<今年もよろしくお願いします。 (丸めがね)
2009-01-16 19:44:15
私もぜんざいが大好きです。あんこ系の甘い物にめがありません。この季節は何かにつけてぜんざいを食べる機会が増えるのでうれしい限りです。
私は餅3つです。貴殿は? >
今回のぜんざいブログでまた引き伸ばすつもりでいます。なにせ餅が入っていますからね。母は勧められて二杯、私はそっと出しの三杯。四杯目を勧められましたがさすがに遠慮しました。ここで美味しく食べ、複数杯食べるコツを知っているものですから勧められますよ。親指と人差し指で輪を作ったくらいの大きさの餅です。十二、三個食べましたかね。母は胸焼けし、私はと言うと今年はもう食わねーぞというくらいですよ。今年も宜しくお願いします。たまには顔を見せてください。
2009-01-16 19:44:15
私もぜんざいが大好きです。あんこ系の甘い物にめがありません。この季節は何かにつけてぜんざいを食べる機会が増えるのでうれしい限りです。
私は餅3つです。貴殿は? >
今回のぜんざいブログでまた引き伸ばすつもりでいます。なにせ餅が入っていますからね。母は勧められて二杯、私はそっと出しの三杯。四杯目を勧められましたがさすがに遠慮しました。ここで美味しく食べ、複数杯食べるコツを知っているものですから勧められますよ。親指と人差し指で輪を作ったくらいの大きさの餅です。十二、三個食べましたかね。母は胸焼けし、私はと言うと今年はもう食わねーぞというくらいですよ。今年も宜しくお願いします。たまには顔を見せてください。

毎年恒例になっているどんど焼きである。田川の風治八幡神社は1月15日にどんど焼きをする。今時は時流に流されてハッピーマンデーにやっているがここはその由来を守っている。以前宮司さんに尋ねたことがあるのだが、日にちを変えることはしないということであった。頑固ということではないのだ。習慣を守っていると言うことだ。こうなる前は振袖を着た成人がお参りに来ていたがそれを見ることが出来なくなった。いいのか悪いのか。

日本一いや世界一の門松だそうで、ギネスに登録しようとしているそうだ。町おこしの一環だそうな。母と比べると言うわけではないが今年は年女である。
「門松は冥土の旅の一里塚」と言った一休さんもびっくりするであろう。
本来の目的はふるまいのぜんざいなのだ。1時からどんど焼きの神事、1時半からふるまいが始まる。それまで少し時間があるのでアーケード内を散歩してみよう。

純白のむかし水仙は如何言う訳か太陽に背を向けている。花は光を取り込むようにして太陽に向っているものだと思い込んでいたのである。向日葵は読んで字の如しで、葵傾するものである。朝顔もラッパ状の花を日に向けている。
しかし、純白の水仙はそうはいかないようだ。

この水仙が咲く神社は日吉神社で高倉(地名)にある。四方が山に囲まれ、囲まれただけではなく逼っている。ために田畑は狭く猫の額ほどと言ってよい。
由来でも書いてあるのかと何気なく看板を読んでみると暢気なものではない。
明治の初期に一揆が発生していたのである。秋月の乱、佐賀新風連の乱のようなものかと思ったが、思想絡みではなく当に生きる術の一揆であったようだ。
残念なことにこの説明文には漢字の誤用がある。「激文」とある。恐らく「檄文」=檄をとばす の間違いであろう。
昨今労働者が生抜くための模索が続いているが、手段は違えどそれは今も昔も変らないのである。

自宅に飾ってある水仙が満開になった。また、長崎県野母崎にある水仙1000万本が満開になっている記事が新聞一面を飾っていた。
水仙の時季ではないが野母崎を訪れたことがあるが、水仙の咲いているところを想像するとそれはそれは壮観なのだろうと単純に思ったが、想像を絶する光景を目の当たりにするのだろうな。

二人の伯母の顔を見に母と一緒に出かけた。どんど焼きのぜんざいが目当てではあるが。その帰り、興味を惹かれた神社に寄ってみた。狛犬の脇に少しながらの緑があったので近寄ってみると小さく可憐な純白の花が目に飛び込んできた。
これも水仙である。むかし水仙か?花びらは抜けるような白である。当に冬の花のようだ。
自宅にある水仙の花びらは純白ではなくアイボリーホワイトだ。むかし水仙が好きになってしまったが、まさか採って帰るわけにいくまい。

1月11日午後12:15からKBCテレビをたまたま見た。おっ、懐かしい風景だ。そう、母と一緒に昨年の晩春に行った湯平だ。街中の湯が小奇麗になっていた。すこしひなびた建物が温泉情緒を醸し出していたのだが、それはもう見ることが出来ないのである。残念といえば残念だが時の流れには逆らえまい。
「ふみちゃん食堂」の暖簾が横を掠めて行くのを見ると妙に懐かしさが込み上げて来る。我々のような凡人が尋ねていっても見せてくれることが無いようなものをテレビでは平気で見せてくれる。そこには湯平が頑張っている姿を垣間見ることができて嬉しいのである。ただ、レポーターの女の子が、あの石畳をヒールの高いブーツで歩いているのだ。後ろから見ると足元が定まらずよろよろとしている。気取らずに靴くらい履き替えろよと思ってしまった。母を連れてゆくときなどはこのようなところだから靴は平べったい方が歩きやすいとアドバイスしたものだ。
もう母はあの坂道に耐えられないので行くことは能わぬが、夫婦で行こうと思った。