当日(昨日)。テレビでちらっと見ただけだ。あまり興味がないもので。
安倍元首相に感謝するのは、政府のやることには裏がある、と思い知らせたことだ。ぽやっとしていると騙される。面倒だけどいちいち吟味しないといつのまにか思いがけないことになっているのだ(今だと、医療費の減額制度とか)。
一般人の献花の列が長いとか・・・受付(手荷物検査とか)に時間をかければ列の長さは調整できる。「この中(翌日に2万人と報じられた)の何割が旧統一教会(教団にとって元首相は今も権威付けの手段になっている)や日本会議関係の人がいるのだろう」とまず思った。
(ちなみに。「大喪の礼」の際に記帳に行った人の中には、「歴史的な場面に立ち会いたい」だけの人もいた。ミーハーを自認している人だった。そもそも、日本人は行列があれば並びたい人が多いし、並んで長時間を費やすのに慣れている)
菅(すが)元首相の挨拶。仲良しには優しく援護しお金も回すが、そうでない「あんな人達」は敵視しスケープゴートにする安倍氏の手法を思い出させた。
きれいごとの裏。ある人達をきれいごとや地位や財産で満足させるには、その他の人たちの分を減らさなければならない。落ち目の日本なのでパイは小さくなっている。
政治家のあるべき姿とは、限られた資源をより公平に分配して多くの人の満足感をより高めることではないだろうか。安倍氏達のように、与党であるための最低限の有権者数を確保するための分配を続けるなら、個人よりも組織票をあてにし続けるなら、分断は進む。そして分断の相手側を「過激派」「反日」「老害」とラベリングして排除していく。スクールカーストみたいだ。
人の集団の分断は自然なことだ。それをある程度まとめるのが政治家なのに、彼らは逆をやっている。
この「国葬議」決行でより鮮明になった。
外国の要人の人数や内訳のこと。
国葬の話が出た当初は、オバマ元アメリカ大統領・メルケル元ドイツ首相・マクロン現フランス大統領・・・など、大物かつ意外な(安倍氏と相性が悪そうなので)人物達も来日する、と言われていた。それが、トランプ元アメリカ大統領さえ来なかった。日本という国ではなく安倍氏という個人が外交成果を上げた、というのはやはり誤解だと思う。
安倍氏は気前良く外国に「援助」「協力」した。日本の資金で(そこには「あんな人達」から徴収した税金も含まれていたんだよ〜)。「東京2020」招致の決め手は、政府・委員会などからアフリカに多額の資金提供だった。
・・・とはいえ。「**国の**大統領も来てくださいました。だからすごい」というのは、旧統一教会ぽいし好きじゃない(自民党国会議員は依頼があれば見知らぬ相手でも祝電を送るのが当然だったそうだし)。
だから、そうそうたるメンバーが来なくても、「やっぱりその程度」というのはよしとけ、と思っていた。
だが。
サルコジ氏とかウルフ氏とか。汚職などで地位を追われた元首脳が集まるのはあまりにも・・・。多くの疑惑を抱えたままの安倍元首相とカードが揃いすぎていてうんざりした。
菅(すが)前首相だって、NTT疑惑は曖昧なまま(検察庁がたぶん人事権で政権にコントロールしていたことは公然の秘密ぽい)の辞職だった。
政治家以外の参列者には、「桜を見る会」出席者もいただろう。森友学園事件では籠池家・赤木家を苦しませ、多くの公務員達が後ろめたい思いを持って生きるはめにした、昭恵夫人が喪主。
ダークな世界・・・。大丈夫な人もいるのだろうが、私は触れたくない。
今朝。テレビ番組で葬儀場近くでデモ隊を止めようとしている葬儀支持者の映像を見た。
賛成派・反対派の間で怒号や暴力沙汰が起きるのは見たくなかった(私自身、安保法制「改正」反対デモで演説を聞いていたら若い女性に体当たりされたことがある。敢えて相手にしなかったが、こんな人がいるんだ、と衝撃だった。初めて痴漢にあった時と似た衝撃だったなあ)。
デモをしているなら警察に許可をもらっているだろう。それを認めたくない、という人がいるのは「やっぱり」だが。現実に食ってかかる人は「法律」の価値や地位や意義をどう思っているのか。
何年か前の香港では、民主派運動に反対する一般人グループを装って暴力を尽くす、香港政府に雇われた人達がいた。日本でも。学生運動に対して政府がフィクサーを介して右翼や暴力団を投入したそうだが。「ああいうのは日本が未熟だった昔の出来事」と思っていたが。もしかして繰り返されたりする?
安倍元首相の「国葬儀」が、「民主主義・近代国家・法治国家を目指し続ける日本」の葬儀に思えなくもない。