さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

親鸞の修行時代

2014-04-20 | 名僧たちの求めたもの

親鸞。1173~1262


名僧たちの第二弾は親鸞である。親鸞の幼名は松若丸、下級貴族の日野有範(ありのり)の長男として生まれた。始めに親鸞の生きた時代を考えて見たい。松若丸が生まれる前、1156年に保元の乱、1159年には平治の乱が起こっている。貴族の統治から台頭してきた武士階級への劇的な変化の時代である。

天下を取った平家に対し、朝廷側の反乱、一度は追放された源氏の巻き返し、日本中に内乱が起こる。源平が激しく争う最中、大干ばつにより1181年には養和の飢饉が発生する。方丈記によると洛中の死者だけでも4万人を超えたという。

没落した下級貴族の日野家もいよいよ困窮し、五人の子供たち全員を出家させることになる。しかも出された宗派がまちまちであることから、引き受けて貰えれば何処でも良かったことが想像される。長男の松若丸は天台座主・慈円のもとで得度し、範宴(はんねん)となる。1181年9歳のときである。

比叡山延暦寺に入山して厳しい修行と学問に明け暮れる若き日の親鸞。
親鸞の修行は「常行三昧」。唐から帰朝した円仁によって始められた行法であり、九十日間、道場内の仏像の周囲をお念仏を唱えながら朝から晩まで歩き続けるという行である。来る日も来る日も、全く同じ単調な生活環境の中を二十年間耐え抜いたのである。

当時朝廷内で出世を断たれた公家は仏教界で出世を目指したが、仏教界も摂関家などの力が及び高い家柄や身分がないと到底出世は望めない。親鸞はやがて学識、修行、実績が延暦寺での評価にはつながらないことを知る。更に親鸞が深い苦悩と疑問を感じたことはこの厳しい修行が人間の苦悩や絶望の救済に役に立つのだろうかということである。親鸞は悩み続けた。

~~さわやか易の見方~~

******** 上卦は山
***  *** 動かぬもの
***  ***
***  *** 下卦は水
******** 困難、悩み
***  ***


「山水蒙」の卦。蒙昧、啓蒙の蒙である。困難に直面しているが前方には動かざる山が立ちふさがっている象である。山のふもとに水が涌いている象でもある。水の流れは頼りないが、やがては大河となる可能性も秘めている。良き師が必要な時でもある。

若き日の親鸞。9歳から29歳までの20年間の修行生活。それだけで頭が下がる。その持久力、忍耐力はどこからくるものだろうか。日本がどん底に落ちた時代にこそ、時代を救う力が涌いてくるものだろうか。

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