ENDLICHERI☆ENDLICHERI
BOOTLEG RADIO
(注:表現力が無いので合い間に流れる曲以外の音楽と
え~、等の言葉は割愛させて頂く箇所もございます。
聴きとれず抜けていたり聞き間違いがあることも
ご了承下さいませ)
どうも!
みなさん、こんばんは。堂本 剛です。
FM大阪からお送りしております。
エンドリケリープレゼンツ
TSUYOSHI DOMOTO
BOOTLEG RADIO
えー、お時間やって参りました、
今日はですね、え、第46回
<忘れないでいること、忘れなくてはいけないこと>
うーん。ま、ほんとに、自分にとってね、時代にとって、
世の中にとって、世界にとって、その忘れては、いけないこと、
後は、忘れなければいけないこと、
やっぱ、人間って、ま、当たり前ですけれども、
その、両極端を、ま、持ちながら生きているという事ですけれども、
ま、あの明日がですね、防災とボランティアの日なんですけれどもね、
えー、阪神淡路大震災から、
えー、明日で14年。で、ございますねー、
僕はですね、もう、ちょうどあの高校入学するみたいな
タイミングの時でしたね。
で、TVをつけると、ま、高速道路が横になっているという、
絵がとんできて、
や、これ、何?
日本?どこ?
うわ、日本やんけ。っていう所で、
うわ、大阪やん。ってなってねー、
で、その大阪の絵は出てるけれども、
大阪から先の絵が出てないわけ。
要は、奈良人やから、奈良の絵が出てへんから、
え?どうなったんや、と、
ちょうど、ま、そのー、お母さんはね、
入学の色んな手続きとかもあってー、東京出てたんです。
で、他の残された家族だけ、おったんでー、
電話したら、繋がれへんしよ。
めっちゃ、不安で、あれ、お姉ちゃん、どうした、大丈夫かな?
お父さん、大丈夫かな?
も、ずっと電話しても、全然、出ーへん。
で、仕事場行っても、もう落ち着かへんねん。
全然、電話かからへんし、も、どうしょ、どうしょうってなって、
ほいで、最終的に、やっと夜かなー。
ぶあって繋がって、で、大丈夫やった?って言ったら
うん、めっちゃ揺れたって言うて、
もう、あかんって思たって、お姉ちゃん喋ってたけども、
食器棚、全部、食器、ぐっしゃーなってみたいな
奈良で、そんだけ揺れてるという事が恐いなって思ったんですよ。
だから、あの比較的その凄い、あの、被害はなかったですけれどもね、
でも、やっぱり、近い場所でしたし、
ま、その大阪なんていうのはね、
僕も、しょっちゅう歩いてた場所でございますから、
ま、ほんとにあのー、こういったね、震災、大地震が起きたという事だったり、
その状況に、ま、生まれた愛であったりとかー、絆であったりとか、
うん、そういうものってやっぱ忘れてはいけないし、
ま、僕なんかはー、実際に体感してへんから、
偉そうな事、いっぱい言えるのかもしれへんけど、
でも、なんか、大震災と言う事もそうですし、
人間がやっぱり生きていくうえでね、必要な事っていうものを
もっともっと僕達は、学ばなきゃいけないなという事もやっぱり感じますよね。
とにかく、まー、歌をね、僕は、歌いますけれどもー、
最近、僕、よく言うんですけどね、
アイドルという、まー、
みんながカテゴライズするような、ま、場所があるとするじゃないですか。
いわゆる、偶像。ね、そこに対して、
うーん、例えば、夢を歌うっていう。
ま、何かのルールみたいなのあるじゃないですか。
でも、これからのアイドルはね、
やっぱりその、夢を歌っていてはいけない。とさえ思うわけです。
そうじゃなくて、やっぱり、現実をまず歌い、
そして、その先にある希望へと確実に連れていってあげる。っていう。
それをしなきゃいけないと思いますよ。
夢なんて、歌ってても、結局、現実では無いと言う、夢なんです。
じゃなくって、やっぱ、現実を生きていながら、
そして希望に繋げる、希望を歌うっていう事がやっぱり、
ステージに立つ人間としては、大事な、気持ちなんだろうなと、
だから、言葉を例えば、きっとこうなるはずなんだ。とか、
きっと明日はあるはずだから、とか、
簡単に言いたくないという事ですね。
なんかこう、夢に乗せて、
きっと明日があるはずなんだっていうものは、
綺麗かもしれへんけど、
現実を感じて、希望に乗せて、きっと明日はあるはずなんだっていう事を
言いたいっていうか、
ま、そういうことやっぱり、
どれだけ意識して歌っていくかっていう役割?
やっぱりアーティストもアイドルもそうですけど、
やっぱアーティストはそうなっていくべきだという
表現者はそうなっていくべきだなっていう風にやっぱり思いますよね。うーん。
だから、歌って言うものが、人を助けたり、
まー、僕なんかもそうですよ、
あの生意気にもね、18ぐらいの時ですか、
ほんと、人生をもう諦めようと終わりにしようと思って
生きてた時があったわけですよ。
そんな時にね、音楽に出会ったんです。
で、僕は、あ、ここであれば、
生きている意味がみつけられるかもしれないと、
でも、僕は多分、今、生きている意味をみつけるとするならば、
あのー、そうやって、メッセージでありたいという事ですかね、
うん。時代に対してとか、
誰か1人に対してのメッセージとして自分は生きていこうみたいなね、
うーん。そういう思いも強かったりするわけでございますけれども、
ま、ほんとに、当時の事知らない人も
僕なんかそうですけれども、
当時をその体感出来ていない、体感していない、
人間も、やっぱりちゃんと考えなきゃいけない事、
或いは、その話しを聞いて、何か自分にとって、凄く勉強になるきっかけ
いわゆる、その自分が、その何か、自分が何か体感していない物から
学ぶと言う事が、やっぱ大事であり、
それを、ちゃんと、心で考えると言う事ですね、
だから、自分はそうじゃないから別にええわ、
っていう事ではやっぱりないという事ですよ。
人間ですし、命ですし、人生はね、やっぱ1回きりなんです。
だから、この1度きりをね、
あの生きていられると言う事は凄く幸せな事です。
僕なんかもほんとに幸せだなと
18の頃にね、色んな事考えたらば、
ほんとに情けないなって今は思いますけれども
やっぱそう考えてしまう環境だったりとかっていうものも、
傍にあったんでしょうね。うーん。
人間というものはやっぱり、あのー丈夫なようで繊細な生き物ですしね、
命と言うものは、本当に大切なものであり、儚いものでございますからね、
みなさん、ほんとに、いわゆる色んなそのこういう日だからあんな日だから
という事ではなくてね、どんな日であっても、
どんな人生であっても、どんな命であっても
とにかく大切に考えなければいけない
ほんとに忘れないでいなきゃいけないという事と
忘れなくてはいけないという事、うん
そういうものの、えー、区別というもの凄く大変ではありますけれどもね、
そういうものは、ほんとに、生きている人間なのであれば、
ほんとにちゃんと考えて生きていかなきゃいけない。っていう風に
思うわけでございます。
みなさんもね、えー、生きている、その現実、
そして、これからも生きていくという希望をね、
共にならしていければいいなあなんていう風に思います!
さあ、えー、この番組はですよ、
えー、ま、関西に愛情をかなり注ぎながら
堂本 剛が、毎週色んな場所からですね、
えー、お送りしているレディオショーでございます。
ま、今日も、あのみなさんから届いているメールをですね、
色々と紹介していきますので
最後までお付き合い頂きたいと思います。
さ、それではですね、こちら、
ラジオネームがですね、えー、湯けむりさん。です。
こんばんは。初めてメールします。
私は、えー、東京在住の為、関西のラジオ聴くことが出来ません。と、
でも、ラジオレポ拝見させてもらってます。
見ているだけでも、声を聴いたような感じ、
言葉、1つ1つ心に響きます。と。
有難うございます。
え、明日、え、1月17日は1995年に阪神淡路大震災の起きた日です。
悲しみを乗り越え、明日へと歩き始める、
そして、その事を忘れてはいけない。
この曲は、ぴったりな曲だと思います。
<これだけの日を跨いで来たのだから>をお願いします。
という、あの、リクエスト頂きました。
ま、この<これだけの日を跨いで来たのだから>っていう曲はね、
多分、僕が人生で一番言いたいい事、だろうと思って
溢れんばかりの感情をシンプルに頑張って書いた曲でございます。
うーん。やっぱ、さっきも言いましたけれども、
人生1度っきりだという事だったり、
自分は命という愛なんだという事、
誰かの希望になれればいいなという理想があったりとか
ま、色んな事、ほんとに、えー、込めながら、
言の葉を綴ったそんな楽曲でございます。
それでは、聴いて頂きましょう。
えー、エンドリケリー・堂本 剛で
<これだけの日を跨いで来たのだから>どうぞ。
~ これだけの日を跨いで来たのだから ~
お洋服通販サイトです

宜しければぜひお立ち寄り下さいませ 
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えー、お時間やって参りました、
今日はですね、え、第46回
<忘れないでいること、忘れなくてはいけないこと>
うーん。ま、ほんとに、自分にとってね、時代にとって、
世の中にとって、世界にとって、その忘れては、いけないこと、
後は、忘れなければいけないこと、
やっぱ、人間って、ま、当たり前ですけれども、
その、両極端を、ま、持ちながら生きているという事ですけれども、
ま、あの明日がですね、防災とボランティアの日なんですけれどもね、
えー、阪神淡路大震災から、
えー、明日で14年。で、ございますねー、
僕はですね、もう、ちょうどあの高校入学するみたいな
タイミングの時でしたね。
で、TVをつけると、ま、高速道路が横になっているという、
絵がとんできて、
や、これ、何?
日本?どこ?
うわ、日本やんけ。っていう所で、
うわ、大阪やん。ってなってねー、
で、その大阪の絵は出てるけれども、
大阪から先の絵が出てないわけ。
要は、奈良人やから、奈良の絵が出てへんから、
え?どうなったんや、と、
ちょうど、ま、そのー、お母さんはね、
入学の色んな手続きとかもあってー、東京出てたんです。
で、他の残された家族だけ、おったんでー、
電話したら、繋がれへんしよ。
めっちゃ、不安で、あれ、お姉ちゃん、どうした、大丈夫かな?
お父さん、大丈夫かな?
も、ずっと電話しても、全然、出ーへん。
で、仕事場行っても、もう落ち着かへんねん。
全然、電話かからへんし、も、どうしょ、どうしょうってなって、
ほいで、最終的に、やっと夜かなー。
ぶあって繋がって、で、大丈夫やった?って言ったら
うん、めっちゃ揺れたって言うて、
もう、あかんって思たって、お姉ちゃん喋ってたけども、
食器棚、全部、食器、ぐっしゃーなってみたいな
奈良で、そんだけ揺れてるという事が恐いなって思ったんですよ。
だから、あの比較的その凄い、あの、被害はなかったですけれどもね、
でも、やっぱり、近い場所でしたし、
ま、その大阪なんていうのはね、
僕も、しょっちゅう歩いてた場所でございますから、
ま、ほんとにあのー、こういったね、震災、大地震が起きたという事だったり、
その状況に、ま、生まれた愛であったりとかー、絆であったりとか、
うん、そういうものってやっぱ忘れてはいけないし、
ま、僕なんかはー、実際に体感してへんから、
偉そうな事、いっぱい言えるのかもしれへんけど、
でも、なんか、大震災と言う事もそうですし、
人間がやっぱり生きていくうえでね、必要な事っていうものを
もっともっと僕達は、学ばなきゃいけないなという事もやっぱり感じますよね。
とにかく、まー、歌をね、僕は、歌いますけれどもー、
最近、僕、よく言うんですけどね、
アイドルという、まー、
みんながカテゴライズするような、ま、場所があるとするじゃないですか。
いわゆる、偶像。ね、そこに対して、
うーん、例えば、夢を歌うっていう。
ま、何かのルールみたいなのあるじゃないですか。
でも、これからのアイドルはね、
やっぱりその、夢を歌っていてはいけない。とさえ思うわけです。
そうじゃなくて、やっぱり、現実をまず歌い、
そして、その先にある希望へと確実に連れていってあげる。っていう。
それをしなきゃいけないと思いますよ。
夢なんて、歌ってても、結局、現実では無いと言う、夢なんです。
じゃなくって、やっぱ、現実を生きていながら、
そして希望に繋げる、希望を歌うっていう事がやっぱり、
ステージに立つ人間としては、大事な、気持ちなんだろうなと、
だから、言葉を例えば、きっとこうなるはずなんだ。とか、
きっと明日はあるはずだから、とか、
簡単に言いたくないという事ですね。
なんかこう、夢に乗せて、
きっと明日があるはずなんだっていうものは、
綺麗かもしれへんけど、
現実を感じて、希望に乗せて、きっと明日はあるはずなんだっていう事を
言いたいっていうか、
ま、そういうことやっぱり、
どれだけ意識して歌っていくかっていう役割?
やっぱりアーティストもアイドルもそうですけど、
やっぱアーティストはそうなっていくべきだという
表現者はそうなっていくべきだなっていう風にやっぱり思いますよね。うーん。
だから、歌って言うものが、人を助けたり、
まー、僕なんかもそうですよ、
あの生意気にもね、18ぐらいの時ですか、
ほんと、人生をもう諦めようと終わりにしようと思って
生きてた時があったわけですよ。
そんな時にね、音楽に出会ったんです。
で、僕は、あ、ここであれば、
生きている意味がみつけられるかもしれないと、
でも、僕は多分、今、生きている意味をみつけるとするならば、
あのー、そうやって、メッセージでありたいという事ですかね、
うん。時代に対してとか、
誰か1人に対してのメッセージとして自分は生きていこうみたいなね、
うーん。そういう思いも強かったりするわけでございますけれども、
ま、ほんとに、当時の事知らない人も
僕なんかそうですけれども、
当時をその体感出来ていない、体感していない、
人間も、やっぱりちゃんと考えなきゃいけない事、
或いは、その話しを聞いて、何か自分にとって、凄く勉強になるきっかけ
いわゆる、その自分が、その何か、自分が何か体感していない物から
学ぶと言う事が、やっぱ大事であり、
それを、ちゃんと、心で考えると言う事ですね、
だから、自分はそうじゃないから別にええわ、
っていう事ではやっぱりないという事ですよ。
人間ですし、命ですし、人生はね、やっぱ1回きりなんです。
だから、この1度きりをね、
あの生きていられると言う事は凄く幸せな事です。
僕なんかもほんとに幸せだなと
18の頃にね、色んな事考えたらば、
ほんとに情けないなって今は思いますけれども
やっぱそう考えてしまう環境だったりとかっていうものも、
傍にあったんでしょうね。うーん。
人間というものはやっぱり、あのー丈夫なようで繊細な生き物ですしね、
命と言うものは、本当に大切なものであり、儚いものでございますからね、
みなさん、ほんとに、いわゆる色んなそのこういう日だからあんな日だから
という事ではなくてね、どんな日であっても、
どんな人生であっても、どんな命であっても
とにかく大切に考えなければいけない
ほんとに忘れないでいなきゃいけないという事と
忘れなくてはいけないという事、うん
そういうものの、えー、区別というもの凄く大変ではありますけれどもね、
そういうものは、ほんとに、生きている人間なのであれば、
ほんとにちゃんと考えて生きていかなきゃいけない。っていう風に
思うわけでございます。
みなさんもね、えー、生きている、その現実、
そして、これからも生きていくという希望をね、
共にならしていければいいなあなんていう風に思います!
さあ、えー、この番組はですよ、
えー、ま、関西に愛情をかなり注ぎながら
堂本 剛が、毎週色んな場所からですね、
えー、お送りしているレディオショーでございます。
ま、今日も、あのみなさんから届いているメールをですね、
色々と紹介していきますので
最後までお付き合い頂きたいと思います。
さ、それではですね、こちら、
ラジオネームがですね、えー、湯けむりさん。です。
こんばんは。初めてメールします。
私は、えー、東京在住の為、関西のラジオ聴くことが出来ません。と、
でも、ラジオレポ拝見させてもらってます。
見ているだけでも、声を聴いたような感じ、
言葉、1つ1つ心に響きます。と。
有難うございます。
え、明日、え、1月17日は1995年に阪神淡路大震災の起きた日です。
悲しみを乗り越え、明日へと歩き始める、
そして、その事を忘れてはいけない。
この曲は、ぴったりな曲だと思います。
<これだけの日を跨いで来たのだから>をお願いします。
という、あの、リクエスト頂きました。
ま、この<これだけの日を跨いで来たのだから>っていう曲はね、
多分、僕が人生で一番言いたいい事、だろうと思って
溢れんばかりの感情をシンプルに頑張って書いた曲でございます。
うーん。やっぱ、さっきも言いましたけれども、
人生1度っきりだという事だったり、
自分は命という愛なんだという事、
誰かの希望になれればいいなという理想があったりとか
ま、色んな事、ほんとに、えー、込めながら、
言の葉を綴ったそんな楽曲でございます。
それでは、聴いて頂きましょう。
えー、エンドリケリー・堂本 剛で
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