1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 新自民党総裁に、石破茂さんが、なりましたね。

2024-09-27 18:15:13 | 法話

【臨時法話】  自民党総裁選について。


拙僧の法話の読者さんが「住職は以前の法話で『自民党総裁は、誰だと思いますか』の問い掛けに『石破さんじゃないですか』と答えられていましたよね。石破さんに期待していたのですか」と。「総裁選出馬の顔触れが出揃った頃、その質問は度々受けましたが、別に石破さんを推してた訳でも、期待してた訳でもないですよ。ただ、候補者さん達は皆、異口同音に『自民党を変える』の声をあげてましたよね。自民党にどっぷり浸かっている人達が、自民党をどう変えていくのかな、と。本当に自民党を変えようと思っているのなら、その自民党議員さん達から、最も嫌われている、党員さん達と手を繋がない石破さんがトップに立つ方が、他の人達よりは少しなっとは、自民党が変わりゃせんかな、嫌われる考えを持っているだけに、と思っただけで。まあ、何せ、否定から入ったら、得る物は」と。


対し、この読者さんが「だけど住職、こんなに嫌われていて、うまく運営が出来るんだろうか」と。「だけど、嫌われている、嫌われている、と言われ続けていた石破さんが、最も票を取って、総裁になったんでしょ。皆さん口々に、経済問題とか、様々不安材料を口にしてるばってんが、こればっかりは、やってみないとわからないもんね。今までと立場が違い、日本のトップになるんだから、そうそうこれまでの様な、言いたい放題は言えなくなるからね」「ところで住職、高市早苗さんは残念でしたよね」「残念だったね。だけど、総理の椅子は、そんなに遠くには離れてないと思うけどな。ただ、今回は、票を入れるギリギリで『ほんとに女性に、この国の舵取りを任せて大丈夫か』と、躊躇した議員さんもおられたかもしれないよね。何せ、政治はまだまだ、男性社会の傾向が強いし、この国は基本、新しい事に踏み出すは、非常に不得意だしね」と。


下記で拙僧の過去の法話を読む事が出来ます。興味がございましたら、是非。


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次回の投稿法話は、10月1日になります。今度から、この自民党総裁ポスター26人の中に、石破さんも27人目として入る事になるのか。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 親が育てただけしか、子供は育ってはおりません。誰に育てられるかは、非常に大事。

2024-09-23 14:04:21 | 法話

【9月25日投稿分】


今月の9月22日、わが寺では、秋の彼岸中日法要が厳修されました。小さなお子さん連れで、多くの檀家さん家族がご参拝に。法要後に10歳の男の子が「ねえ、住職さん、なんでお線香は3本立てるの」と拙僧に。対し「お寺によっては、2本立てるところもあれば、1本立てるところも。また、立てずに寝かせるところも。ここ(わが寺)では3本だが、その理由は、人間は『心と口と体』で罪を作るだろ。『口(言葉)がなけりゃ、信仰は要らない』と言われるくらい、人間の口(言葉)は罪を作る。君も人の悪口を言ったり、嫌味を言ったり、嘘をついたり、誤魔化したりした事があるだろ」「ある」「拙僧もある。その3つを反省(懺悔)する為に、その反省した事を忘れない為に、または、なるべくそんな事を言わない様にする為に、線香を3本立てる行為によって、自分の心に言い聞かせているんだよ。他にも諸説あるが、君はこの1つの理由を知っとくだけで、よかかな」と。

続けて拙僧「それと、仏壇に蝋燭(ろうそく)と線香をお供えして、手を合わせる意味だけど、勿論、ご先祖さんに心を手向けるが第一義だが、蝋燭も線香も、誰かに火を着けてもらわないと、自力で火を着ける事は出来ないだろ。一旦、火を着けてもらったら、自力で消す事も出来ない。燃え尽きてしまうまで、自分の身を削りながら、蝋燭は周囲に明かりを灯し続け、線香は周囲に癒しの香りを漂わし続ける。まるで、人間の人生そのものだと思わないかい。仏壇に蝋燭と線香をお供えするは『ところで私は、そんな人生を過ごせているのだろうか』と、静かにご先祖さんと向き合いながら、自問自答する為だよ。それと、その時、ゆっくり深呼吸してごらん。脳内からセロトニンというものが分泌されて、イライラの心や、落ち込んだ心(鬱病、精神疾患全般)が、癒される(緩和)から」と。


それに対し、この男の子が「仏壇の前に座ると気持ちがスッキリして、心が落ち着くのはは、そういう理由だったんだね。僕ね、住職さん、位牌を眺めてると、死んだ曾祖父ちゃんや曾祖母ちゃんの事を思い出せるから、仏壇の前に座るの、好きなんだよね。座る時には、時々だけど『これ、食べて』と僕、お菓子をお供えするんだよ」と。「そりゃ、ご先祖さん達は、喜んどるじゃろ。『この子は、心優しい子じゃ』と。その行為(お菓子を供える)によってな、君ら子供達は『施す』という心が、自然と身に付いてくるんだよ」「仏壇って、そう考えると大事なんだね」とその男の子が。「非常に大事だよ。手を合わせて、頭を下げる事の出来る対象物(仏壇)が、家の中にある、ないでは、子供達の心の成長に大きな違いが出てくる。拙僧の狭い範疇での見解だが、そう感じる事が多いよ」と。わが寺の檀家の子供達とは、結構、こういう会話をする事が多いんですよね。


他にも、檀家の子供達によく聞かれる事は「住職さん、不動明王(わが寺のご本尊)って、何であんなに怖い顔をされてるの」と。対し、拙僧、子供達に「お不動さま、ってな、人々を災いや迷いから救ってくれる仏さんでね、欲にまみれ散らかした人間を何とかして救っちゃろうと、必死になって頑張ってるから、あんな怖い顔になってるんだよ。人間もそうだと思うよ。人も必死になったら、あんな顔になるじゃろ。君は、あんな顔になるまで、必死に何かに取り組んだ事があるかい。お寺に参拝して来て、お不動さんの顔を眺めながら、その事を自問自答してみるのも、案外にいいかもしれないよ」と。


更に、檀家の子供達に「人間は生きている間は毎日の様に、好むと好まざると、何かしらの物が目や耳に飛び込んでくる。『何で私は今、こんなものを見せられているのかな。何で私は今、こんなものを聞かされているのかな』と考えてみるのも、結構に面白いもんだよ。『縁に出会って、縁に気付かず。縁に気付いても、その縁を活かせず』という言葉が。『出会う人(物、事故、病気なども)には、出会う様になっとる。それも、一瞬早くもなし、一瞬遅くもなし』という言葉も。また『ジタバタしたって、人間は、死ぬ時は死ぬ。死にとうても死ねん。人間は、寿命』という言葉も。真言宗の経典に『理趣経』というものがあってね、このお経に説かれている事を簡単に説明すれば『縁という縁は、好き嫌い関係なく、まずは全て受け入れよ。受け入れ、それを乗り越えた先に、この縁が何故、自分にやって来たのかが、悟られる』と。やって来るものを拒めないものって、結構沢山あるだろ。生まれて来た国、この人があなたの親、これが一生付き合っていくあなたの体、など。文句言っても始まらん。受け入れるしかない。受け入れた後の歩みは、自分次第でどうとでも。このお寺の檀家のある母親が『この子は、私じゃないと育てる事が出来ないから、私のところにやって来たんですよね』と、そんな事を言われた人もおられたよ」と。


更に続けて、檀家の子供達に「世の中には『どこをどう押しゃ、そんなに文句が出てくるんかいな』という人達がいるが、建設的(前向き)な意見のないただの文句なら、自分が気に食わん事をただ口に出すだけなら、3歳の子供でも母親に言いよる。何でもがそうだが、否定から入ったら、得るものは少ないよ。3歳の子供のまま、君らは大人になるなよ。3歳の子供のまま大人になっていいは、素直な心と好奇心だけ。いいかい、文句言い、講釈言いは、動かんと相場が決まっとる。文句言う前に、まず、動け」と拙僧、機会ある度、檀家の子供達に。子供達からの問い掛けは、自分自身を鍛え、自分自身を振り返る事が出来る、よい機会を与えてもらっている、と拙僧、そう常々感謝しております。


【追伸】

偶に、読者の方から「住職は長い法話が多いですが、字数はどのくらいなんですか」との質問を受ける事が。対し「SNSに投稿初期の2、3年は、ツイッターの140字だけでした。大半の読者は、140字の中に隠れている含み言葉を、しっかり読み取ってくれていました。中には『住職の法話は、140字の俳句ですね』と言ってくれる読者さんも。が、読者さんが増えるに連れ、明後日の方向から的外れの指摘をされる人が徐々に。そこで『わかりやすい法話にしなければ』と変えていったが、現在のこの字数に。法話作成の経緯は、まずメモに書いて、ブログに投稿するんですが、ブログは30000字が限度ですので、5日ごとに投稿しておりますから、4日間で書いてるは、400字詰原稿用紙で70枚前後ですかね。そのブログから、Facebook、Instagram、X  に同じ法話を飛ばしています」と。「10年間も続けてですか。よくそんなにネタがありますね」「拙僧の祖父母、檀家のご老人達の経験、教訓話が8割以上です。聞かしていただいた話をアレンジして書いています。個人情報がダダ漏れしない様に。拙僧個人だけでは、10年間で3000話は無理ですよ。ご老人達の経験話は、後世の人達にとって必ず、宝になりますもんね」と。


下記で拙僧の過去の法話を読む事が出来ます。興味がございましたら、是非。


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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、10月1日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 先祖の供養とは、命を流して頂いた上に、産んで、育ててもらった事への御礼報謝にて。忘れちゃならんもんは、忘れちゃならん。

2024-09-18 17:17:20 | 法話

【9月20日投稿分】     


 現在、日本には、約77000の寺院があり、その内の約20000寺院が既に、廃寺(住職不在)になっているとの事。そう遠くない将来には、その廃寺になる寺院が50000に達するとの事にて。廃寺になる理由は様々あれど、以下に記載もその1つにて。


他宗の20代、30代の後継者さんから拙僧、随分と相談を受けてまいりましたが、彼らが訴えるには「檀家さん達は、自分達の用事(葬式、相談など)がある時には『あれをしろ、これをしろ、どうにかしてくれ』と、困った時だけの神頼みの様に。が、例えば、納骨堂修理などで寄付をお願いすると『我れ関せず』と知らん顔して横を。自分達のご先祖さんが眠っておられるのに。納骨堂は、購入のマンションと同義でしょ。加入者さん達が協力して修理を施していくが筋なのに。私達はこんな自分勝手な人達(非協力的な檀家)を、相手にしなければいけないのですか」と、悔やんで拙僧に。


ある宗団では、年収ですよ、10万円以下の寺院が10%で、年収50万円以下の寺院が40%であると。住職の給料、生活費どころか、お寺の水道光熱費、修繕代などの維持費にもならん。『坊主丸儲け』といわれる寺院は、実際は、ほんの僅かの僅か、ですもんね。そこが目立ち過ぎてる事で、寺院全体がそんな印象(坊主丸儲け)に。拙僧の知っている他宗寺院(滋賀県)のご住職(80代)さんは「檀家さんが野菜やお米を持って来てくれた時だけ、人並みのご飯が食べられる。2日、3日、食べられない事も常にある」と言われておりました。こんな状況なら、潰れるお寺が出てきても当然ですよね。日本の寺院は今、大変な状況下にあります。後継者といわれる若者達は皆、生活が成り立たず、子供が育てられず、お寺を後継出来ずに、泣く泣く職種替えを。


話を戻しますが、その後継者さん達曰く「全国の廃寺(住職不在)になった寺院には当然、境内地の中にお墓や納骨堂があるところも。先祖に思いのない人達は、そのまま遺骨を放置し、納骨堂もお寺と共に朽ち果てていくも、また、よし、と。先祖に思いのある人達は、新たな寺院で納骨堂契約をするという事になりますが、初めから菩提寺に対し、協力的であったなら、新たな寺院で納骨堂を多額のお金を出して、契約する事もなかったろうに、と思うんですけどね。今、私のお寺の納骨堂に眠っておられる先祖さん達ですが、何の罪もない事は知っております。だけど、これ程までに檀家さん達が非協力的では、お寺の維持も生活も、成り立たないんです」と。


続けて、後継者さん達が「昨今は『寺院(その家の葬式、年忌法要を勤めてくれる菩提寺の事)など要らん。菩提寺が潰れようが、どうなろうが、知った事か。俺にとっては、なんの影響もないわい』という人達が増加を。ご住職(拙僧の事)の法話の中にある様に、病院に親の亡骸を貰い受けに行かない子供や、遺骨を火葬場に置き捨てて帰る子供、骨壷を野原や電車の中、生ゴミ置き場に捨てる子供など、私の周囲(地域)にもそんな事が起こっていると耳に入ってます。そこまではなくても、骨壷を押し入れの中に長年放置している家も。が、いつまでも、そのまま放置しておく訳にはいかないので、いずれはお墓か納骨堂に、となるのですが。まあ、でも、こんな人達は遺骨を海にでも持って行って、投げ捨てて来るんでしょうが。実際にそうする家も結構にあると聞きました。その様な家は、大半が家庭崩壊をしておるようですね。『ご先祖さんのバチが当たった』という事ではなく、『躾(しつけ)はするものではなく、躾は見せるもの』ですので、親のその様な言動を見て育った子供や孫が、親の様な感謝の出来ない人間に育ち上がり、いつしか家庭が感謝の心を持たない人達(自分勝手)の集合体に。よって、自ずと自然崩壊の方向へ。勿論、そんな家ばかりじゃないですよ。ちゃんとした檀家もわが寺には、少なからずあります」と。


更に続けて、後継者さん達が拙僧に「住職(拙僧の事)のお寺の檀家さん達は、どうですか」と。「そうだね。わが金剛寺でも一昨年、水害で納骨堂がやられ、修理の為にご寄付をお願いさせて頂いたが、大半の納骨堂契約者さん達は、協力をしてくれましたが、知らん顔をされた契約者さんも、何家かはあったかな」「そうですか。ところで、納骨堂の掃除なんかは、住職(拙僧)のお寺では、どうされておるんですか」と。「毎朝(1年中)5時から、拙僧と息子達で境内と納骨堂を2時間ほど、掃除をさせてもらっていますが、11月の最後の日曜日に行われている『すす払い』の時には、納骨堂の契約者さん達に『せめて年に1度くらいは、納骨堂の掃除に来て下さい。ご自分達の大事な先祖が永眠されている場所なんですから。お墓を持っている人達は、年の初めの1月、春の彼岸、お盆、秋の彼岸、年の納めの12月には、御礼報謝として掃除に行かれているでしょ。納骨堂は、お寺が掃除するからしなくていいや、じゃないですよ』と、その様に言っております。勿論、その日に用事がある人や、体調不良(病気など)の人、ご老人達には、無理は言いませんが。聞くところによると、お寺さんによっては『納骨堂は、加入者であるあなた達が掃除をするが、当然の事でしょ』と、お寺側が全く掃除をしない寺院もあるとの事。まあ、それはそれで、どうか、とは思いますけどね。何か、様々、歯車が噛み合ってない様な感じがします」と。


続けて拙僧、この他宗後継者さん達に「わが金剛寺では、大半の檀家さん達は、多分に協力をしてくれておりますので、今のところはまだ、お寺の存続に関しては大丈夫ですが、世相の流れに飲み込まれないとは、言い切れませんよね。先日、ある知人の中学生が、亡くなった祖父に対する両親の扱い方を見て『住職さん、人間は死んだらゴミ捨てか』と言い放った言葉は衝撃的でした。実際に金剛寺でも昨今、『年忌法要はしない。葬儀はしない』と言ってこられた檀家さんが、数家ありましてね。しかしながら、わが寺では納骨堂の契約書の中に『わが寺の納骨堂は、要らない物を捨てる場所に非ず。納骨堂を姥捨山状態にしたり、維持費未支払い、年忌法要拒否など、その様にされる檀家様は、退堂して頂きます』との条文が記されてありまして。契約者は皆、その契約書に署名捺印を」と。


続けて拙僧「大半の納骨堂契約者様は、ご先祖さんを大事にされておられますが、そうでない契約者様には、個別に対面させて頂き、次の様な話をその檀家さん達にさせてもらい、今後の身の振り方を決めて頂いております。『以前ですね、他寺の檀家さんが《私の家の菩提寺は、3月の納骨堂参りで牡丹餅をお供えして帰ったら、8月のお盆の時には、その牡丹餅がカビだらけで、そのままそこに放置状態。これ、どう思いますか、こんなお寺を》と拙僧に愚痴を言いに来られまして。対し、その人に《それは、お寺さんは、あかんよね。だが、あなたも、あなただよ。3月から8月まで、1度も納骨堂に足を運ばなかったんかい》と返すと、気まずそうにしておられましたよ。世の中にはですね、枕経にも通夜にも来ず、テープのお経を聞かせるお寺(住職)さんも。葬式の時には、儀式後に法話もせず、お経を相手にぶつけて終わり、さっさと帰る『ドッチボール住職』も、少なからずと。枕経、通夜、葬儀で、最も大事は枕経にて。ご臨終と言われて、約8時間は耳が聞こえているは、検証済み。この枕経は《あなたは人間を卒業したんだよ。彼の地に向かう心構えを》と故人にお知らせするが、枕経です。通夜、葬儀は、故人に向けての御礼報謝の勤めにて。この様な供養を重視してない、いい加減なお寺は世の中に結構ありますから、構いませんので、どうぞ、そういうお寺に移って下さい』と、年忌法要をしたくない、と申し入れてきたわが寺の檀家さん達には、その様に拙僧」「厳しいですね、住職は」と。


返して、その後継者さん達に「だけどね、その様ないい加減な檀家さんは、それほど問題ではないんですよ。本当に問題なのは、真面目な檀家さん側なんですよね。『なんだ、金剛寺は、年忌法要などしなくていいだろ、と申し入れたら、簡単にそれを了承する様な、そんないい加減なお寺だったんかい。将来、私達の子孫がそんな事(年忌法要などしたくない)を言ってきたら、それを簡単に了承して、私達はほったらかされるんかい。そんな住職のお寺に、大事な先祖を私達は預けているんかい』と、こうなるが最もまずい。寺院の存亡にまで影響してきますから。それに、やはりね、親や先祖を大事にしない家を見ておりますと、あなた達(他宗の後継者さん)の言われる通り、感謝という心がないもんで、家庭崩壊の方向にジワジワと、向かっておる様に見受けられます。そうさせない為に、厳しくしている面もあるといえば、あるのかな」と、他宗の後継者さん達と話を。


さて、今日は、秋のお彼岸に入って、2日目ですね。投稿の添付写真は、わが寺の今年度年忌法要の永代供養者(手を合わせてくれる家族なし)さん達の塔婆です。わが寺では7月の施餓鬼盆、8月の盂蘭盆、9月のお秋彼岸終了までの3ヶ月間、本堂の内陣でご供養をさせてもらっております。国内に数多き寺院がある中、わが寺を永眠の地に選んでくれたんですもんね。大事にしなきゃ、いけませんね。この時期はいつも「お寺は、あなた達(永代供養の精霊さん達)の事は、決して忘れてないからね」と、心の中で声を掛けながら、供養をさせて頂いております。


【付録】

拙僧はこれまでに法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話は。何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。


約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を下記で読む事が出来ます。


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次回の投稿法話は、9月25日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 親は「子供を育てている」と思っているが、実際は「立派な親になる様に「子供から育ててもらっている」立場かな。

2024-09-16 04:16:01 | 法話

【昨日(9月15日)投稿した法話の付け加え】赤子の誕生と同時に、親もまた、誕生。


自分の事は棚に上げて「子供は親を選べない、と言いますが、親も子供を選ぶ事は出来ません」と、子供さんの悪口を散々言ってくる親御さんが、結構におられます。その親御さん達に拙僧「いやいや、その言い分には、少し無理がありますよ。子供は親が育てただけしか、育っておりませんばい。親が作った家庭環境の中で、その親が育てる。親に似た人間が出来あがる確率が高いは、当然の事でしょ。無色透明で出てきた子供に、色を着けていったは親ですばい。『鳶(トンビ)が鷹を産む』という言葉がありますが、鳶(トンビ)は鷹は産まない。子供が自らの努力で、鷹の様な鳶(トンビ)に成長した例は、結構見てきましたが。子供がこの世に出て、世の中の不条理、理不尽(嘘、二枚舌、誤魔化し、自分勝手など)を最初に目にする場所は、わが家庭の中、親の言動からですばい」と。


親子関連の話をしますと、いつも、芥川龍之介さんの『河童』が思い出されます。この小説の中では、河童の世界では、出生してくる選択権は、河童の赤子側にあるとの事。母親のお腹にいる赤子に父親が「お前さんは、生まれてきたいか」と聞くそうな。対し、赤子が「お父さん、あなたの生き様(人生)を見ていると、私もその様になるのかと思うと、生まれてきたくない」と拒否られたそうな。この言葉は、親としたら、ごっつうきついですな。龍之介さんといえば『蜘蛛の糸』も有名ですよね。「自分1人(カンダタ)だけ助かればそれでいい」という浅ましい心から、救いを求めて1本の蜘蛛の糸に縋り付いてくる、大勢の人を蹴散らした途端に糸が切れて、地獄へ真っ逆さまに堕ちていくと話ですが、この2冊は子育て前に読んでおいてもいいかな、と思います。詳しい小説内容はその時に。


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次回の投稿法話は、9月20日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 モンスターペアレンツ、ヘリコプターペアレンツ、毒親、過保護、過干渉、と。さて、私はどの親かな。

2024-09-14 04:45:23 | 法話

【9月15日投稿分】  過保護、過干渉の辿り着くところ


仏壇参りに伺うと、その家の母親が「住職さん、大器晩成という言葉があるでしょ。若い時にうだつが上がらなくても、『この人は晩年になって大成する人かもよ』といわれる人が。本当にそうなった人って、住職の近くにおられましたか」と。息子さんの事を心配されているんだろうな、と推察した拙僧、その母親に「大器晩成とは『大きな器は、完成するまでには、時間が掛かる』という意味でね、何も努力をせずとも、晩年になれば、道が開ける(成功)、という意味ではないんだよね。諺に『果報は寝て待て』という言葉があるでしょ。これは、やれるだけの事をやった人が、結果を待っている姿の事を言ってるんだよ。『棚から牡丹餅』も、自らが牡丹餅を作って、棚の上に置いておかないと、落ちてくる事もないし。『三度目の正直』も、真剣に取り組んで、失敗を重ねた人が、辿り着く成功だよ」と。


すると、この母親が溜め息をついて「そうですよね。蛙の子は蛙ですもんね。トンビが鷹を産むはずがないですもんね」と。「確かに、その確率は高いとは思いますが、中には、鷹の様に育っていったトンビ(子供)が、檀家さんの中にも、知人の中にも、何人かはおりましたよ。そんなトンビ(子供)は、自らがそれなりに努力をしてましたけどね。努力をすれば、自ずと器も大きくなり、大きな物が入ってくるでしょうが、努力をせずば、小さい器のまま、当然、小さい物しか入ってきませんよね。まあ、しかしながら、如何に努力をしても、器の小さいままの人間も当然おりますよ。持って生まれた性格(本性)の影響もありますから。だけど、小さい器が悪い訳ではないですよ、分相応に生きていけばいいだけですから。あまり子供に期待を掛け過ぎると、子供を押し潰す事になりかねないので、そこら辺を親は、気を付けなければいけませんよね」と。


続けて拙僧、この母親に「今1つ、親として気を付けなければならない事があります。『この子は、やれば出来る子なんですが』と訴えてくる親です。こんな親を何人も見てきました。『やれば』と前置きするという事は『やらない』という事なんですよね。そんな子供が出来上がっていった大きな理由の1つは『子供が動きやすい様に、子供が失敗をしない様に』と、子供が幼い頃から親が、先に先にお膳立てをしていったが結果ですよ」と、この檀家の母親に。身に覚えがあったのかな。酷く反省をされてましたね。


さて、子供といえばですね、何度注意をしても、人(他者)が話をしている途中で「その話は、少し違うよ」と話し手の口を遮り、人前で人に恥をかかす檀家の息子(30代男性、会社後継者)がいまして。その息子の口癖が決まって「しかしですね、逆にですね」という言葉にて。全くもって、せっからしく、うんざりする。この度も、拙僧同席の中、父親である社長が社員の前で和気藹々の話をしていると、その息子が「父さん、その話は」と、いつもの『どうだ顔』で割って入ってきた。社員さん達が『またか』という表情をしたので、その場にいた拙僧がその息子に「ちょっと、こっちにおいで」と別室へ。そこで息子に「君は、何度注意をしたらわかるんだ。『人前で人に恥をかかすな。後で2人きりになった時に、訂正してあげれば済む事だろ』と何度も注意しただろ。親父さんの話の内容が、正しかろうと、正しくなかろうと、社員の人達には関係ないんだ。君の正しい話(情報)など望んではないんだよ。只々、親父さんの話(経験話)が面白くて聞いてるんだ。間違った内容の話の中からでも、その話の中に親父さんの経験が含まれているから、社員の人達は、それを教訓として得ようとしているんだ。何度言えば、君はわかるんだ」とまた、注意を。


続けて、この30代後継者息子に「檀家の中のある社長さんが、後継者である息子さんに『社員の器は誰でも持っとるが、社長の器は誰でも持ってるもんじゃない。堅気(カタギ)の器は誰でも持っとるが、極道の器は誰でも持ってる訳ではない。人は勉強すればするほど、経験を積めば積むほど、自分が如何に無知であったかを知る事になる。お前は、経験なき知識持ちの典型だよ。今の状態はただの、物知りさん、でしかない。ただの物知りさんでは、実戦では役には立たん。社長が社員を選んでいると思うなよ。社長も社員から選ばれている立場なんだ。社員がいなかったら会社は成り立たん、を肝に銘じてとけ』と厳しく叱咤を。勿論、2人だけの時に父親が息子に」と。


続けて拙僧、この息子に「普通なら、ここまで言われたら、腹を立てるところだよね、相手が父親だから特に、甘えも加わって。が、この息子さんはそうじゃなかったな。今度、この親子に機会があったら合わせてあげようかね。話は変わるが、柳生宗矩公と沢庵和尚との間に、こんな事があったそうだよ。沢庵和尚が高さ60センチほどの縁側と庭石の間に、幅50センチ、長さ4メートルの足場板を置いて『これを渡れるか』と。すると柳生公が『お前、わしを馬鹿にしているのか』と渡ってみせ『こんなの、子供でも出来るわい』と。すると今度は高さ40メートルの天守閣の屋根に足場板を置いて『では、あれはどうじゃ』と。『うっ』と躊躇していると沢庵和尚が『おぬし、先程は、子供でも渡れる、と言わなんだか。同じ物でも場所が変われば別物になる。この世に、簡単、と言われるものは何もない。その奥深さを知らないだけだ。そんな事では、将軍の剣術指南役は務まらんぞ』と柳生宗矩公に。この話が本当の話か、逸話の話かなど、どうでもいい。君がこの話を教訓として、今後の参考に出来れば、それでいい」と、この屁理屈言いの後継者息子に。


【付録】

拙僧はこれまでに法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。


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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、9月20日になります。