「5 スローモーション的動きでの修錬で培われるものとは」で、「これは弁証法の学びと全く同じなのであるが・・・・・・。」として説かれている部分。ここにしっかりと学び、実践して行くことが、自身の弁証法が使えるものとなっていくための、また、手技・鍼灸の実力を培うための必須の学びの過程である、と思う。
「本当は強い黒帯相手に闘いを行ってもあまり意味はないのである。闘いで怖いのは本当は何も知らない白帯であり、次に緑帯である。何故なら、白帯は武道空手の武技ではなく、人間体を使うものであり、いうなれば喧嘩そのものであるから。その喧嘩技に武道空手の武技として対応しなければならないから、これは大変に難しい。この恐ろしさは行った者でしか分からない。つまり勝つことは簡単にできても、相手の手や足に対しては武道空手の自らの武技はほとんど使えない、使わないままに相手を倒してしまいかねないからである。これは弁証法の学びと全く同じなのであるが・・・・・・。」と説いていただいている。
これは例えば、算盤の練習の初歩で、算盤を使わないでも暗算であっという間に簡単に解ける問題を算盤を使って解くことの困難性と同じことであり、そこを馬鹿にしてしまって簡単に暗算で解いてしまって、「算盤なんて役に立たない。暗算で充分!」となってしまっては、永遠に算盤を修得することはできないし、まして算盤の達人には成りようもない。ということと同じことであり、日常生活の諸々の簡単な、弁証法でなくても解ける、弁証法でないほうが簡単に解ける問題を弁証法を駆使して解き続けることが、弁証法の達人への道である、と説いていただいているのだと思う。
また例えば、ここを手技・鍼灸の問題として考えるならば、進行、悪化してしまった重病(=黒帯)相手に施術、治療を行ってもあまり意味が無い。施術、治療で本当に難しいのは、病ともいえないレベルの病、例えば風邪のひき始め、胃痛等(=白帯、緑帯)である。ということになろうか。
白帯レベルの病を治すのに、ことさらの手技・鍼灸は必要無く、しっかり食べて寝る。お風呂にゆっくりと浸かり温まる。等だけでも治る。だけに、手技・鍼灸の施術も、お決まりの経穴(例えば大椎、身柱、命門、腎兪、例えば胃の六灸等)で治せるものであるから、四診によって証を立てての東洋医術の実力向上につながる治療・施術とすることは困難である。
加えて、白帯レベルの病は経過も短いのであるから、病の全体像(=生・長・化・収・蔵)をしっかりと分かっていくことができる。それに対して、黒帯レベルの病は、経過も長く、そもそも治るとも限らない、のであるから・・・・・・。と思う。
「本当は強い黒帯相手に闘いを行ってもあまり意味はないのである。闘いで怖いのは本当は何も知らない白帯であり、次に緑帯である。何故なら、白帯は武道空手の武技ではなく、人間体を使うものであり、いうなれば喧嘩そのものであるから。その喧嘩技に武道空手の武技として対応しなければならないから、これは大変に難しい。この恐ろしさは行った者でしか分からない。つまり勝つことは簡単にできても、相手の手や足に対しては武道空手の自らの武技はほとんど使えない、使わないままに相手を倒してしまいかねないからである。これは弁証法の学びと全く同じなのであるが・・・・・・。」と説いていただいている。
これは例えば、算盤の練習の初歩で、算盤を使わないでも暗算であっという間に簡単に解ける問題を算盤を使って解くことの困難性と同じことであり、そこを馬鹿にしてしまって簡単に暗算で解いてしまって、「算盤なんて役に立たない。暗算で充分!」となってしまっては、永遠に算盤を修得することはできないし、まして算盤の達人には成りようもない。ということと同じことであり、日常生活の諸々の簡単な、弁証法でなくても解ける、弁証法でないほうが簡単に解ける問題を弁証法を駆使して解き続けることが、弁証法の達人への道である、と説いていただいているのだと思う。
また例えば、ここを手技・鍼灸の問題として考えるならば、進行、悪化してしまった重病(=黒帯)相手に施術、治療を行ってもあまり意味が無い。施術、治療で本当に難しいのは、病ともいえないレベルの病、例えば風邪のひき始め、胃痛等(=白帯、緑帯)である。ということになろうか。
白帯レベルの病を治すのに、ことさらの手技・鍼灸は必要無く、しっかり食べて寝る。お風呂にゆっくりと浸かり温まる。等だけでも治る。だけに、手技・鍼灸の施術も、お決まりの経穴(例えば大椎、身柱、命門、腎兪、例えば胃の六灸等)で治せるものであるから、四診によって証を立てての東洋医術の実力向上につながる治療・施術とすることは困難である。
加えて、白帯レベルの病は経過も短いのであるから、病の全体像(=生・長・化・収・蔵)をしっかりと分かっていくことができる。それに対して、黒帯レベルの病は、経過も長く、そもそも治るとも限らない、のであるから・・・・・・。と思う。