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くまもとよかとこ案内人の会

熊本観光ボランティアガイドの会です。主に熊本城や熊本市内をご案内いたします。

2016年9月8日より頬当御門周辺の部材、石材回収

2017年04月11日 | 熊本地震後の熊本城

おはようございます。

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2016年4月の熊本地震で熊本城は甚大な被害を受けた。

地震後、城内に入れないので、城内の様子は報道関係からの情報収集となる。

 

(2016年9月22日付  熊本日日新聞) 

この記事は嬉しいというか、前に進んでいるのがわかり、少しホッとしたと同時に、実際に何も見ないまま、どんどん変わっていくことを改めて実感した。

私が被害状況を見ても、何一つ復旧に向けて力にならない。それどころか工事の邪魔になることは想像できる。

でも、たくさんのお客様と一緒に通った頬当御門の様子をひと目でも見て、『今はこんな状態です』ってお客様に伝えたい。

何度もお客様から、『城内の様子は?』と聞かれた。今後もきっと聞かれると思う。

 

 

(2017年3月3日撮影)

 

 

2016年9月より頬当御門周辺の部材、石材は撤去。

その後、復旧工事に使用する仮設スロープを2本設置。2017年3月完成。

スロープは6.6メートル幅の鉄骨造り。

頬当御門から天守閣西側の平左衛門丸までの98.2メートルとそこから天守閣前広場まで54.6メートルの2本。

工事機材や資材の搬入に使用し、天守閣や本丸御殿などの復旧工事が終わった後に撤去。

 

 

今、この石垣の向こうでは関係者が作業をしています。

私たちは見ることができないけど、無事復旧工事が終わることを祈るしかない。

 

 

最近は天守閣の中で作業員が何やらしている様子がわかる。

人が動いているのが遠目ながら見える。それだけでも皆さん頑張っている、ありがとうの気持ちでいっぱいになる。

 

小天守の石垣にも足場が。

どんどん変わっていく。そして、5月になると天守閣に本格的な足場が組まれ、やがてそこにシートが被され、天守閣も見えなくなる。

2019年大天守は復旧工事が終了する予定。それまで2年ほどは天守閣が見えない。

今はもうすぐ天守閣が見えなくなると覚悟している。でも、実際に見えなくなったら、胸がしめつけられるかも。復旧のための過程とわかっても、天守閣が見えないと寂しいだろうな。

 

 

くまもとよかとこ案内人の会は、

熊本城を中心に熊本市のよかとこ!(良い所)をご案内しています。

熊本城下『城彩苑』に平日3名、土日祝日4名が待機しています。赤いジャンバー(ポロシャツ)のユニフォームが目印です。

無料で熊本城を1時間位ご案内致します。
お一人様でも、グループ(7~8名)でもご利用いただけます。どうぞご利用下さい。

城彩苑案内所常駐ボランティアガイド
受付時間 9時~15時



熊本市内のご希望場所へのご案内は事前のご予約をお願いいたします。
ガイド料は無料ですが、交通費としてガイド1名に付き2,000円お願いしております。 

 

観光ボランティアガイド 『くまもとよかとこ案内人の会』
http://www.k-yokatoko.com/

熊本市中央区二の丸1番1-3 
   桜の馬場 城彩苑 総合観光案内所内
電話 096-356-2333


ありがとう青森ねぶた

2017年04月10日 | 熊本地震後の熊本城

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2016年4月に熊本地震が発生しました。その直後から国内外のたくさんの方々からご支援ありがとうございます。 

皆様のご支援、ご声援のおかげで一歩一歩熊本城も前に向かって進んでいます。

昨年の夏は遠く青森から本場のねぶたが熊本城にやってきました。この時は二の丸広場が大盛り上がり。 

(2016年9月4日付   熊本日日新聞) 

昨年2016年9月2、3日の両日、熊本城二の丸広場でねぶたが開催される予定でしたが、台風の影響で3日のみとなりました。

2016年9月3日の夜は本当に熱かった。熱気がムンムンしていました。

そして、嬉しいことに今年も開催が決定しました\(^o^)/

【熊本復興ねぶた】
日時:2017年9月2日(土)19時~21時
      9月3日(日)12時~14時
場所:熊本城二の丸公園

今年は二日間できるといいなー

 

 

そうそう、最近知ったのですが、肥後と津軽は繋がっていたんですね。

津軽藩(弘前藩)の最後の藩主(第12代)・津軽承昭(つぐあきら)は、なんと熊本藩主・細川斉護の四男です。安政4年(1857年)、第11代津軽藩主・津軽順承の婿養子となり、後に養父の隠居で家督を継ぎました。

こんなご縁があったとは・・・。 

 

 

昨年の様子です。

ねぶたは二の丸広場で毎日作業が進められ、こういう光景を見れるのがすごく嬉しかったです。

ひとつひとつ丁寧に筆を入れていく姿はかっこよかったです。

貴重な場面を毎日のように見ることができ、これだけでどんどんテンションが上がりました。

 

 

 

暇さえあれば、見に行っていたので、纏組の方々とも仲良くなりました。

今年も皆さんのお越しを楽しみにしています。

そして、準備段階からちょこちょこお邪魔して、昨年みたいに皆さんとお話ししたいなー。 

 

熊本城をバックに『ラッセーラー』の掛け声に合わせて広場を練り歩いています。

 

 

 

この迫力。本当にすごかった。

まさか、これが熊本城で楽しめるとは・・・。本当にありがとうございます。

そして、今年もよろしくお願いします。 

 

 

 

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熊本地震直後はブルーシートで被われた熊本城が夏は白いシートへ

2017年04月09日 | 熊本地震後の熊本城

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2016年4月の熊本地震で甚大な被害を受けた熊本城は復旧に20年はかかるといわれている。

20年といえば、この世に誕生した子が成人となる。そんな長い年月をかけて、復旧作業が続けられる。

シートが掛かったとか、シートが青から白になったとか、こんなことは20年という長い復旧作業の中ではほんの小さなことだと思う。

(2016年9月2日付   熊本日日新聞) 

 

小さなことだけど、こういう小さなことの積み重ねが、もしかしたら復旧に繋がるのかな。

地震でボロボロになった熊本城は、今まで見たことがない姿になった。

そして、これからもどんどん変わっていく。

今はいろいろな表情の熊本城を見えることに感謝している。

倒壊した櫓、崩れた石垣は痛々しいけど、これも歴史の1ページ。

どんな風に変化するか、どんな小さなことも見逃したくない。

 

 

 

(2016年4月27日撮影)

熊本城の長塀は242メートルある。現存する城郭の中で一番長い塀。

これは熊本城の自慢のひとつです。

でも、長いがゆえにこの400年間自然災害や人的災害に見舞われてきた。

2016年4月の地震でも、当然だがここも一部倒壊。

その前年は台風でやられ、応急措置をしていたところに地震が起きた。

 

 

(2016年8月12日撮影)

昨年の夏、倒壊した長塀に白いシートが掛けられ、話題になった。

この時の白いシートはまぶしかった。

夏日差しに照らされ、キラキラしていた。

傷ついたところに、まるでパワーを吹き込まれたようだった。

 

 

(2016年12月23日撮影)

暮れになると白いシートは取り除かれ、足場が組み立てられた。

 

 

(2016年12月25日撮影)

寒い中、朝早くから作業は行われ、足場が出来上がるとシートが掛けられ。

 

 

 

(2017年1月18日撮影)

年明けからは長塀の撤去作業が行われた。

 

 

(2017年3月1日撮影)

この光景はすごく違和感を感じた。

長塀がどこにもない。こんな姿はじめて見たから。

 

 

(2017年3月8日撮影)

この状態でいくつの季節を迎えるんだろう。

熊本城にあったものがなくなるって、こんなに寂しいものなんだ。

改めて強く感じた。

それと同時に壊れただけで、崩れただけでよかったと思った。

もし、地震で何もかも失っていたら、もう元に戻すことはできない。

でも、壊れても崩れてもすべて残っているから、時間はかかっても元に戻せる。

 

長塀が元にもどったら、長塀が鬱陶しいと思うぐらいずっとずっと見よう。

しばらくの間は長塀に休んでもらい、今まで以上にパワーをつけて復活してもらおう。 

 

 

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2016年8月31日夜の地震で奉行丸塀が倒壊

2017年04月08日 | 熊本地震後の熊本城

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2016年4月の熊本地震から少しづつ時間が経過し、熊本城の現状を受け入れることができるようになった。

ガイドをしているとたくさんのお客さんから温かい言葉や励ましも受け、気持ちが前向きになっていった。

そういう意味では私たちガイドは本当に幸せです。毎日たくさんの方に接し、元気やパワーを貰えるんだから。 

 

(2016年9月1日付   熊本日日新聞) 

気持ちがいい意味で前向きになっているときに起きたひとつのショックがこれでした。

2016年8月31日 19時46分頃 震度5弱の揺れを観測

久々の大きな揺れで、4月の本震が一瞬蘇りました。

でも、それだけは終わらなかった。翌日の新聞がこれです ↑↑↑ 

もう、これ以上熊本城が崩れることはないだろうと勝手に思い込んでいたから、奉行丸塀が崩れたのはショックだった。

 

地震前の奉行丸塀。

ここは地震後立ち入り禁止区域なので、地震後一度も近づくことも見ることもできません。

だから、余計に崩れたと知るとショックが大きく・・・。

人間って不思議なものですね。 

 

 

奉行丸の南東石垣が崩れたのは知っていました。ここはズームにすると少しですが見えます。

でも東側の塀は飯田丸五階櫓に隠れて見えなくて。見えなくてねー。

最近はそれでいいのかなって思うこともある。地震直後や数か月はお城の中がどんな風になっているのかすべて知りたかった。

新聞やテレビでしか情報が入って来ず、もどかしく感じたこともあった。

やがて地震から1年になろうとしている。今は見えるものをしっかり自分の目で見て、記憶に残そうと思っている。 

 

 

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湧々座に人形が描かれた石材を展示

2017年04月07日 | 熊本地震後の熊本城

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熊本市は2016年7月12日、熊本地震で崩落した石垣から、『人形(ひとがた)』と呼ばれる人物の線刻画が描かれた石を発見したと発表。

この報道を新聞とテレビで知ったとき、自分で目で見たい!と思った。 

 

(2016年7月30日付  熊本日日新聞) 

嬉しいことに、 城彩苑の湧々座で公開されることに。

すぐ見に行きました。

 

生まれてはじめて人形は『こけし』のようです。

これは1600年代前半のものと推測され、加藤時代のものとみられます。

史料が残っていないので、あくまでも推測ではありますが、熊本城調査研究センターによると、『加藤時代の石垣建設における地鎮や祈念の意味があるのでは』とのこと。

400年の築城当時、熊本城の石垣建設は本当に大変だったと思う。山から石を切り出すのも、運ぶのも、そして積み上げるのもすべて人力であり手作業。何度も危険な目にもあっただろう。そういう意味でも、無事工事が終わることを祈るのはよくわかる。

熊本地震で熊本城は甚大な被害を受けたが、築城当時の人々の想いに触れることができ、この貴重な経験は一生忘れないようにしたい。

 

人形はここから出てきました。

宮内橋横の石垣です。ここは高さ約9メートル、幅約19メートルあり、その大部分が崩落した。

撤去した約400個の石の中から人形がみつかりました。

 

現在はモルタルが吹き付けられ、ネットで覆われています。 

 

 

人柱祠(ひとばしらのほこら)
 昭和35年(1960)、城下海岸の遊歩道の工事中、日出城の西南端より木棺が発掘された。
棺は岩盤をくりぬいた穴におさめられ、その上に大石が乗せられ石垣の基盤となっていた。
棺の中からは老武士らしき遺体の人骨とともに陶製の翁像が、大石の上からはカブトの金具などが発見された。
大分大学の半田・富来両教授や文化財関係者の調査の結果、日出城築城当時の人柱であろうと推定された。
 日出城の築城工事は、城の西南部の地盤が弱く難工事であったと伝えられており、また方位上から城の裏鬼門にあたることなどから、人柱を立てたのではないかと考えられている。
棺の出土した地点の石上には人柱祠が祭られており、その昔の哀れさをしのび、祠に花を飾り香華をたむける人々が後を絶たない。(日出町教育委員会)

 

熊本地震の数日前、大分の日出城に行った。その時に人柱祠を見た。

熊本城にもこういうことがあったんだろうか? その時は気になったが、地震でそんなこともフッ飛んだ。

それが人形の石が発見され、日出城の人形も再び脳裏に浮かび・・・。

当時、人柱によってお城を災いから守ったのだろう。でも、人柱ではあまりにも、あまりにも・・・。それで人形で代用したのかな。それが日出城はできなかったということかな。

 

 

 

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