☰(乾)と☷(坤)は万物の父と母ですので、易の配列は実質的には「水雷屯」から始まります。
「天智有り、然る後に萬物生ず。天地の間に盈つる者は唯だ萬物なり。之を受くるに屯を以てす。屯とは盈つるなり。屯とは物の始めて生ずるなり。」
屯という文字は、草が始めて地上に出ようとして苦しんでいる様を表しています。地上に芽を出した植物が全て成長することはありません。朝顔を種から育ててみると解りますが、いっせいに芽をだした朝顔の殆どは育ちません。何分の一しか育たないのです。それ程、生まれたものが順調に成長することは大変なことなのです。
易の配列の始めに屯があることは、意味があることなのです。人間を含めて、動物や植物が生を得て、成長することは困難が伴うことを表しています。生命の成長と同じく、物事は全てがそうです。何か事業を始めようとすると、その産みの苦しみは困難の連続です。易には困難を表す4つの卦がありますが、この卦はその一つです。屯難の卦、産みの苦しみです。
「水雷屯」の次にくるのが、「山水蒙」になります。無知蒙昧の蒙です。
「物生ずれば必ず蒙なり。故に之を受くるに蒙を以てす。蒙とは蒙(くら)きなり。物の穉(おさな)きなり。」
人間に限らず、物が始めて生じた時には、必ず無知蒙昧なものです。蒙とは、物が覆われているいることです。人間の知恵才能も、始めは皮につつまれ覆われているものです。未だ幼く、蒙昧なのです。蒙を開く必要があります。
今から37年前、私が安岡学研究会に入った当時、始めに安岡先生が作った「光明蔵」という書を全員で素読しました。その中に、「敬んで聖賢に白す。生等遺教に依って幸いに昏黒長夜の迷夢より覚め、一切転倒の心意を救い、天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行くこと知る。」という一節がありました。その「昏黒長夜の迷夢」も正に「蒙」です。
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