さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

「水天需」(卦辞)

2024-09-10 | さわやか易・講座

「需は孚(まこと)有り。光(おおい)に亨る。貞にして吉。大川を渉(わた)るに利し。」

序卦伝には、「蒙は物の稚きなり。物稚きは養わざる可からざるなり。故に之を受くるに需を以てす。」とある。稚き者は精神的には教育が必要だが、物質的には飲食が必要である。

「需は孚(まこと)有り。光(おおい)に亨る。貞にして吉。」需は待つということである。待つということは、行動することと同じく重要なことである。そこで、「孚(まこと)有り。光(おおい)に亨る。」という言葉がかけられている。物事が重大であればあるほど、その時期を待つことは重要になる。軽挙妄動する人間には正しく待つということが出来ない。必ず、時期の未だ至らないのに動き出し、失敗するものである。場合によっては、事業に失敗し、身を亡ぼし、家を亡ぼし、国を亡ぼすこともある。

「貞にして吉。」ここでも正しきを守る貞があれば吉なのである。

「大川を渉(わた)るに利し。」大川(たいせん)を渉(わた)るとは、大きな川を渡るような冒険をしても、大丈夫だろう、首尾よくうまく運ぶだろう。

卦の形は、水の下に天であるので、困難を前にして、乾の心をもってじっと待っているのである。時期を得たならば、その困難を河を渡るように進んで行けば良い。それが「大川を渉(わた)るに利し。」である。この言葉はこれからも、時々出てくる言葉である。

私たちの人生は常に何かを待っていると考えられる。「水天需」は内に「乾為天」の精神があることである。常に心の準備が必要である。じっと待っていても、退屈することなく、あせることもなく、不満を抱くこともない。例えば、草木の種でも、充実した生命を春の季節を地中でじっと待っている。春夏秋冬いつでも、次の季節にそなえて、自然に身を任せて、ゆったりと、安んじて、天命を待つのである。

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