さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

序卦伝(2)水雷屯と山水蒙

2024-06-14 | さわやか易・講座

(乾)と(坤)は万物の父と母ですので、易の配列は実質的には「水雷屯」から始まります。

「天智有り、然る後に萬物生ず。天地の間に盈つる者は唯だ萬物なり。之を受くるに屯を以てす。屯とは盈つるなり。屯とは物の始めて生ずるなり。」

という文字は、草が始めて地上に出ようとして苦しんでいる様を表しています。地上に芽を出した植物が全て成長することはありません。朝顔を種から育ててみると解りますが、いっせいに芽をだした朝顔の殆どは育ちません。何分の一しか育たないのです。それ程、生まれたものが順調に成長することは大変なことなのです。

易の配列の始めに屯があることは、意味があることなのです。人間を含めて、動物や植物が生を得て、成長することは困難が伴うことを表しています。生命の成長と同じく、物事は全てがそうです。何か事業を始めようとすると、その産みの苦しみは困難の連続です。易には困難を表す4つの卦がありますが、この卦はその一つです。屯難の卦、産みの苦しみです。

 

「水雷屯」の次にくるのが、「山水蒙」になります。無知蒙昧の蒙です。

「物生ずれば必ず蒙なり。故に之を受くるに蒙を以てす。蒙とは蒙(くら)きなり。物の穉(おさな)きなり。」

人間に限らず、物が始めて生じた時には、必ず無知蒙昧なものです。蒙とは、物が覆われているいることです。人間の知恵才能も、始めは皮につつまれ覆われているものです。未だ幼く、蒙昧なのです。蒙を開く必要があります。

今から37年前、私が安岡学研究会に入った当時、始めに安岡先生が作った「光明蔵」という書を全員で素読しました。その中に、「敬んで聖賢に白す。生等遺教に依って幸いに昏黒長夜の迷夢より覚め、一切転倒の心意を救い、天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行くこと知る。」という一節がありました。その「昏黒長夜の迷夢」も正に「蒙」です。

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