「需は孚(まこと)有り。光(おおい)に亨る。貞にして吉。大川を渉(わた)るに利し。」
序卦伝には、「蒙は物の稚きなり。物稚きは養わざる可からざるなり。故に之を受くるに需を以てす。」とある。稚き者は精神的には教育が必要だが、物質的には飲食が必要である。
「需は孚(まこと)有り。光(おおい)に亨る。貞にして吉。」需は待つということである。待つということは、行動することと同じく重要なことである。そこで、「孚(まこと)有り。光(おおい)に亨る。」という言葉がかけられている。物事が重大であればあるほど、その時期を待つことは重要になる。軽挙妄動する人間には正しく待つということが出来ない。必ず、時期の未だ至らないのに動き出し、失敗するものである。場合によっては、事業に失敗し、身を亡ぼし、家を亡ぼし、国を亡ぼすこともある。
「貞にして吉。」ここでも正しきを守る貞があれば吉なのである。
「大川を渉(わた)るに利し。」大川(たいせん)を渉(わた)るとは、大きな川を渡るような冒険をしても、大丈夫だろう、首尾よくうまく運ぶだろう。
卦の形は、水の下に天であるので、困難を前にして、乾の心をもってじっと待っているのである。時期を得たならば、その困難を河を渡るように進んで行けば良い。それが「大川を渉(わた)るに利し。」である。この言葉はこれからも、時々出てくる言葉である。
私たちの人生は常に何かを待っていると考えられる。「水天需」は内に「乾為天」の精神があることである。常に心の準備が必要である。じっと待っていても、退屈することなく、あせることもなく、不満を抱くこともない。例えば、草木の種でも、充実した生命を春の季節を地中でじっと待っている。春夏秋冬いつでも、次の季節にそなえて、自然に身を任せて、ゆったりと、安んじて、天命を待つのである。
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