抱いたことは、ありませんか? 苗字は「小比類巻」と凝っているのに(苦笑)

私見ですが、高村さんは「漢字を当てはめることが出来なかった」のではないでしょうか。
「カタカナ表記」の持つ意味は多種多彩にありますが、トシオの場合は「記号」を表しているのではないでしょうか。
では、何の記号なのか。「トシオと同世代の人たち」・・・だと、私は思いました。

上記の引用からもお解かりのように、彰之の時代からしても、トシオの世代は既に「不可解」のようです。それを明示するためにもトシオというキャラクターの存在は必要だったろうし、かといってトシオのキャラクターが特異というわけでもない。だけど「トシオの世代」を描くためには、記号化するのが的確かもしれない。記号化すると、「不可解」という何となくもやもやした雰囲気が、醸し出されるからです。その裏に隠れた意図で、「カタカナ表記」にするしかなかったんでは・・・と、今回の再読で改めて感じたのでした。
(念を押しますが、以上はあくまで私見です。皆さんの解釈は違って当然だと思っておりますので・・・)

第ニ北幸丸の乗組員の中の「世代間の違い」は、彰之を筆頭として、足立、松田、トシオのキャラクターを通して随所に見事に描かれています。「恐れ入りました」と言うしかない。

★既成の価値観の破壊は、破壊というまた新たな価値観を産みだしているに過ぎないのだと言っても、そういう旧世代の言葉自体がもはや通用しない、なにがしかの自己完結の世代がいまや出てきているのだろう。折々のばか笑いやグロテスクに仕込まれたトシオの毒は、自分たち旧世代の皮膚を蚊のようにちくちく刺しながら、ゆるやかな麻痺はたしかにもう始まっているのだろう。彰之はぼんやりとそんなことを一つ考え、新しい時代の新しい孤独のかたちを思い描いたそのとき、彰之は少し前から自分の肉をざわっ、ざわっと震わせている単純な振動の正体をやっと捉えたと思った。或る感情。これ以上分割出来ない、単細胞生物のような〈寂しい〉の一声。 (p309)

さて、また一つ新たなキーワードが出てきました。<彰之シリーズ> (・・・と誰も呼んでいないようなのですが、もうこのように名付けてもいいですよね?) を通しての、重要なキーワード。(第三部でも、恐らく出てくるだろうと予想しておりますので)
『新リア王』 (新潮社) 下巻のラストページにも、福澤榮のキャラクターを通して、同じ言葉が登場しておりました。

★種々の理由はもはやあるような、ないようなであり、ざわっ、ざわっと鼓動のように打ち寄せてくる波があるだけだったが、その、鈍く冷えた振動の一揺れ一揺れが自らを押し包むもののない、孤独な各々の肉の声だと思った。自分自身のこの肉と、そのなかにもぐり込んで響き合う母や初江や、そのほかの全部の肉が、種々のささやかな思いを削がれたり捨てたりするたびに各々小さく収縮し、一人きりでため息を吐く声だと思った。彰之はいま、ばかみたいにすっきりとして寂しかった。 (p309)

「爆発する言葉」を発した後に残るのは、己の肉体しかないのでしょうか。


今回引用した部分のほとんどで、否が応でも連想されたのは、『レディ・ジョーカー』(毎日新聞社) の合田さんの台詞でした。

「多分、私は今生まれたばかりで、何もかも怖いのだと思います。こうして生きていることが。ひとりの人間のことを昼も夜も考えていることが。人間は、最後は独りだということが……」 (『LJ』下巻p437)

彰之が感じ、体験したこと。母であり女であり個人でもある晴子さんと同化したこと、孤独や寂しさを感じたことにも、通じるのではないかと思いました。

***

約3か月ぶりの、このカテゴリ更新でした。じっと耐えて我慢して、ずっとお待ちして下さった皆様に、謝る言葉が見つかりません・・・。

あと1回で終わる予定。(ひょっとしたら、総括の記事を入れるかもしれません)
だって3月中旬か下旬に再読を予定している、『リヴィエラを撃て』(文庫版) が控えていますからね。これは出来るだけ日数を空けないように、更新していきたいと決意(だけは)しておりますから(笑)



4 コメント

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文藝春秋 (くん)
2006-03-13 17:15:48
タカムラーさんですもの、文藝春秋4月号の「カワイイ、アナタ」はもうご存知ですよね。合田さんから義兄に宛てた手紙、というので期待して読みました。でも、誰から誰へでもいいんじゃないのかな~

ただ、私の頭の中ではしっかり映像が「合田が書いて義兄が読んでる」と出来上がってしまいましたけど・・・(それが狙いなんだね

からなさんの感想を聞いてみたいです。
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読みましたよ! (からな)
2006-03-13 23:35:55
くんさん、こんばんは。

何も知らずに素のままで読んだので、ビックリすることがたくさんありました。



まずタイトルにビックリ。「カワイイ、アナタ」・・・恋愛小説にゴマンとありそうな気が・・・(恋愛小説は全く読まないので、よく解りませんが)



続いて、出だしにビックリ。書簡形式で「拝啓」「小生」「貴兄」「刑事」ときたら、「これは義兄弟か!?」と、そこで気が動転してしまいました(笑)

だからヘンに興奮してちゃんと読めなくて・・・。平静さを取り戻したら、改めて再読します。



読みながらも、「これは義兄弟だろうと勘違い(?)する人は、たくさんいるだろうなあ」と思って、くんさんのコメント拝見したら、やっぱりそうみたいで(苦笑)



ですが、くんさんが書いてらっしゃるように、



>誰から誰へでもいいんじゃないのかな~



・・・も、正解の一つだと思います。この手紙の書き主、50代男性でも通用すると思うんですよ(大笑)



ああ、だけど! どちらか一方でもいいから「名前」を出してくれていたら、こんなに悶えなくてすんだのに~!(笑)



>それが狙い



・・・なのかもしれませんね。高村さん、ホントに罪な方です。

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なるほど (くん)
2006-03-14 08:09:10
ネット上では「合田から加納へ」と、当たり前のように騒がれていたので、私も「そのつもり」で読んでしまいました。み0わさんのところも・・・

冷静さを失ってはいけませんね

それにしても、もうすぐ彼の47歳のお誕生日ですね私の知り合いもだわ。世の中でこんなに4月1日の誕生日が騒がれているのを、知らないんどろうな~
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私がひねくれてるだけかも(笑) (からな)
2006-03-14 23:26:51
くんさん、こんばんは。



>「合田から加納へ」



・・・も、正解の一つだと思いますよ。

私、あまのじゃくなので、「これは義兄弟」と素直に信じられなくって(苦笑)



1.手紙の差出人は義弟で、受取人は義兄である

2.手紙の差出人も受取人も、義兄弟ではない

3.この物語は義兄弟かもしれないし、違うかもしれないけれど、本音を言えば義兄弟だと信じたい



・・・のパターンに、反応が分かれているのではないでしょうか。





>47歳のお誕生日



そうか、『LJ』の時間から10年経つんですね~。

こうして年齢を表示すると、意外とショックなものですね~(笑) 未だに私の中では、『LJ』の時点の「36~37歳の合田雄一郎」の面影があるので。



しかし次回作での合田さんは40代。

義兄よろしく、そろそろ白髪が生えてきたり・・・? (まさか「ハ×」てるなんてことは・・・ないでしょう)

お酒の飲み過ぎで胃の調子がちょっとおかしくなったり、おなかがぷっくら出てきたり・・・?



・・・なんて合田さんは、出来れば見たくないものです(苦笑)

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