昨年の11月から、このブログを使って、サイゴンでの日本語教師の戸惑いの記録を読んでいただきました。
「一年なんて、あっという間だったでしょう」ときかれますが、決してそうではなく、一日一日が一目一目を縦と横に編みこんでいくような日々の連続でした。
赴任した当初は、『どうやって生活していくか』ということにエネルギーが費やされました。
つまり、何を食い、何を飲み、どこで洗濯をし、どうやって寝るか、割れたボタンをどこで買うか、砂糖をどうやって保存するか、だまって襲ってくる蚊をどうやって殺すか・・・、ことばがわからず、街の様子も人々の習慣も何もかもわからず、手さぐりでの生活を強いられながら、それでも、昨日と明日をつなぐため、今日を生きていかなければなりませんでした。
発熱・咳き込みが続き、右にも左にも、どこにも相談する人がいない中で、病院を探し、ようやくたどり着き、治療を受けたこともありました。
40円で買える拡大鏡(ベトナム語の辞書の声調記号を判別するため)を、160円で買わされて、それでもこちらから「カム オン(ありがとう)」などといって喜んでいたのも、今思えば滑稽です。
授業は、手探りの状態から始まりました。
教えすぎて、クラスを混乱させ、収拾にてこずったこともありました。
後半、突然学校が移転することになり、ホテル(といっても一泊8ドルの安宿)住まいをするようになったころから、生活にゆとりができるようになりました。
レストラン(食堂)で私の座るテーブルも決まってきました。
黙っていても、フランスパンがついて出てくるフォーの店もできました。
授業も学生の性格がわかって、機知にとんだ学生の楽しい発言を引き出すことができるようにもなりました。
授業にストーリーをもたせることもできるようになりました。
はじめてサイゴンに来た去年の11月、チリチリチリ と 鈴を振るようなツバメの鳴き声に耳を澄ませ、いい声だな と聞き入っていたのを思い出します。
いつの間にかその声は聞かれなくなり、そのうちすっかり忘れてしまっていました。
そして今年、帰国の準備を始めた10月の下旬、再び鈴振りの声を聞きました。
チリチリチリ・・・、一年が経ったんだ、と思いました。
ブログを読み返してみると、こんなこともあったと思う反面、こんなことしかなかったのかとも思わされます。
今心に残っているものは、受けた好意 そして みんなの笑顔。
学生たちとのやりとりは、これからも続けていくつもりです。
いまでも毎日のように、メールが届きます。
これから、私と彼らとの関係がどのように進展していくのか、わからないだけに楽しみです。
この一年は、何にも代えがたい深みのある一年でした。
k-603
「一年なんて、あっという間だったでしょう」ときかれますが、決してそうではなく、一日一日が一目一目を縦と横に編みこんでいくような日々の連続でした。
赴任した当初は、『どうやって生活していくか』ということにエネルギーが費やされました。
つまり、何を食い、何を飲み、どこで洗濯をし、どうやって寝るか、割れたボタンをどこで買うか、砂糖をどうやって保存するか、だまって襲ってくる蚊をどうやって殺すか・・・、ことばがわからず、街の様子も人々の習慣も何もかもわからず、手さぐりでの生活を強いられながら、それでも、昨日と明日をつなぐため、今日を生きていかなければなりませんでした。
発熱・咳き込みが続き、右にも左にも、どこにも相談する人がいない中で、病院を探し、ようやくたどり着き、治療を受けたこともありました。
40円で買える拡大鏡(ベトナム語の辞書の声調記号を判別するため)を、160円で買わされて、それでもこちらから「カム オン(ありがとう)」などといって喜んでいたのも、今思えば滑稽です。
授業は、手探りの状態から始まりました。
教えすぎて、クラスを混乱させ、収拾にてこずったこともありました。
後半、突然学校が移転することになり、ホテル(といっても一泊8ドルの安宿)住まいをするようになったころから、生活にゆとりができるようになりました。
レストラン(食堂)で私の座るテーブルも決まってきました。
黙っていても、フランスパンがついて出てくるフォーの店もできました。
授業も学生の性格がわかって、機知にとんだ学生の楽しい発言を引き出すことができるようにもなりました。
授業にストーリーをもたせることもできるようになりました。
はじめてサイゴンに来た去年の11月、チリチリチリ と 鈴を振るようなツバメの鳴き声に耳を澄ませ、いい声だな と聞き入っていたのを思い出します。
いつの間にかその声は聞かれなくなり、そのうちすっかり忘れてしまっていました。
そして今年、帰国の準備を始めた10月の下旬、再び鈴振りの声を聞きました。
チリチリチリ・・・、一年が経ったんだ、と思いました。
ブログを読み返してみると、こんなこともあったと思う反面、こんなことしかなかったのかとも思わされます。
今心に残っているものは、受けた好意 そして みんなの笑顔。
学生たちとのやりとりは、これからも続けていくつもりです。
いまでも毎日のように、メールが届きます。
これから、私と彼らとの関係がどのように進展していくのか、わからないだけに楽しみです。
この一年は、何にも代えがたい深みのある一年でした。
k-603
つい先ほど 日本に居る家人から、
めでたく「日本語教育能力検定試験」の合格証書が届いた
との知らせがありました。
◆ あの胡散臭い「検定試験」の内容に どれほどの妥当性があるのかはともかく、
これで一応、
(日本語教師としての「実践的な能力」ではないが、)
或る方面の「知識量」だけは そこそこのレベルに達している?という
【お墨付き】がもらえたわけで、
「今後の就職活動」に 力を与えてくれるもの と思います。
◆ さて、問題は これから これから~!
とりあえず 一方的なご報告まで。
> 学生たちとのやりとりは、これからも続けていくつもりです。
> いまでも毎日のように、メールが届きます。
> これから、私と彼らとの関係がどのように進展していくのか、わからないだけに楽しみです。
◆ さまざまなページの数々、楽しく読ませていただきました、どうもありがとうございました。
◆ 僕は今、あまりにも自然に囲まれ(過ぎ)た田舎にいるせいで、「日本語教えます」という看板は出しているものの、地道に学ぼうという学習者には なかなか出会えず、「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」レベルで終わってしまっていますので、元学習者たちとは 村の市場で顔を見つけて「こんにちは」と微笑み合うのが関の山なんです。
◆ ほかならぬ「日本語」で交流できる学生たちが「成果」として今も今後も残っている というのが素敵ですねえ、うらやましいです。
◆ 六百山さんからの刺激・影響も大いにあって、『来年度あたり、ちょっと違った場所で仕事としての日本語教師 やってみようかな』などと本気で考えるようにもなってきています。
……とは言え、やっぱり「大都会は嫌」なんですけどねぇ。あはは。
◆ 自分で選り好みなどせずに、ぽーんとどこかへ「送り込まれてみる」というのが、貴重な体験の秘訣?なのかも知れませんがネ。
でもお元気での帰国うれしいです。
また日本でのご活躍楽しみにしています。