昭和の時代

アナログの時代がなつかしい

  餅つき

2015-12-26 23:10:42 | 日記
 28日に餅つきをするので、何処にも行かない様に。
カミさんから御下命がありました。
忙しくてその日しか空いてないのだそうです。
言われるまでもなく、私には何の予定もありません。
昨年と同じ2臼だそうです。

 子供の小さい頃は臼と杵でついていました。
これは体力があって夫婦仲が良い時しか出来ません。
今は炊飯器の親分位の器械がついてくれます。
2臼ではなくて、2釜です。

 お餅、食べなくなりましたね。
神棚、仏壇のお飾り用2組、お雑煮用少々
1臼(釜)で充分足りるのですが、
わざわざ道具を出すのに、1臼では勿体ない、
それで2臼なのだそうです。

 道具の準備、後片付けは私の役目です。





    青葉の笛

2015-12-25 09:32:49 | 日記


 先日、老人会の忘年会で久しぶりに聞きました。
文部省唱歌だそうですが、私は学校で習った覚えはありません。
何回か聞いた覚えがあり

 一の谷の戦破れ 討たれしし平家の、公達あわれ

までは歌えます。
 
 90歳を少し出た方ですが、カラオケの最後に、最長老という事で
請われて歌われたのです。
 アカペラの出だしの一声で、座が一瞬静かになりました。
同年輩の方には、特別の感慨のある歌なのでしょうか。

 ネット上で、倍賞千恵子さん、森繁久弥さんの歌が聞けます。
哀しい歌ですが、いい歌です。


















とんど

2015-12-22 20:51:22 | 日記

 お正月が近くなると、来年の“とんど”の話が出てきます。
皆さんの所は如何ですか、と言うより“とんど”を御存知ですか。地方によっては“左義長”この他の呼び名があるかも知れません。
小正月(1月15日)の行事で、正月飾りや古い神棚のお札を焼いたり、子供の書初めを燃やしたりします。
書初めを燃やす事を“字上げ”と言い、燃えカスが高く上がる程書が上手になると言ったものです。
”とんど”の火で焼いたお餅を食べると風邪を引かないと言います。

 30年程も前までは、私の小さな町でも5,6ケ所で“とんど”が行われていました。御近所20軒ばかりで“とんど”を作ります、
竹が主な材料で多いほど爆竹は大きくなります、競って孟宗竹を集めたものです。“字上げ”の高さを競う子供も沢山いました。
新年互礼会の意味合いもあり、100人近くの人で夜遅くまで賑やかに行われたものです。

 過疎化、老齢化、少子化が進み、今では集まるのも14~15人程、書初めする子供もいなくなりました。年寄りばかりが、
お餅が焼けると早々に帰る寂しい“とんど”になってしまいました。が、来年はもう止めようとは言う人はいません。
例え子供の遊びの行事でも、何十年いや何百年も代々続いて来た行事の幕引き役にはなりたくないのです。
来年もまたやります、再来年もやるでしょう、参加者は更に少なくなるでしょうが。



                5年前 

冬至 ” ゆず湯 ”

2015-12-22 20:44:59 | 日記

 皆さん“ゆず湯”に入りましたか。
今年は豊作で、ケチケチするな!、と言っておいたのですが。
5ケしか入っていませんでした。
長湯した分温まりました。

 柚子は実を付けるのに何年も掛かる事を御存知でしたか。
“桃栗3年、柿8年、柚子の馬鹿たれ19年”と言います。
我が家の柚子、10年位は木が育つだけ。
12年位から実が成らないのではと心配になります。
13年位から、来年成らないと切るど!、脅迫を始める。
次の年くらいから成りはじめた。
樹長2.5m、樹幅2m程になり毎年沢山実を付けてくれます。
今年は豊作で200ケ程は成りました。
一つ不満は、ソフトボール大なのに中身はピンポン球位、ゆず湯専用品種か?

”柚子の馬鹿たれ19年”少しオーバーでしたね。
いや、“成らぬと切るど!”の脅迫が効いたのであって、本当は19年が正しい
のかも知れません。















年末ジャンボ10億円明日が締切

2015-12-21 19:54:46 | 日記

 今日スーパーで会社時代の先輩に会った。5年振りである。
この人は都会育ちだが、定年後山奥の奥さんの実家の田圃を守って、農業は難しいと言いながらも
楽しんでいる人である。

 今日は近所の人に頼まれて、宝くじを買って帰る、6千円預かって来たという。
現役時代、この時期になると職場でお金を出し合い宝くじを買うのが流行った。
“買わねば当たらぬから反対はしない、が、沢山買って当たるものでもない、確率を考えてみろ!“
このご意見を尊重して、1枚買えるだけの金を出し合い買ったものである。
お説の通り、10枚20枚と買う職場もあったが、当たったと聞いた事がなかった。

 彼の叔父さんは東大理学部で数学科を専攻し参考書も出した人である。血筋なのだろう彼も数学に
滅法強い人で、難しい問題でも即座に解いてくれ解りやすく解説もしてくれた。
“確率を考えろ!”にはそれなりの説得力があったのである。
彼もご近所の頼みでは、無駄だから沢山買うのは止めておけとは言い出せなかったのだろう。

 その彼が一時期競艇に凝った事がある。競艇場でよく見かけると人伝手に知ったのだがそのことに
触れる者いなかった。が、戦績は翌日の機嫌ですぐに解った。
 結婚を機に止めたと聞いたが、宝くじの確率と競艇の勝率の相関関係はどうであったのか、今も聞け
ずにいる。