乳がんになってスピリチュアリズムに出会うVol.2

スピリチュアリズムに出会い
生き方が180度かわりました
シルバーバーチの霊訓を人生の指針としています

5.葬儀の時には何が起きているのか

2017-06-09 22:11:56 | 人間は永遠に生きる 大空澄人
5. 葬儀の時には何が起きているのか


当人が眠っている場合は盛大に葬儀をしても何も知らないということになります。

そういう事も全て天地自然の法則(神の摂理)によって導かれ、自然にそういう状態になります。

人がどんな状態であろうと そこには必ずこの天地自然の法則が働いているのです。

葬儀の時には私の体験では半数くらいは当人が先に他界している自分の親や祖父や祖母に付き添われて葬儀を見に来ているようです。

大抵の人が祭壇の前で参列者にお礼の挨拶をしています。

その場で私は当人からのメッセージを受け取ることもあります。

当人(死者)が最も関心のある事は自分を愛し、愛していた人です。

それ以外の人にはあまり関心がないようです。

義理で葬儀に来ている人には失礼ながらあまり興味がないのです。

今までに見た範囲ではどうも彼らは葬儀に来てもしばらくするといなくなるようです。

葬儀を見学し、親しい人に対面して一定時間過ごしたらさっさとどこかへ行ってしまうようです。

斎場にもいかないのかそこで何らかの反応があった事はありません。

それから最近は火葬が殆どですが死後最低2日間は置いた方がいいのです。

あまり急いで火葬にすると霊体の一部が残っていることがありダメージを与えることがあるのです。

世間では葬儀にかなりのお金を使います。

その費用は半端なものではありません。

世間では宗教的な儀式をすることは死者を導きより良い所へ連れて行ってもらえるというような認識があるのでしょうか?

それともそれをやらなかったら死者は成仏できないのでしょうか?

事実を言えばそうではないのです。

人は次の世でどのレベルに進むかということはすでにその時点で決まってしまっているからです。

それまでの人生でその人の積み上げたものが行き着く場所を自動的に決めるのです。

死は唯、肉体が無くなっただけの状態でありその人間の本質は何一つ変わっていないのです。

急に仏様のようになるのではありません。
人は死後長い年月をかけて成長していきます。

人生は永遠に続くのです。

ですから自分が進んで行く死後の世界はこの世で積み上げた世界の延長であり、それ以上でもそれ以下でもないのです。

その辺のところは法則によって不公平なく決まってしまうのです。

それは絶対に間違えることはありません。

その法則の働きこそが神なのです。

神は法則で宇宙のすべてのものを支配しているのです。

その神の働きに対して何らかの影響を及ぼす力を持ったものは全宇宙に存在しないのです。

この辺の所を正しく理解することが大切です。

僧侶が何十人集まってお経を唱えようが、豪勢な儀式をしようが神の働きには指一本ふれることは出来ません。

またお経自体が特別な力を持っているわけではないのです。

もしお経が特別な力を持っていたとしたらそれを唱えれば自分の犯した罪が消えるかもしれません。

またお経を唱えれば問題が解決するかもしれません。

しかしそういうことは実際にはありません。

魔法の言葉のようなものがありそれを唱えたら自分の望みがかなうというようなものは存在しません。

もしそういうことが許されるならば全宇宙をコントロールしている秩序が根底から崩れてしまいます。

人間もその他のものも神の法則を越えては何事も成し得ないのです。

お経やその他の祈りの言葉はその言葉自体が霊界に届くのではなくその人の心そのものが届くのです。

ですから人の心の内容をそれに乗せて届けると考えたほうがいいと思います。

霊界では言葉は必要なく心の内容がテレパシーによって一瞬に伝達されます。

この世とは意志伝達の方法が全く違うのです。

位牌や戒名というものがあり院号を付ければ高額なものになっているようですがそれも遺族の自己満足と言えば失礼かもしれませんが、そうしたからと言ってあちらに旅立つ人を守護したり導いたりすることは出来ません。

本来仏教にはそういうものはありませんでした。

仏教が中国、韓国をわたって日本に伝来する間に儒教やその他の思想の影響を受けた結果生まれたものです。

墓、仏壇、位牌などはこの世の人間の発想から出来たものであり、そこに死者の霊が宿るということはありません。

あちらは地上世界(この世)とは違った価値観で動いています。

この世は物質の世界、あちらは非物質の世界です。

あちらに旅立った人を思う時、墓や仏壇を連想する人が多いかもしれませんが実際は彼らは束縛のない広くて自由な世界で生き生きと暮らしています。

彼らを墓や仏壇に閉じ込めておくことは出来ません。

この世の人間こそ物質界の暗くて狭い所に閉じ込められているのです。

死後の世界に進んで行った人達が一番嬉しいものは何でしょうか?

それは愛です。
家族や親しかった人達が自分に向けてくれる ” 愛 ” なのです。

第三者である宗教者が儀式をしてもそれはあくまでも儀式に過ぎません。

遺族や親友の愛に勝るものはないのです。

葬儀とはこの世の卒業式であり本当は祝福すべきものなのです。

苦しいこの世の修業から解放されたのですから。

稀に自分が死んだことがわからない人がいます。

そういう人にとって自分の葬儀を見ることは状況を正しく理解させるということで意味があるでしょう。

きちんと理解が出来ていれば葬儀すら必要がないのです。

葬儀は殆どがこの世の人達に向けたものです。

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