『今の憲法はもう60年以上も経っている。そろそろ変えてもいいのでは』について
フランスでは、1789年の人権宣言が、イギリスでは、1215年のマグナカルタがいまだに憲法の一部として通用しています。
こうした国々では憲法の基本部分には一切、手をつけていません。
そもそも古くなったから変えようという発想自体がないのです。
アメリカの憲法は1788年に制定されましたが、いまだに社会権条項、男女平等の条文はありません。
しかし、それを理由に改正しろという議論はまったくありません。
『今の憲法はもう60年以上も経っている。そろそろ変えてもいいのでは』について
フランスでは、1789年の人権宣言が、イギリスでは、1215年のマグナカルタがいまだに憲法の一部として通用しています。
こうした国々では憲法の基本部分には一切、手をつけていません。
そもそも古くなったから変えようという発想自体がないのです。
アメリカの憲法は1788年に制定されましたが、いまだに社会権条項、男女平等の条文はありません。
しかし、それを理由に改正しろという議論はまったくありません。
『近隣諸国が軍事力を増強しているという状況に現実的に対応するべきだ』について
中国との間には海底ガス油田問題があります。
しかし、それが日本を軍事的に攻撃する根拠にはなりません。
ガス油田の権益を守るために、外国からの投資熱を一気に冷ましてしまうような、最大の貿易相手国との関係を断つことになるような、せっかく勝ちとったオリンピックや万博を台無しにするような、日本への軍事的攻撃をして、自国の主張を通そうと中国首脳が考える蓋然性がどれほどあるでしょうか。
領土問題はどうでしょう。
竹島、尖閣諸島も問題を軍事力で解決するという時代ではありません。
なぜなら、代償があまりにも大きすぎるからです。
近隣諸国の軍備増強を怖れるのであれば、世界一の軍事的脅威はどこかを考えてみてください。
アメリカは、世界の軍事費のほぼ半分を一国で占めている軍事超大国です。
軍事的脅威が不安の原因ではありません。
信頼関係を無くすことが不安の原因なのです。
*この内容は伊藤真著『憲法の力』(集英社新書)714 からの要約です。全文を読まれることをお勧めいたします。(スタッフT)
『独立した主権国家である以上、自分の国は自分で守るのは当然。そのためには軍隊が必要だ』について
集団的自衛権は、同盟国の敵をも自国の敵として反撃しょうとするもので、同盟国だけで結束し、それ以外は敵とみる、いわば「排除の論理」を前提にしています。
一方、国連憲章がいう集団安全保障は、仲間を信頼して、共同して問題を解決しょうという「共生の論理」を前提にしています。
こうした集団安全保障のために国家主権を制限するという発想は、日本国憲法九条と前文に端的に表れています。
日本は国家主権としての戦争を放棄し、自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄したのです。
日本も、アジアの一員として存在し続けるためには、大陸や朝鮮半島の国々と協力関係を築き、アジアにおける集団安全保障の枠組みをいかに構築するかという大きなテーマを議論する時期にきているように思われます。
アジアでは、経済問題のみならず、エネルギー問題、環境問題、自然災害対策など私たちの生存に必要な課題が山ほどあります。
それらの問題が軍事力強化によって解決できるとはとても思えません。
真の安全保障と危機管理は、危機を避けること、つまり攻撃されない国を作る、攻められない国を作ることにあり、それがもっとも現実的な国防のあり方です。
『攻められた時のために軍隊を持っておくべきだ』について
現在の「テロとの闘い」といわれるような戦争では、軍隊を持っていたとしても攻められてしまったら同じなのです(9.11同時多発テロ、ロンドンのテロ)。
特に日本は、入り組んだ海岸線に囲まれ、人口が密集し、新幹線が走り回り、多くの原子力発電所を抱えています。
このような国が軍隊を持つことによってテロを含む攻撃から国民を守れると考えるほうが、よほど非現実的なことです。
今の日本国憲法は、軍隊を持つことはかえって攻撃の口実を与えることになるから、軍隊は持たないほうが安全だ、という考えによって、非暴力平和主義を宣言しています。
一旦戦争が始まり、暴力の連鎖、憎しみの連鎖が始まると、それにより多くの国民の生命と財産が失われることになります。
こうした殺し合いの無間地獄に入り込むリスクを負って、先制攻撃をしかけるメリットがあるのでしょうか。
日本軍がアメリカと行動を共にすることにより、アメリカの敵は日本の敵となり、日本は今まで以上に攻撃されやすくなります。
常にテロの脅威にさらされる社会となります。
『軍隊を持ったからといって、必ずしも戦争をするわけではない』について
これまで人類は自衛戦争の名の下で侵略戦争を行ってきた。
アメリカの行ったベトナム戦争も、旧ソ連のチェコスロバキア軍事介入や、イギリスの中東のイエメン介入、日本の「満州事変」から「大東亜戦争」にいたるまでの侵略戦争を、自衛の名の下に行ってきました。
憲法で歯止めをかけておけば大丈夫、という考えは、権力者が憲法を守ってくれるという前提があっての話。
現在の権力者は現行憲法すら守れない人たちで、この先も信頼できない。
『国民の生命や財産を守るためには軍隊が必要だ』について
沖縄戦では、足手まといや、食糧不足の要因になるという理由で、日本軍によって住民が大量に殺害されました。
野戦病院にも民間人は入れてもらえませんでした。
戦争遂行という至上目的もしくは至高思想が前面に出てくると、むしろ日本人でも殺すということが論理的に正しくなる。
この内容は伊藤真著『憲法の力』(集英社新書)714 からの要約です。全文を読まれることをお勧めいたします。(スタッフT)