カネログ~日々もくもく~

カネモク社員が日々感じたことを“もくもく”っと綴っていきます。
あくまでも個人的お気楽ブログなので、どうぞあしからず!

来年11月12日を臨時祝日に…

2008-10-16 | Weblog
超党派の「天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟」(会長・森喜朗元首相)の設立総会が16日午前、衆院議員会館で開かれた。即位の礼から20年となる来年11月12日に、財界を中心とする民間団体が皇居前広場で祝賀行事を計画していることを踏まえ、同日を臨時の祝日とするための法案を議員立法で今国会に提出、成立を目指す方針を決めた。 

白馬に乗った王子様

2008-10-16 | Weblog
19日に京都競馬場で行われる第13回秋華賞(3歳牝、GI・芝2000m)の出走馬18頭が16日、JRAより発表された。

登録のあったポルトフィーノは除外となり、白毛馬としてGI初出走となるユキチャンの鞍上は武豊騎手に決定。
6月の関東オークス(交流GII)快勝時のコンビが約4か月ぶりに復活する。

ユキチャンは、日本競馬史上初の白毛馬による重賞勝利を達成した。
サラブレッドでは極めて稀な毛色である白毛の活躍馬として注目を集めている。
なお、ユキチャンは国内で過去16頭しか登録されていない白毛のサラブレッド。(平成20年2月1日現在)

前回騎乗した時の武豊騎手コメント:
「アイドルホースですので緊張しました。ずっとマイペースでいい感じで走れました。初めて乗りましたが、とてもパワーのある馬ですね。かわいいだけでなく強いユキチャンを見せることが出来てよかったです。」

まさしく、白馬に乗った“天才”王子様に期待するのである!!


セーラー服は体操服だった!?

2008-10-16 | Weblog
セーラー服といえば、水兵(セーラー)の着用する軍服(甲板衣)であり、1857年にイギリス海軍が制定した軍服が最初とされる。日本では20世紀前半までに主に女子通学服用として定着した。

日本で女子学生の制服としてセーラー服が採用されたのは1920年、京都府の平安女学院で、とされている。これはセーラー服の襟の部分が付き、ベルトで腰の辺りを締めるワンピースで、現在一般的に見られるようなセーラー服は福岡県の福岡女学院で時の校長エリザベス・リーが、活動しやすい体操服として自身がイギリス留学中に着ていたセーラー服をモデルに、1917年に太田洋品店の太田豊吉に制作依頼した。運動ができるよう動きやすくするため、上着だけで3年を費やした。1920年、上着を完成した後、動きやすいスカートの開発に行き詰っていたが、太田豊吉はスカートにプリーツをつけることを思いつきセーラー服上下が完成し、福岡女学院で運動着として使用され1921年に制服として採用された。同年、愛知県の金城学院でも制服としてセーラー服が採用されている。セーラー服が全国に広まった背景には、男子学生が陸軍の軍服に強く影響された折襟の学生服を採用していたため「それならば女子には海軍の軍服を」という理由があったとも言われている。(Wikipedia)

日本では「セーラー服」=女子中高生という固定観念が強いためか、コントや学園ドラマでの女子高生役の人間はたいていはセーラー服姿が多い。たとえば赤川次郎の小説で映画化もされた『セーラー服と機関銃』は、女学生=セーラー服という意である。

セーラー服は、思春期におけるいろいろな思い出と深く結びついて記憶されていて、青春の代名詞ともいうべき制服であるといえるのではないでしょうか。

※写真はso’fly新曲「OLD DAYS」のミュージックビデオに出演したアッキーナ(オリコン)