二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

 氷河期のマンモス。

2011年01月23日 00時00分00秒 | 日記・エッセイ・コラム
 
 

 
 
 
 今の日時は

01月19日(水)

午後14時34分です。

今は、

NHKのFMラジオを

聴きながら書いて

います。

勇壮なクラシックの

音楽が流れて

います。

なんとなく

元気の出る

そんな音楽です。

今終わりました。

リストの曲で

あったようです。














 人間というのは

自然の一部だと

普段はあまり

感じませんが、

先日の雪の時に

何故だか

マンモスの事を

思い出し

氷河期には

そういうものを

食べていたの

だろうという事を

窈ちゃんへの葉書に

書いた事を

思い出しました。

いわゆる

自然の脅威の中で

氷河期の人間達は

生き延びて来たのだろうと

そう空想をすると

人間というのは

生物なんだなと

いわゆる、

例えば、

海中に居る

クラゲなんかと

本当は同じ

生命の価値

なのではないかと

そう思う時も

あります。













 でもまあ

人間は

自然に対して

働きかけて

日本においては

田んぼを耕し

川には

ダムや治水で

堤防を造ったり

しているけど

それが本当は

自然にとっては

悪い事をしている

のではないかと

思う時も

あります。

その事によって

環境の破壊が

進み

結果として

人類が滅びるとしたら

クラゲの方が

本当は賢い

生き物ではないかと

そう思ってしまいます。














 まあ、

人間というのは

生まれてからしか

自分というのを

認識できないし

それは

他の生き物と

同じですが、

もし永遠の

命があるとしたら

どれだけの知識を

人類が持つ事が

できて

どれだけの事を

できるのかなと

そう思います。

生きるというのは

死がある事を

前提にあると

したら、

きっと

人生というのを

お互いが

認識できるのは

僕は死という

ものの前に

こういう事を

大切にしたいと

そういう思いを

共有できるからで

ないでしょうか。













 死があるから

生きるという行為に

前向きになり

愛に真剣になり

家庭を持ち

子供を作って

一緒に暮らそうと

そう思うような気が

します。

女性も

子供を

死ぬ間に

幾つになっても

作れる訳ではない事も

愛し合う気持ちが

如何に大切なのかを

教えてくれているような

そんな気がします。














 若いうちは

人間の命が

如何に貴重か

何故、人々は

諦めてしまうか

よく分かりません

でしたが、

今になれば

人間には

限界があり

それが

人間という

ものだと

分からなかったのです

若さは

生命の

爆発するような

エネルギーの

真っ只中にいて

なにもかもが

可能だと思えましたが、

今、40代になって

それは若さだったと

そう思えるように

なりました。













 世の中は

若い人だけで

生きている訳ではなく

日本においては

高齢化社会として

お年寄りも

たくさん暮らしています。

若い人が

幾ら理想を

高く持ち

夢の中で

生きて行こうと

そう思っても、

社会は

そのようには

できていないの

ですが、

若さは

社会を変革する

そんな時に

爆発的な

力を発揮して

今のような

政治のあり方さえ

変えてしまうような

そんな

エネルギーを

発揮します。













 これからは

社会の中で

いろいろな

年齢層の中で

人々が

協力をして

助け合って

生きて行く事が

大切のような

気がします。

今の社会形態が

いつまで

持続可能か

よく分かりませんが、

人間は

人間である事を

やめられないのです。

なので

人間とは何か

人間らしいとは

どういう事かと

いう事を、

皆が

真剣に考えながら

社会を

形作る事が

重要になっていると

そう思います。

それでは。








 人は何故花を見た時何某か美しいとぞ思うものかと




 God bless you !





 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする