1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 今日の法話は、親の遺骨を散骨した初老男性の話を一席。

2024-10-04 07:32:50 | 法話

【10月5日投稿分】


今から10年程前、拙僧がSNS に法話の投稿を始めて間もなしの頃、だったですかね。その法話を読まれたという初老の男性が匿名で「親の遺骨を海水浴場にばら撒いたが、それがどうした」と長々文句の電話を掛けてこられまして。対し拙僧、その初老男性に「身分を明らかにせず、陰口を叩くは、SNS の中だけにされたらどないですか。電話までしてきて、文句を言うなら、どこの、何の、誰がしを名乗って、面と向かって話をされたらどげんですか。小学生の頃『意見のある人は手を挙げて、名乗ってから発言をしてください』と先生から教わりませんでしたか。連絡をくれたら待っておりますので、どうぞ、お寺(北九州市)の方へ、お越しください」と。


1週間後、その男性が事前連絡もなく、突然お寺へ。拙僧は1年365日、外出布教がない日は1日もないので、ほんと、こういう訪問は非常に困るんですよね。その日、偶々偶然居合わせたは、この初老男性との縁があったんでしょうな。お寺へ来るや否や、電話での文句と同じ内容を捲し立てて拙僧に。文句の内容を掻い摘んで言いますと『親らしい事を何もやっていない親を、葬式もせず、火葬場で遺骨にして、海水浴場に捨てたのが、何が悪い』という自分の正当性を延々と。その間、拙僧は一言も返さず、黙ってその話を。その状況を『糠に釘』とでも思われたのか「もう、ええわい」と舌打ちをして帰ろうとしたので、拙僧「ちょっと、待ちんさいや。3時間も、4時間も、拙僧を拘束しておいて、言いたい放題言って、どこかスッキリした様な顔をしてくさ、お布施の1つも置いて帰らんのかいな」と投げ掛けると、口元を捻じ曲げて「幾ら置いていけばいいんだ」と返されたので「1000円」と答えると、気の抜けた声で「おっ、おう、1000円やな、ほら」とテーブルに裸銭を、トン、と音を立てて置き、初老の男性は下山して行かれました。


その1週間後、また、その初老男性が連絡もよこさず、お寺へ。その日も偶々、拙僧はお寺に。この初老の男性には、会わなきゃならん縁があるんでしょうかね。その日の男性は、以前とは打って変わって、礼儀正しい姿勢で拙僧に話を。「この前の話ですが、住職、私自身の事情(感情)だけで、父親の葬儀もせず、遺骨を海水浴場に投げ捨てたんです。実は、この話は2年前の事だったのですが、それより後、子供達から距離を置かれる様になり『俺の気持ちなど、わからんくせに』とイラついていたところに、住職の『散骨とは、名ばかり。聞こえはいいですが、あれは海に捨ててるんでっせ』の法話に縁があって、気持ちをぶつけるところがなかったので、つい、住職に噛み付いたという次第でして」と。


続けて、その初老男性が「ほんと、申し訳ありませんでした。住職に噛み付いていた数時間の間、住職が黙って聞いてくれていた事で、途中で何度も『父親にもそれなりの事情があったは、知ってただろ。遺骨を人が踏み付ける海水浴場にばら撒くは、あまりにも可哀想だという事を、お前もわかっていたはずだ』と、自分自身の心に言い聞かせる瞬間が、何度も、何度もありました。住職のところから帰って1週間、ずっとその事で自分なりに反省をしておりました。しかし、現在も尚、子供達からは、一定の距離を置かれている状態でして。非常識な事をやったんだから、仕方がないですが。これが、非常に辛くて、ですね。何か、子供達との間を改善する手立てはないでしょうか」と。


対し、拙僧「あなたの父親とあなたの関係は、子供達には知らない世界の話ですもんね。子供達にとっては『大好きな爺ちゃんに、こんな仕打ちをした』という事実だけが残っているだけで。投げ捨ててしまった遺骨を今更、拾い集めるは到底無理な話ですが、投げ捨てたピンポイントの場所(海辺)の砂をひと摘み、喉仏を入れる小さな骨壷に入れて、納骨堂か、お墓に納めてみては如何ですか。菩提寺(先祖を供養しているお寺、自分達の葬儀をしてくれるお寺)は、ありますか」と問うと、初老男性が「はい、あります。父の時は不義理を致しましたが」「そこのご住職にその一連の話をして、改めて葬儀(密葬)をして頂き、お父さんの戒名を授けてもらって下さい。参列は家族と親しい親族、お父さんと所縁(ゆかり)の深い友人、知人だけでいいですから。今、あなたに出来る事は、これだけです。これで、子供達の心がどう変わるかは、子供達次第ですけどね」「わかりました。本当は気になっていた事(父親の葬式、供養)なので、そうしてみます」と、初老の男性が。


1ヶ月後、その初老男性、今度は連絡をよこしてから、お寺に。そして拙僧に「有難うございました。無事に父の葬儀(密葬)と納骨(拾ってきた浜辺の砂)が終わりました。浜辺の砂(遺骨の代わり)については、住職(拙僧)に教えてもらった通り、菩提寺のご住職さんにその事を説明し、骨壷の中にある遺骨が砂である事の訳を、わが家の過去帳に記載してもらいました。これで、後世の子孫も『何故、骨壷に砂』の理由が納得出来ると思います。一連の流れ(私達親子が不和になった経緯も含)を話した事で、子供達との距離も随分縮まりました。考えてみたら、住職(拙僧)に文句を言いに行った事が、この様な縁に繋がるとは、ほんと、縁というは有り難く、不思議なもんですね。本当はあの時、住職(拙僧)に文句を言いに行こうか、行くまいか、迷ったんですけどね。どう考えても、ただの八つ当たりですから。が、言いに行った事が、今となっては正解となりました。『虫の声』とは、こういう事を言うんでしょうかね。本当に、有難うございました」と、この初老の男性が。


このご縁により10年近く、この世に存命の間は、この初老男性、遠方からわざわざ定期的(年2回程)にわが寺へ、足を運んで来られました。拙僧と意味のない馬鹿話をする為だけに。縁というは、ほんと、異なもの味なもの、ですよね。人間は、時が流れ、知識、知恵、経験が増していけば、自ずと考え方も変わってきます。10年経てば、人は変わる。拙僧の法話を読んだ人達が、年間に何人かですが「親の遺骨を散骨(海に捨てる)にした事を今、非常に後悔しています」といった連絡も、時折入ってきます。


余談ですが、この手の話(散骨)は何度かSNSで投稿させて頂きましたが、その度に必ず数人ですが「私も親の遺骨を海に散骨したが、後悔など全くしてない。皆が皆、後悔してると勝手に決め付けるな」と的外れな明後日の方角から噛み付いてくる人達が。この法話のどこをどう読んだら、そんな風な理解になるのか。「親の遺骨を海に散骨して、後悔されている人がおられる様ですから、散骨を考えられている人がおられましたら、この話を参考にしてください」と只々そう書いているだけで「あなたの事を言ってる(否定)訳ではないですがな」という話にて。自分のスマホ画面の中に表示される言葉だから、自分が言われている様に、そう勘違いしてしまうのかな。それとも『親を粗末に扱ってきた』という身に覚えがあるから、自分が指摘されてる様で腹が立つのかな。まあ、でも、何にしても、腹が立つという事は、その是非はともかく、今1度それを振り返ってみる機会にはなりますわな。


【付録】

拙僧はこれまでに法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。


約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を下記で読む事が出来ます。


金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808

金剛寺ツイッター  :https://twitter.com/kongouji093

金剛寺フェイスブック:https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/

                   拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」

金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?


【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、10月10日になります。添付写真は、わが寺の阿弥陀三尊と閻魔大王。