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コリと痛みの無い身体へと自身の身体を変えていくプロセスの記録とお灸セルフケアについて

鍼灸・東洋医学如何に学ぶべきか〜先達の成そうとしたこととは〜

2018-02-12 04:41:54 | 鍼灸理論・東洋医学
国家試験過去問を先達は何を成そうとしたのか、との問いかけで見直していくことで、鍼灸・東洋医学を如何に学ぶべきか、が次第次第に明確になっていって......と思える。

「学問を志す者は、先達を単に批判するだけでは自らの堕落への道となるだけだから、大事なことは先達を完成させるように論じることなのだ」と『学城 第16号』の「編集後記」で説(解)いていただいていることに感銘をうけ、鍼灸・東洋医学に関わるあらゆる問題もそのように問いかけ、学んでいくべきなのだ、との思いで、東洋医学概論、経絡経穴概論、東洋医学臨床論の過去問とともに教科書へ返ってのそれらの学び行なっている。

そのような問いかけを明確に持って過去問と教科書にあたって行くと、先達の成そうとしたことは何かが次第次第にわかっていくこととなり、端的には、経験主義を脱しての、対象の構造に分け入っての、でありたかったのだということが、別言すれば、理由はわからないけれどもこれが効くのだ、ということを良しとするのでは無しに、人間の身体はこうなっているから、このような法則性があるから、このような治療が効果があるのだ、ということを求めての、であるということが、そして、それらの作業を物質的精神的に未だ未熟で幼い時代にあって、それでもなんとかして、なんとしてでも対象の構造に分け入っての鍼灸・東洋医学でありたいとの思いからの、様々な試行錯誤=観念論的な無限といっていいほどの試みの積み重ねの、そのうちの歴史の重みに耐えて残って来たものとしての、結果としての現在の鍼灸・東洋医学の実態があるのだろうとも思え......自身のなすべきことが、過去問を見直す中で次第次第に明確になっていった、と思える。(ここは改めて説きたい)

人間にとってのまともな問いかけの必要性を痛感するとともに、「学問を志す者は、先達を単に批判するだけでは自らの堕落への道となるだけだから、大事なことは先達を完成させるように論じることなのだ」との言の凄さを痛感する。



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