憲法九条やまとの会

今、日本国憲法九条改憲を止める
 ・・・平和を望み、維持したい・・・

2014年6月1日-中村哲講演の報告

2014年10月30日 | 私たちのイベント情報

 2014年6月1日-中村哲講演の報告

   2014年6月1日、大和生涯学習センターにて、中村哲医師による講演「国際的人道支援にもとづく平和への歩み」を開催した。大和市と大和市教育委員会からの後援もいただき、市長からはメッセージもいただけた。

  昨年来、安倍政権は、憲法9条の明文改憲ができない状況で、国会議員の3分の2による発議が必要な改正規定をまず過半数に変更しようと動いた。しかしその賛同が広がらない中、なんと「閣議」で解釈改憲をするという動きになった。9条改憲に賛成している小林節慶応大学教授さえも「立憲主義に反する」として反対した。
  集会の後、7月1日、安倍内閣は、集団的自衛権の行使を認めるという閣議決定をした。ベトナム戦争では米軍のみならず、韓国も集団的自衛権として派兵し多くのベトナム人を殺し、5000人近い韓国兵も殺された。先のイラク戦では、米軍のみならずイギリスなども派兵し、多くのイラク人を殺しイギリス兵も200人近く殺された。大量破壊兵器などなかったのに。そしてイラクではフセイン政権が崩壊したもののひどく混乱し、今も多くの人が死んでいる。

  まともな国際支援とはどういうものか、今、現実を知るべきではないか。そんな趣旨から、アフガニスタンの地で長く活動してきた医師中村哲氏の話を聞いた。600余名の席は満杯となった。

  今回は駅頭で宣伝するほか、会場周辺の1万戸に集会お誘いビラと当会のメッセージも配布した。先の閣議決定を実施するには自衛隊法などの改正が必要であり、9条の実質改憲もさせないために、まだまだ動ける。
以下、集会の様子を報告します。

大木哲大和市長のメッセージ紹介
   八周年記念講演会のご盛会を心よりお喜び申し上げます。貴会の更なるご発展と、お集まりの皆様のますますのご活躍、ご健勝を祈願いたします。

代表の斎藤竜太事務局長の挨拶要旨
   お集まりいただきありがとうございます。大和市は平和宣言都市であり、我々はこの宣言に沿った活動をしています。憲法99条は、天皇も総理大臣以下すべての公務員が日本国憲法を守る義務があるとし、また憲法は権力を縛る最高の法的基準でもあります。憲法九条やまとの会は、その「今、9条改憲を許さない」というメッセージに賛同する一点にて集まっています。色とりどりの人びと、例えば憲法が103条ある中で、改正した方が良い条項があるが、今、9条改憲だけは絶対許さないという一点にて集まっています。
  日本国憲法が1946年に成立して以来68年間、この国は戦争をしていない。武力を以て他国民を1人たりとも殺したことは無く、兵隊の1人も殺されたことは無かった。誇るべき歴史であり、憲法9条の存在こそが有効だった。
   しかし今、安倍政権は、閣議で集団的自衛権の行使を認めようとしている。堂々と憲法改正の手続きに問うこともなく、だ。まともではない。歴代の保守政権さえ、集団的自衛権の行使が危険であることを認識し、認めてこなかったのに、わずか大臣17人の閣議決定によって、解釈改憲をしようとしている。
 「君!あの時何をしていたのかね?」と後に問われて、冥土であってもキチンと応えたいものです。今日は、中村哲さんのお話を聞いて、戦争や平和のこと憲法のことを考えていきましょう。

 

現実から見た日本の役割、国際支援とは?
-中村哲講演の要旨
 今日は戦争の問題、平和の問題ということだが、私は、戦争がどうこうという論客ではなく、アフガニスタンの地で30年してきた実際とを示すことにより、考える材料として欲しい。

アフガニスタンの特性
   10日前まで、こういう仕事―用水路の建設・河川工事―をしてきた。帰国するといつも奇妙な感覚がある。現地は、日本から6000㎞離れ、ヒンズークシ山脈がすっぽり入る、6-7000m級の山々が連なり、人口は2000数百万人。面積は日本の1.7倍だが大部分は山。幾つもの川沿いに農業が営まれ、90%が農民。山の雪のおかげで食えているのであり「金がなくても食っていけるが雪がなくては食っていけない」という言葉もある。
  川沿いの谷ごとに違った民族があり、歴史的にもシルクロードの要衝であって、まさに多民族国家です。『民族の花束の国』と言われる。日本のように一つの政府があって統一できている国とは違う。そんな国が実際ある。日本の江戸時代の藩体制をイメージしても良いが、それ以前のNHK黒田勘平番組にある身分制、部族の社会というべきかも。年寄りを実に大切にする。そして「谷ごとに国がある」という程に自治が強い。良くも悪くもそういう国だ、という認識が必要です。顔も民族によって違い「黒人以外はすべてアフガニスタン人に化けることができる」と言ってよい。
 そのバラバラな「国家」、決して「国民国家」ではないアフガニスタンをまとめているのがイスラム教、それは個人的な信心というものではなく、人を束ねる社会的な組織であると認識しています。その認識も忘れてはならない。 

外国人として
   血なまぐさい話も多い、現地では貧富の差も激しい。99%は数十円のお金がなくて死んでいくが、お金持ちはドンドンお金がたまっていき病気になれば先進国に治療に行く。社会改革は必要だろうけれど、外国人がこれを裁いてはならない。優劣とか善悪とか裁きたがる人もいるけれど、裁けるものではないし、していいものではない。好き嫌いがあっても干渉しないことが外国人の節度だと思う。

2000年以上前から征服できない国だった。
 1979年12月、このアフガニスタンにソ連兵10万人が来た。9年間で200万人が死亡、600万人が難民化した。人口が2000万人の国でです。ですが『アフガニスタンは征服できない国』と言われています。現地ではソ連はそのうち撤退すると言われていて、実際に撤退した。当時アメリカは武器供与、資金供与をした。それが後に使われた。
   しかしアフガンは、民族の束の国、高い山脈が連なり一体性を持てない国。アレキサンダー大王も2000年余り前から征服したが間もなく撤退した。後にアメリカが入ってきても同じことでした。

日本のイメージ
   現地の人は、日本について2つのことをよく知っている。『日露戦争』と『広島・長崎』です。100年前のアジア社会はヨーロッパ列強の植民地だった、その中でチッポケと思われた日本がロシアに勝った。それがアジア全体に感銘を与えたのは事実です。日本人は、理不尽なことには闘うという『誤解』をしてもらえたかも知れない。広島と長崎に原爆を投下された国、そこから復興した国ということで驚かれている。現地では、「羽振りのいい国は必ず戦争をする」という感覚を持っているが、日本は戦争をしていない。欧米のように関与しておらず、アフガンに武器も持ち込んでいない。
   だからこそ日本は信頼を得てきたのであり、日本人の私が活動することができてきた。

医療、生活、平和とは
   私は、パキスタンとの国境近くペシャワールでハンセン病根絶の5カ年計画に参加したが、後に方針を変更した。ハンセン病の多いところは外の伝染病、感染症がもちろん多い。医療設備がない、水がない。ハンセン病でないからと言って、それ以外の感染力の強い病気に対応しなくていい筈がない。1998年、PMS(ピースジャパンメディカルサービス)は現地土着化する方針を取り、今も日本の支援・募金で動いている。2000年WHOのいう大干ばつが起こり、1200万人が被災し600万人が飢餓線上、うち100万人が餓死線上にあると言われた。今は報道されなくなってしまったが、変わっていない。診療所の周りでも村が消える。本当に消える、一木一草も残さない砂漠に代わってきている。一番多かったのが赤痢による死亡者、自給自足でも水がなくなればそうなっていく。清潔な飲み水と食べ物があれば、と思った。
   だから2000年8月に診療所の周りの枯れた井戸を直し始めた。やがて井戸を多く掘り、後に用水路の建設に進んでいきます。

アフガニスタンへの攻撃と効果
   2001年の9.11のニューヨーク等へのテロ。アルカイダを保護しているとしてアフガニスタンに空爆が始まった。私は当時、アフガニスタンは瀕死の状態、水と食料の問題なんだ、と言い続けた。これを解決しないと状況は結局、良くならないと。それが通らなかった。
   日本に帰ると評論家はピンポイント爆撃だといい、日本人の目も変わっていた。私は無差別爆撃だと言った。実際そうだったから。ペシャワール会は、現地では同胞のために命をかけるアフガニスタンの力で持っている。食糧配給を始めていたが、3つのチームに分けて動いてもらうようにした。一つがつぶれても全てが潰れないように。
   タリバン政府が倒れた。自由を求める力、正義の味方だと宣伝された。そして何が起こったか。ケシの再生産、ケシ栽培の自由、売春婦をする自由、コジキをする自由、お金持ちがますますお金持ちになる自由が広がった。水が足りずともケシは栽培できる、お金になる。食糧を100%自給していた国が、50%以下となってしまった。

水、水
   解決の道はまず水だった。だから、井戸事業の後、現地の人と用水路を作った。まだまだ空前の旱魃状態。ヒンズークシ山脈の雪が溶けて流れる川から用水路を引く。まずマルガリード用水25㎞。管理維持をするのは村の役割です。シャベルで作り維持して行く、それがいつまでたっても国民国家などできない現地の実情に最も合っているから。
   日本と似ているのは、アフガンの川が急流であることです。夏冬の水位の差が極端であることも同じ。一気に洪水にまでなるのも同じ。日本で参考になったのが福岡県筑後川の斜め堰「山田堰」でした。220年前に作られた取水堰で今も現役。一定量の水が用水路に流れていく。コンクリート3面の取水堰だと割れてしまったら補修ができない。用水路には石を積む場所があるのですが、これも柳の木を植えて石を包むようにしていった。柳の根は石を除けず割らず包むように成長していく。
   2010年2月、ガンベリ砂漠に水路全長25,5kmが開通しました。直接灌漑面積は約3000ヘクタール。作業をするのは農民たち。家族が帰ってくる、また暮らせる、と。希望は食事、家族と平和な所で暮らしたい、生きようとする健全な意欲となっていく。

協力の哲学
   思うに、農業協力では、地域性、自治性、非商品性、地域循環性が必要だと思う。地域の環境特色を忘れてはならず、生活者に主体性あるものでなければ長続きせず、商品作物を作ることを目的としては長持ちも自立もせず、自然を酷使すれば続かない。
   そして、『天の時』『地の利』『人の和』がなければ、何事も進まないと思う。自然とずれてはならず、その土地の特性をとらえなければうまくいかず、住民のさまざまな特性を尊重しなければ物事は進まず、維持もできない。たとえば、施設建物を作るときはモスクも併用している。それが地域の特性であり、人の和を維持するために必要だからです。
   今2014年、16500haの人が暮らせる土地ができた。65万人です。アフガニスタンでは、タリバン政権の崩壊後多くのボランティア団体が入り活動してきたが、しばらくして撤退していった。ペシャワール会のしていることこそが復興のためのモデル工法ではないか、と思う。

人と自然、人との人の和解
   30年過ぎて思います。人間は自然と離れて「自分たちの合意や争いごとのなかで生きているような錯覚」をしているが、人間が自然といかにつきあっていくかが大切で、日本の大震災でも原子力発電でも今、問われていると思う、転機だと。経済成長は限界、行き詰っているのではないかと。投資して利潤を得る社会は終わったのではないか、10-15%の人だけ利益を受ける経済政策はおかしいのではないか、と。
アフガンでも日本でも、人間と自然、人と人の関係、それぞれ共存する方法が問われているのではないか、と。昨今いろんな出来事が国の内外である。人と自然、人と人が『和解』することしか生きていく道はないだろうと。そうでなければこの世界は、おそらく消えていく、そう思っています。

質問に答えて-NGOは色々あるのか。
   NGOにも色々ある。『気立てのいいNGO』もあるが、1つのビジネスにしている所や政府の代弁者だと思われるのもある。NGOの良さは政府と異なった意見も言えることなのに。NGOの名目で警備・傭兵会社だったものさえある。麻薬を運んだNGOもある。貧富の差の拡大の原因の一つが、海外援助を基金としている団体がらみで、政府や途中でお金など抜かれていっていること。

質問に答えて-集団的自衛権について。
   現地の人は、日本はアメリカと親しいと知っているが、「日本は軍服を着た人が来ていない。国土を蹂躙していない、支配していない」ことも知っている、西部劇でインディアンをやっつけるように攻撃してきたアメリカ人や、協力して派兵したヨーロッパ人は、アフガニスタンを歩けない、復讐するのが美徳とされている社会なんです。
集団的自衛権って、もうアフガンで実施済みではないですか。アメリカを攻撃したアルカイダを保護しているとしてアフガン、タリバン政府を攻撃して、実際政府を倒したが、テロはなくならない。アフガンも混乱しその他の国の状況も悪くなるばかり。親しい国と闘う国を自国の敵にもするというのは、要するに敵を作っていくことであり得策ではないと思う。                                          (まとめ文責は滝本太郎)

 


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