憲法九条やまとの会

今、日本国憲法九条改憲を止める
 ・・・平和を望み、維持したい・・・

報告:12.23追悼中村哲氏in大和

2019年12月25日 | 私たちのイベント情報

   参加者数は、450名という所でした。 記帳もなく多くの方にはDVD上映など見られず、資料をお渡しし、後ろの献花台にてお願いする形になりました。会場定員が145名でしたから。特にうち200人近くはまず建物外で待って頂き、大変申し訳ありませんでした。
 
DVDの上映、黙とう、弔辞そして皆さんが持参した献花をしました。DVDの後の音楽は、故人が好きだったというショパン、モーツァルトを流しました。

 DVDを見るなどできなかった方に、2月9日の集まりを急きょ予定しました。どうぞ、おいでくださいませ。
  「緊急上映会」
日時―2020年2月9日(日)2:30~4:30
場所―大和シリウス6F 601号室
   〇 用水路が運ぶ恵みと平和・DVD ―本編30分 吉永小百合さんナレーション
―技術編35分 アニメも使った用水造り
   〇 弔辞(録画) 友人 斎藤竜太

  12.23では、急ぎ作った下記冊子のほか、ペシャワール会のニュース、パンフ、また添付の追加の2020.2.9上映会案内を配布しました。カンパ総額は571,211円で、集会実費を控除して491,803円(送金417円を含む)を25日送金しました。クリックすると大きくなります。
 この度はありがとうございました。

   また、代表斎藤竜太の、当日朗読の弔辞は下記の通りですので、ご紹介します。
         **********************
      中村 哲さんの死を悼む

 中村哲 さん、
 中村さんが何者かによって銃撃され亡くなったとの訃報が入った。心配していたことが現実となって愕然とし、喪失を感じ、悲しい。 九大学医学部では、私はあなたよりずっと年上の同級だった。
 1968年学園闘争が「収束」し、大学に残った者もあったが、少なからず「野に下った」。あなたは市中の病院勤務になった様であった。私は関東に下った。

 20数年前になる。私は所用で家族と成田空港に在った。そこで予想もしない中村君とばったりと出会った。奇遇だと言って一時の会話となった。アフガンに帰るとこだと言った。100万人もの人たちが餓死に直面している旱魃の深刻な状況を、真剣な面持ちで話してくれた。私はそれまでその実情を知らなかった。これが、彼とこれまでにない近さをもって交わる機会となった。
 2001年10月の衆議院テロ対策特別委員会の席上、「9.11」をめぐって、米国に追随する政府のアフガニスタンへの自衛隊派遣論にたいして、あなたは「有害無益」と喝破したのは誰しも知っている。 その後、東京に出て来られた時や、私が九州に出かけた時には、出来るだけ会うようにした。
 由来、あなたは、憲法9条改悪に反対し、憲法はこの国の金字塔であり、実行せよ、と繰り返しのべてきた。

 そうこうして、私たち神奈川県大和市の「憲法九条やまとの会」は、会を立ち上げたその年2006年8月26日を初めとして3度に亘って講演をお願いすることとなった。2017年6月1日の3度目の講演が終わり、滝本太郎弁護士運転の車で羽田まで送った。ホテルに一泊し、翌朝朝食の間一時談笑した。その中で君は「米軍は油断出来ない」と言った。いわば、前線で仕事を続けてきた人だからこそ、この言葉の意味するところは深い。食堂から空港へ出る姿が最後となった。

 12月11日の中村家とペシャワール会合同葬に私は出席した。葬儀委員長でペシャワール会会長の村上優さんに続いて、バシール・モハバット駐日アフガニスタン大使が、沈痛な面持ちで彼の功績と守れなかった悔しさ申し訳なさを涙ながらに述べられた。
 葬儀の最後に、中村家を代表して、ご長男の健氏がお父さんとともに亡くなった五人の方々のご冥福とご家族へのお悔やみを述べられ、会葬者へのお礼と父君のことを話された。父は「言葉だけでなく行動で示せ」「年中留守ばかりして母子家庭だね」と言い「お母さんをよろしく」と。
 アフガニスタン国旗に覆われた柩が会場中央を上り、会場を後にする霊柩車を見送った。
 葬儀の冒頭に、上皇ご夫妻からの弔意があった旨が流された。日本政府の弔辞はなかった。
 アシュラフ・ガニ大統領をはじめとするアフガニスタン政府は、国葬に匹敵する送葬を執った。日本の良心を世界に示した中村さんに、安倍政権は何ほどの事をしたというのか。いや、真逆の立場にあった。

 中村さんが完成を目指したPMS(平和医療団・日本)方式「緑の大地計画」は、ひと言で、アフガンのきびしい自然環境の中でも、人びとが安心して食べ暮らせる条件を創りだすことにあるのだと思う。それは、現地の人びとが自らの力で創り上げるものであり、その思いと知恵と技術を現に働いている人びとと、それを受けつぐ技術者の養成と子どもの教育によって、世世代代引き継ぐことを目指すものであった。巨大な成果を上げていたが、さらに途方もない困難を伴う事業を、彼は、人びと共にこの困難を断乎として克服しつつあった。

 中村さんのアフガニスタン民衆への限りない愛情と献身が人びとの心を鼓舞し、その人々が自国の社会経済を自力で建て直し、国の独立を支える基礎を据える力として澎湃と登場しているのではないだろうか。その途上であった。それを思うと、中村さんの死の損失は計り知れない.実に、あなたは、国際的な支援とは如何なるものでなければならないかを身をもって世に示したと思う。この事態にあたって、ペシャワール会は、中村さんと現地の人びとのアフガン「緑の大地計画」という壮大な事業を断乎として受けつぐことを決意している。成功を願うものです。
 ただ、気がかりが無いではないのです。この偉大な事業をめぐって内外の諸勢力がいかなる関係を持とうとしていのるのか。いや、それは、杞憂にすぎなければならないはずだ。

 中村君、あなたは自然に還った。いま、私たちは、あなたを悼み・偲んでいます。同時に、この悲しみを力に変え、あなた方の事業に学んで、私たちの事業を達成するために努力することを約束します。

           2019年12月23日
                         「憲法九条やまとの会」事務局長 斎藤竜太 

 

 


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