「絵」で自分を変えるのは不可能と思いながら、「絵」描き続けて居ます。
でも、「絵」を描き続けて居る間に自分がずいぶん変わって行くのですね。
もちろん時間が自分を変えてくれるように、「経過」の中に「汗」を流すことを積み上げることが、人を作って行くのだということなのかも知れません。
この2点の陶作品は、長い期間書架に架けられたままになっています。
部屋に同化されたごく普通の風景の一部になっているのです。
「陶」には、表面に懸けた釉薬が焼成温度と、酸素の量で微妙な表情を作り出します。
その変化を読み取ることが好きな「日本人の微妙な美感」が、「民芸」の基本になったのでしょうね。 「火の芸術」などと制作者は嘯いていますが、「焼けば焼物」などと開き直りながら、TVまで窯で焼いてみたことが有りました。 そんな「遊び?」も時にはモチベーションを呼び起こしてくれたことを想い出しています。
今回の個展にも数点出品して見ようとも思っています。 「土」は、触れば触るほど表情が「拙く」なって行くことを思ったこともありました。 絵の具だって、制作そのものも同じかなと思ってみたり、「松田正平・三岸節子」などを見ていると、力づくで絵具を刷り込むほど重ね塗っている間に「深い感情」が表出出来ることにも気づき、ちょうど裏側に位置している両方のよさの違いを噛みしめています。
そうなんです。 そんな中で、スケッチだけは、何時も描き続けてきました。