いよいよ非常事態宣言が解除になって、皆さん、今まで自由に出掛けられなかった分、外に向かってお出掛けになってる人が多いようですね。
ニュースで日光の駐車場での 🚙💨 🚗💨 場所取りの喧騒が映っていました!せっかく出掛けて行っても車を停めるところも無い💧 紅葉を観光するどころか、悲惨ですよね。
それにしても、日本の紅葉の美しさ!🍁🍂🍃 見事です!
栃木県 日光・東照宮
日光・いろは坂
フランスにも紅葉は有ります。Feuilles d'automne [秋の葉っぱ]と言う言葉もあるくらいですから。でも、日本のような鮮やかな赤や黄色はあまり見かけませんね。
ほとんど茶色や黄土色です。
この日光の喧騒をニュースで見ていて、母のことを思い出していました。
私たちが子供の頃も、観光地の賑わいというのは今と同じようでしたね。
参道の両脇にお土産屋さんや 食堂がずらっと並んでいるのですが、どの食堂も食事時は人でいっぱいで、空いた席を見つけるのは難しい事でした。
しか〜し、我が家では母がいる限り、食いっぱぐれる事はありませんでした!
席取りの名人なんです。
と言うのは、食事の進んでいる席を見つけると、あそこにしましょう!と私たち全員をその席に誘導します。席への誘導はお店の人の仕事ですが。。。
そして、私たちはその食事中の席をぐるっと囲む様に立って、終わるのを待つと言う・・・食事中のご家族は 気が気ではなかったと思いますけど…。
母は、どうぞゆっくり召し上がってくださいとか何とか、声をかけ続ける様な人です。まさに、早く食って出ろ!に聞こえたと思いますが…。
こういう母と出かける時は、確かに食いっぱぐれる事はありませんが、私たち子供はとても恥ずかしかったです。😰😱😨💦
⭐️ 母は 夜寝る時、布団に入って、掛け布団を首の所まで引き上げると、もう眠りについているような人です。何の悩みもないような、気楽で怖いもの無しの度胸の人でした。
その母も、5年ほど前の4月1日、エイプリルフールの日に亡くなりました。
私は気が小さいので、ほんの少しあの度胸を見習いたいものですが、ああ成ったらお仕舞いだという事も 年頃になったら思っていましたね。
しかし、歳を取ってきて、母の持つエネルギーが私も出てしまう時があるんです。
あそこまでは行かなくても、それに近いパワーはどこかに 受け継いでしまっているのかしらねえ…⁉️
私の母は困っている人がいると見過ごせない人で、我が子の分を削っても分け与える人でした。商家の出身でしたが儲け主義が大嫌いで!どちらかと言えば夢想家。
長姉は現実的で明日のことを考えない人と母を非難していました。戦後の苦しい時期を飢えずに乗り越えられたのは姉のたくましさによるものだったかもと今思いました。日々の食事、衣服など常に気を配ってくれていました。
昔の人はなりふり構わず、そうやって家族を守ってくれたのかも知れません。
ちょっとエレガントさに欠けますけどね。
息子たちからすると、私が母のような似た行動をする事があるらしく、恥ずかしいからやめてと言われ、ハッとする時があります。
どこかで、ちょっと母に似ちゃってる?!
とにかく、強烈な性格の人だったので、怖かったですね、何を言い出すか?! 何をし始めるか?! 人の言う事は聴かないので、母には誰も何も言えませんでした。
やはり、我が家も長姉がいいバランスを取ってくれましたね。
昔の人は基本の生活のためには両親が働いて、生活の細かい部分は兄弟・姉妹が協力してやっていたのではないでしょうか!