【6月30日投稿分】
読者男性が「住職のSNS の投稿法話でもよか、住職の法話本でもよか、『これは、ありがたい』と思われた、読者の法話の使い方ってありましたか」と。「ありましたよ。へえ、そんな使い方をしてくれてるんだ、というものが」「それは、どんな使い方ですか」と。「1人は80歳超えの女医さんで、寝室の枕元に拙僧の法話本を置いて、朝起きると1番に手に取り、適当なところを開いて、そこに書かれてある内容を『今日1日気をつけるところ』として、使用されていると聞きましたね」と。
続けて、拙僧「今1人は、読者30代の男性。拙僧が以前に投稿した法話『禅宗の中には何十年も、一言一句違わぬ法話を人々に継続提供されているご住職がおられるとか。その意図は、自身の成長の度合いを、この法話から自らで悟りなさい、という意味合いから。今日聞いた法話に対し、なんだこれ、10年前に聞いた話じゃないか、と、同じものに聞こえたら、その人はこの10年、何ら成長してないという事に。少しでも成長していたら、同じ内容の法話でも、同じ様には聞こえてないはず』の話をヒントに、子育てをされていたようで」と。
続けて、読者男性に「この読者30代の男性は、拙僧の法話の中から1つの話を選び出し、息子さんが小学1年から中学3年までの9年間、1年に1回、その選び出した同じ法話に対し、感想を息子さんに聞いていたと。息子さんのその感想から、わが子の成長を読み取っていたと。親との会話が減少する中学生の時期も、この法話の感想(口調も含)を聞ける事で、今現在の息子の心情を読み取る事が出来たと。『こんな使い方もあるんだ』と有り難くも、驚きましたよね」「私にも、5歳と8歳の子供が。男の子と女の子ですが。この子供の心情の見分け方、凄いですね。私も真似をさせてもらいます」と、この男性読者が。
言葉と言えば、先般、こんな事がありました。野球少年の集まる場所で、彼らに「土地(氏神)にも、水(水神)にも、火(荒神、竈神)にも、神が宿ると言われてるんだよね。神が本当に宿っているのか、と言われれば、そりゃわからん。ただ、昔の人達は、その土地を縁に頂き、生活をさせてもらい、水も火も1週間なければ、人間は生きていけない事から、神が宿っているとして、敬いの対象にされてたんだよね。君らの大好きな野球にも『野球の神』が宿っているかもな。もし、宿っているとしたら、何を神に願いたいかい」と尋ねてみた。
すると、大半の子供が、上手になる事、と回答を。その中で1人だけ「神が投手、僕が打者、僕が投手、神が打者、で対戦してもらいたい」と。「ほう、斬新な考え方だな。野球の神と、勝負をしてみたいってか。こりゃ、驚いた」と返すと、その子が照れながら「いや、住職、違うんだよ。ある人の言葉を真似しただけなんだ」「ほう、誰よ」「藤井聡太さんだよ。『将棋の神がいるとしたら、何を願いたいですか』とプロ棋士達に尋ねたら、プロの人達は大半が、技術向上を。が、藤井聡太さんだけが『一局、対局していただきたい』と。この言葉に僕『かっこいい』としびれたんだ。それを真似しただけ」と、この少年が。
次回の投稿法話は、7月5日になります。