トラカリコン!

「虎・借り・コン!」。虎の威を借りた狐。虎の威を借りて吠える狐が私…。虎が何であるかは、本人にもわからない。

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「議論するな・忘れろ」(政府・勅使河原氏・太田氏・差別したい人など)

2022-09-24 17:16:04 | アベスガ政治の仕上げ中?
旧統一教会幹部の記者会見を見ていると、第2次安倍政権・菅(すが)政権時代の政権の話法と似ているなあ・・・と毎回思う。

建前・上澄みの話だけして、具体的・面倒・際どい話には答えない。そういうことは現場に丸投げし、不備があればトカゲの尻尾切り。だが。民間企業に丸投げする政策が増えていてますます監督責任の意識が感じられない。


しかし。
旧統一教会は、2つの政権とは違う状況にある。
深く広く長く追求・追及してきた弁護士・ジャーナリストが多数おられるし、多くの証言者(信者・元信者・信者の家族など)や証拠書類が揃っている。
2つの政権では、取材や報道が政権によってコントロールされていたし、証言者は少なく(愛媛県は健闘していたなあ・・・中央官庁にも少数の勇者はいたようだが)証拠書類は改ざん・廃棄されてしまっていた。





旧統一教会の幹部は「マスコミによる魔女狩り」みたいなことを言っていたが。
証言や専門知識や取材で裏付けられた多くの情報が提供され、人々はそれらに接して考え判断するというのが、本来の姿だと思う。
旧統一教会にも自民党にも、反論の機会は保証されている。反論よりも「議論するな・忘れろ」という姿勢が強い人達の方がおかしい。

なんで社会の問題を「考え尽くす」のが否定されるのか。考えるにあたって材料をとことん集めるのがなぜだめなのか。
考え尽くすのも材料をできるだけ集めるのも、仕事や研究や趣味を極めるための基本だろう。それを日常的に身につけるのは人としての「成長」じゃないの?

特に、旧統一教会は、教会の教えでなく自分の考えに従うこと、それどころか自分なりに考えることすら「サタンが入ってきている」と批判するそうだ。
それって民主主義の否定なのでは? そして、間違いなく論理的思考を失わせる。社会や経済や技術力が弱体化する結果になるだろう。




「議論するな・忘れろ」という姿勢の根底には、他人への不信感があるようだ。
太田光氏は、日本国民全員が理性的に振る舞えるわけではないから、というようなことを言っていた(「サンデージャポン」)。相手が旧統一教会の信者だというだけで差別したりする人もいる。それは危ないと思うから、太田光は旧統一教会擁護派か、と誤解されがちな発言をしている、と。


(差別感情が生じる人がいるから、そんな感情が生じないまたは感情を抑えられる人をひっくるめて「議論するな・忘れろ」、というのは合理的とは思えない。膠着せずに進んでいきたい)


太田さん、まずは誤解されないように話せばいいじゃん・・・とは思うけど(これはある年齢までに身につけておきたい能力だが、個人差はあるよね。私も人のことは言えないし〜)。
COVID−19蔓延の中、差別や暴力もあった。それらは報道されたが、旧統一教会信者へのそれはされていない・・・が、0件ということはないだろう。太田氏の危惧は現実的だと思う。
同時に、旧統一教会幹部、特に22日(木)の勅使河原氏の発言には、共産主義への差別感情を感じる。




内心が差別感情にあふれていても、いちいち表に出す必要はないじゃん・・・とは思うけど。差別をする人は「予防」という意識でいるようだ。
予防で固めて「今・ここ」が悪化したら意味がない。病人として治療を受ける身になって実感している。身体も自然界も人間界も、複雑系の話なので人類には「正解」はたぶんみつけられない。
できるのは、誠実に取り組み、次世代に引き継ぐことだ。何代か先の人達が「正解」に達するかもしれない。



もし、今回の件で差別されている旧統一教会の信者の人がいるのなら。自分が差別している相手(共産主義者なんでしょ?)のことを考えてみるのはどうだろう。
ああ。旧統一教会の教えでは、自分で考えちゃいけないんだっけか。ってことは、旧統一教会と共産主義者は永遠に相容れないってこと?
不毛だなあ。