昭和の時代

アナログの時代がなつかしい

ゴルフの起源

2015-12-19 09:36:30 | 日記

 ゴルフの発祥はスコットランドで、その昔羊飼いの少年がモグラの穴に
小石を棒切れで入れて遊んでいた、それが起源だ。
だから、今も全英オープンは羊を放牧するような、リンクコースで行われている。
と、ある先輩から聞いた事がある。
 その後、ゴルフの発祥はオランダである、という人が出てきた。羊飼いの少年
が野うさぎの穴に小石を入れて遊んでいた。これが発展して、木製のボールを穴に
入れる遊びが出来た、これをコルフと言った。この遊びがスコットランドに渡り
現在のゴルフになったと言うのである。コルフがゴルフになった、この説も
なるほど、であった。
が、疑問が一つあった。国土の狭いオランダで羊の放牧をしただろうか。それに、モグラは
肥沃な土地にしかいない(こういう事は農家育ちでないと言えない)、事から、農業国の
オランダがモグラで、荒れ地のスコットランドが野ウサギだろう、と冗談に反論したことがある。
 ゴルフの起源にはこの他にも、ローマ起源説、中国起源説もある。どの国も棒きれを使った
似たような遊びがあったのだろう。

 現在は、オランダが起源でスコットランドで発展した、が定説となっている様だ。

 そのうちにお隣の韓国が“ゴルフの起源は韓国だ”と言いだすかもしれない。しかし
今度ばかりは世界が相手である、柔道、茶道、剣道のようなわけにはいくまい。


 


































年寄りのヘボゴルフ

2015-12-15 14:59:55 | 日記
 年に4,5回突然電話を掛けてくる古い友人がいる。
現役時代から40年来の友人で、二人で良く飲みに行ったり旅行したりした楽な友である。
電話の用件は決まって、飲みに行こう、ゴルフに行こう、旅行に付き合え、の何れかである。
女房は”チングさん”と言って電話の度に笑っている。
”チング”とは韓国語で”友達”の意味らしいのだが、女房には”悪友”の意味らしい。

 一昨日、久しぶりに電話があった。12月の電話は決まって正月のゴルフのお誘いである。
”先日今年のベスト88が出た、次回は負けない!”
”どうせ金玉だろう!”
”いや、白だ!” と言うのである。

 ここで金玉の説明です。私のクラブのコースには、金、赤、白、青、黒、5種類のティ-マ-ク
があり次のように使い分ける。
 金:グランドシニア-用
 赤:レディ-ス用、シニア用
 白:レギュラ-用
 青:上級者用、各種競技用
 黒:プロ、クラブチャンピオン、理事長杯等
金と白では長い所では80ヤ-ドの差、白と黒では更に50~80ヤ-ドの差のあるホ-ルもある。

 二人で月例競技に出ていた頃、私が先にシニアになった(55歳)時
”シニアの方は前からどうど!”と彼が冗談交じりに言った事がある。
たった2,3か月の年齢差で距離のハンデーを貰うのは非常に屈辱なのである。
飛距離が命のヘボゴルファーには10ヤードでも許せない。断固として断った。 
彼がシニアになった時
”シニアさん宜しかったら前からどうど!”と返してやったが。
その後二人とも誰が奨めようとも何を言われても、白マークを諦めるのはゴルフを止める時だと
意地を張ってきた。

 65歳を過ぎた頃から他の月例のメンバーから前から打つ様に奨められる様になった。
飛距離の落ちてたのを指摘されたのが嫌で、月例に出なくなりゴルフの回数も減ってきた。
回数が減るとスコアーは益々悪くなる。金玉からスタートしたらどれ程楽だろうと気弱に
なっていたが、彼の88を聞いて又負けん気が湧いてきた。
正月に88が本当かどうか見てやろうと思う。が、我々のゴルフは、OBのつもりがセーフ
であったり、カート道で跳ねて距離が出たり、レイキに当たってグリーンに乗ったりで、
その日のツキの有無でスコアーが決まる。見て判るものでも無いのだが。

 この5,6年毎年正月のゴルフを誘われてきたが、プレーの出来たことは一度もない。
2回は雪でクローズ、あとは孫が来た、息子が嫁を連れて来た、飲みすぎた等全て彼の都合で
キャンセル。こちらの方が問題か!?



NHKの大河ドラマ”花燃ゆ”が終わりましたね

2015-12-13 23:12:47 | 日記
 井上真央さん、可愛かったですね。
萩(長門)が舞台で、周防出身者で出てくるのが、伊藤博文、大村益次郎、赤根武人だけ。
ドラマの都合もあるだろうが、大村益次郎や赤根武人にももう少し活躍して欲しかったですね。
周防出身者としてはチョットだけ不満でした。
 当時、長門は周防を見下していました。
藩都が萩(長門)にあった事が最大の理由でしょうが、慶長年間(1600年代)に周防で大きな農民
一揆がありました。一揆を起こすような貧しい土地、それも理由の一つだったでしょう。
毛利が防長2国29万石に押し込められた直後、周防山代地方で70%という酷税を取り立てました。
豊臣時代は40%程であったようです。困った農民が一揆を起こしました。税は下げられたようですが
11ケ村の庄屋が責任を取らされて斬首されました。慶長山代一揆といいます。その庄屋の子孫
に芥川龍之介がいます。
 そんな話を聞いて育っています。周防も一緒くたに長州と呼んでくれるな、こちとらは貧乏人だい!
と言いたくなる事もあります。







新入社員がパソコンを使えない

2015-12-11 23:19:08 | 日記
 こんな話を聞いて驚いた事がある。
パソコンのキー操作ができない、表計算ソフトが使えない、社内メールをLINEで送る、類の事らしい。
私は学校で一人宛パソコンが与えられ、自在に使いこなせる様に教わっているものだと思っていたからである。
彼等は生まれた時から携帯電話があり現在は更に便利なスマホになっている。
パソコンを使ってもインターネット検索や通信が主で文書や計算に使う機会が少ないのが原因だという。
私の経験から、必要に迫られれば直ぐに使いこなすに違いないからそう心配する事もなかろう。

 私と電子計算機の出会いは昭和40年代である。
当時の電子計算機は真空管式の馬鹿でかくて100㎡位の部屋をクーラーでキンキンに冷やして置いたあった。
技術計算ソフトはフォートランで、ハガキ大の用紙を何枚も使ってソフトを書きこれを紙テーフに読み録ら
せる式の物であった。計算速度は今のPCにも遠くおよばぬ能力であったに違いない。

 昭和50年代になりNECのPC-88が入って来た。ソフトはベーシックで組むのだが、何と便利な物が出来た
と感動すらしたものである。休日にも会社に出かけて皆で奪い合う様にして勉強したものである。
メディアはカセットテープでプリンターはタイプタイターの様にリボンの上から叩く方式であったように記憶している。

 昭和50年代から60年代にかけて、文書ソフト一太郎が出、表計算ソフトロータスが出て来た。その頃から
計算機だけではなくて事務機として急速に導入される様になった。メディアは大きなディスク(6インチ?)で
あった様に思う。

 その後、PC記憶容量はKbからGbと向上し速度も上がり、メディアもディスクからFDになりUSBと小型化
し記憶容量もGbと増えてきた。プリンターもリボンからレーザーになりドットプリンタイーになりカラープリント
も自在に行へるようになった。通信速度も電話からISDN、ADSL。光回線、と速くなり、WIFIで便利にも
なった。

 現役時代、もう20年も前になるが、予算管理に生産管理にPCの進歩に翻弄されながらも、便利に利用させて貰って
来た。が、若しPCなかリせば当時の仕事の質とスピードを維持出来たかどうか感慨に及ぶところである。
 現在は友人とのメ-ル、百科事典代わりのネット検索が主な用途であるが、40年あまりも付き合ってくるとPCとは
この先も離れられないでしょうね。