憲法九条やまとの会

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 ・・・平和を望み、維持したい・・・

麻生副総理発言を評す

2013年08月07日 | 憲法九条の関連ニュース

 麻生太郎副総理は、7月29日、公益財団法人「国家基本問題研究所」(桜井よしこ理事長)月例研究会でのシンポジウムで、看過できない発言をした。氏の全発言(「麻生副総理の憲法改正をめぐる発言の詳細」―朝日新聞DIGITAL版による)から、96条・9条にも関わる憲法問題をめぐって述べる。

 麻生氏発言はひどく事実を歪曲しているばかりか、副総理ともあろうものが、歴史を少しも勉強したことが無いではないか、と思うほど「お粗末」なのに驚くとともに、憲法九条改憲に反対するものとしても見過ごすことのできない内容であった。なお、文献・資料として『ホロコースト全史』(マイケル・ベーレンバウム/創元社)、『ドイツ史3』(成瀬など/山川出版社)を用いた。

 冒頭から、氏は、無知によってか故意にか、歴史的事実を捻じ曲げて発言している。無知なら軽軽に放言すべきでなく、故意ならばヒトラーの手口を美化するものだ。「僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ」と述べている。これは、事実ではない。1933年3月末、憲法改変には、全議員の3分の2以上の出席に加えて、出席者の3分の2以上の賛成を必要としたが、これを「クリア」することによって、ヒトラーに全権を与え立憲体制を完全に崩壊させた全権委任法(授権法)を成立させた。これは、次のような手段によってであった。国会のみについて言えば、当のワイマール憲法下で選出されていた共産党議員全員の81名、社会民主党議員26名を議場に入れないように排除し、キャスチングボートを持つカトリック政党の中央党を懐柔して「クリア」したのであった。これを、ヒトラーは合法的と強弁した。このようなことが可能になったのは、ワイマール憲法自体に致命的欠陥があったことによるのである。これが、3分の2条項さえ「クリア」できる条件を作った。

 他方、国会外では、3月5日の国会選挙を直前にした2月27日夜、国会議事堂が炎上した(国会議事堂放火事件)が、ヒトラーはそれを(後にナチスの自作自演であったことが判明した)共産党の犯行とし、大統領ヒンデンブルグを通じて、ワイマール憲法の致命的欠陥であった「大統領緊急令」(憲法48条)を発令させ、共産党員の一斉検挙を強行し、同時に、ドイツ国民の言論・報道・集会の自由などの基本権を停止した。こうして、令状なしに家宅捜索が行われ、国会議員を含む批判勢力の人びとを次々と逮捕していった。恐怖政治によって、一般国民がナチスに反対できない環境をつくりだした。このような状況下で国会選挙が行われたのである。「ヒトラーは、民主主義によって、きちんとした国会で多数を握って…」などとは事実に反した虚言である。こうして、ヒトラードイツは第2次大戦とホロコーストなどに突き進んだのだ。

 このように、麻生氏は事実を歪曲して述べたうえで「彼は、ワイマール憲法という、当時ヨーロッパで最も進んだ憲法下にあって、ヒト
ラーが出てきた。常に、憲法が良くても、そういうことはありうることですよ。」などとも述べている。日本国憲法の下でも「そういうことは
ありうる」と問わず語りに恐るべき危険な「予言」をしているかようである。

 最後のオチは、「憲法は、ある日気がついたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気がつかない
で変わった。あの手口学んだらどうかね」である。「ある日気がついたら」どころか、ドイツ人誰もが見ている中で、公然と、不法・不当な
手段が駆使されたのである。「ワイマール憲法が変わった」のではなく、全権委任法によって、ワイマール憲法が無力化されたのだ。
「あの手口学んだらどうかね」とは、語るに落ちるというものではないか。できるだけ「騒ぎ」にせず、波風をたてない手口で、なし崩しに
、解釈改憲によって96条・9条を「空洞化」したらよい、の意であると診ないわけにはいかない。ヒトラーの手口を「現代風」に「換骨奪胎」
せよ、と言っているに過ぎない。ナチス肯定であるとともに、96条・9条の明文改憲とあわせて集団的自衛権行使の解釈改憲が実行段
階に入ってきた、と診ざるをえない。

 なお、補足すると
①ワイマール憲法の「致命的欠陥」について少し…
 ワイマール憲法は、当時としては最も民主的で進んだものと言われたが、しかしそれでも、諸党派の妥協の産物でもあった、と言われ
 ている。それが「大統領緊急令」である。「緊急」時には、この大統領緊急令を発して、州政府の権限を大統領が取り上げることができ
 るとともに、憲法が保障している市民の諸権利を停止することができ、さらに、国会の解散権を持つことが出来た。そして、事態は、ヒト
 ラーの傀儡化した高齢の大統領ヒンデンブルグによって、この緊急条項が発令されたのであった。さらに、国会の3分の2の賛成を首
 相(ヒトラー)が得れば、首相は議会の立法権の全権を委任されることになった(全権委任法)。
②現在、ベルリンの国会の前には、ワイマール憲法下で国会議員に選出された議員で、ナチスに殺害された人々のモニュメントがある
 。それには、殺害された国会議員の氏名、所属政党、殺害された強制収容所名および殺害された年月日が刻まれている。これも、日
 本の現状と比較されたい。
③『ホロコースト全史』の「著者マイケル・ベーレンバウム氏は、ジョージタウン大学神学部准教授を務めながら、アメリカ合衆国・国立
 ホロコースト記念博物館の付属研究所長を務めている人物である。」(日本語版監修者序文より/1996年10月20日第1版第2刷発
 行)。                           
              以上
                                                   2013.8.4
                                                   憲法九条やまとの会 事務局長 斎藤竜太