三十間堀川沿いをひたすら歩く。どーんと突き当たったところからは、平林の貯木池と同じように、護岸壁が邪魔で三十間堀川が見えない、天保山運河が見えない・・・。
気を取り直し、地図に従って天保山運河が見えるよう、新福崎橋を目指します。
雨の下でざわめく水面には艀や材木運搬船が数艘横たわり、その先には水門があり、その向こうは貯木池で、廃油の匂いにまじって原木の樹皮が香ってきた。 (『李歐』p237)
新福崎橋の上から撮影した天保山運河。左側の高速道路は湾岸線、そして三角形のアーチは天保山大橋です。
福崎とその周辺・その1では、三十間堀川の上流の水門を撮影しましたが、この水門は下流のもの。
この水門から、李歐の乗った船が旅立ったのですよ。
・・・と何度か位置を変えて撮影していたら、本当に水門から船が出てきた!! 何というタイミングの良さ! おお、リ・オウ。このやろう。(作品ごちゃ混ぜ)
ところが船は残念なことに、李歐の採ったコースを走らず、そのまま写真の左側へ真っ直ぐ進んで行ったのでした。
しかしまともに撮れたのがこれ一枚のいうのが情けない。
李歐が採ったコースは、以下の通り。
船は人が歩くほどの早さで天保山運河へ出ていき、ゆっくり旋回して尻無川の方向へ船首を向けた。 (『李歐』p264)
三十間堀川の水門から天保山運河を出て・・・
撮影している新福崎橋の下を通って・・・
尻無川の方向から大阪湾へ。これも天保山運河ですよ。左側が尻無川河口、右側が大阪湾へと続きます。
この橋は前々回紹介した、千歳橋です。
・・・ところで一彰は、どこから船を見送ったんだ?
気を取り直し、地図に従って天保山運河が見えるよう、新福崎橋を目指します。
雨の下でざわめく水面には艀や材木運搬船が数艘横たわり、その先には水門があり、その向こうは貯木池で、廃油の匂いにまじって原木の樹皮が香ってきた。 (『李歐』p237)
新福崎橋の上から撮影した天保山運河。左側の高速道路は湾岸線、そして三角形のアーチは天保山大橋です。
福崎とその周辺・その1では、三十間堀川の上流の水門を撮影しましたが、この水門は下流のもの。
この水門から、李歐の乗った船が旅立ったのですよ。
・・・と何度か位置を変えて撮影していたら、本当に水門から船が出てきた!! 何というタイミングの良さ! おお、リ・オウ。このやろう。(作品ごちゃ混ぜ)
ところが船は残念なことに、李歐の採ったコースを走らず、そのまま写真の左側へ真っ直ぐ進んで行ったのでした。
しかしまともに撮れたのがこれ一枚のいうのが情けない。
李歐が採ったコースは、以下の通り。
船は人が歩くほどの早さで天保山運河へ出ていき、ゆっくり旋回して尻無川の方向へ船首を向けた。 (『李歐』p264)
三十間堀川の水門から天保山運河を出て・・・
撮影している新福崎橋の下を通って・・・
尻無川の方向から大阪湾へ。これも天保山運河ですよ。左側が尻無川河口、右側が大阪湾へと続きます。
この橋は前々回紹介した、千歳橋です。
・・・ところで一彰は、どこから船を見送ったんだ?
からなさんの写真を見て感じるのは、何て的確なんだろうということです。同じところに行ったはずなのに、まるで初めて見る景色のような…。
一番びっくりしたのは、新福崎橋から見た三十間堀川下流の水門です。ここが三十間堀川と天保山運河を結ぶところだったんですね。私の場合、最初三十間堀川を渡って「あぁここが三十間堀川か。」と感動し、新福崎橋から天保山運河に臨んでここを李歐の乗った船が通ったんだな…と感慨にふけったのですが、実は
三十間堀川と天保山運河が別々の景色として残り、ひとつに結びつかなかったんです。
>この水門から、李歐の乗った船が旅立ったのですよ。
ここを読んでガーンとなりましたね。そうだったのか。地図では分かっていたのですが、実際の場面としてはあの水門をくぐって行ったのかと、目から鱗です。
>本当に水門から船がでてきた!!なんというタイミングの良さ!おお、リ・オウ。このやろう。
には大爆笑です。
三角形のアーチは天保山大橋だったんですね。弁天町のホテルから大橋と大観覧車を見るには見てたんですがね…。
>「その2」ということはまだまだ続くということですよね。
福崎は「その3」がラストです。
sougennさんも渡られただろう三十間堀川の歩道橋の上から撮った写真をアップします。
>何て的確なんだろう
それは高村さんの表現力に負うところが多いと思いますよ。「そのまんまやん!」と幾度感嘆したことか・・・。
>同じところに行ったはずなのに、まるで初めて見る景色のような…。
多分お天気のせいで、雰囲気が違うのかもしれませんよ? この日は本当によく晴れていましたから。
雨だと、小説の雰囲気に近い景色だったんだろうなあ。
>>おお、リ・オウ。このやろう。
>には大爆笑です。
ウケて下さってありがとうございます(笑) もう、ここはこの台詞しかないでしょう!(笑) 本当に李歐がサービスしてくれたと思ったから(←そんなわけない)
>大橋と大観覧車を見るには見てたんですがね…。
『わが手~』や『李歐』のこの時は、昭和40年代。湾岸線や天保山大橋や観覧車は平成に入ってから出来たので、この景色は当時と雰囲気が全く違うはずです。
もっと大阪湾が広く見渡せたと思いますよ。