1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 平等と公平は、そもそも違うもの。何でも一直線に並べて、考えてはいけないと思うがな。

2023-06-13 07:14:00 | 法話
【6月15日投稿分】

この度は「その時代、その時代に合わせた考え方をするは、そりゃ勿論、必要だとは思いますが、何事においても、基本を蔑ろにした考え方をすれば、歯車を狂わす事になりはしませんかね」のお話をさせて頂こうと思います。

読者女性が「先日ですが、住職さん。ある番組で小学校の運動会の『ジェンダーレス徒競走』が世間で物議を、の話がありましたよね。男女混合で競争させれば、体力的に上回る男子が、全て1位になるは当然の事。オリンピックでも男性の記録に、女性の記録が上回ってる競技など、ないですよね。男性と女性を同じ土俵で競わせるなんて、それこそ無理(無謀)な話にて。こだわるところが違ってますよね。糞も味噌も一緒にして、頭脳による競争なら、まだしも、ですが。なんか、おかしくないですか、昨今の世の中。無理矢理に分母を揃えて、何がしたいのかな」と。「平等と公平は、そもそも違いますもんな」と拙僧。

更に続けて、この読者女性が「土俵といえば嘗て、大阪府知事の太田房江さんが優勝力士に祝い品を手渡す為、女性が土俵に上がる上がらんで、世間が大物議に。あの時、私見ですが『いいじゃないの。伝統的にそうなってるんだから。大相撲は1642年以来、400年の間に横綱は、たったの70人程しかいない伝統の世界。女性が男性の領域に入れない所、男性が女性の領域に入れない所、そんな場所があったって。そういう決まりがあってもいいんじゃないかと思う。全て同じ方向では、メリハリもなく、それこそ公平さに欠ける事になりゃせんですかね」と。「えらく、大相撲に詳しいですね」「大相撲女子、ですもんで」「あの時の事は、拙僧も覚えてますよ。その事を米国女性達にアンケートをとった時『伝統的に女性は土俵に上がれない、となってる事を、何故そんなに怒る必要があるの』の意見が多かったですよね」「よくご存知で。京都府舞鶴市の市長が土俵で倒れ、土俵上に医療関係者と思しき女性が上がった時『土俵から女性は、下りてください』と言った八角理事長が『不適格な対応』と当時、謝罪しましたが。これはその通りだと思いますよ。命に関わる事ですからね。されど、それと伝統儀式をごっちゃにするは、如何なものかと思います。因みに、3月に行われている東大寺の『お水取り』も、今も女人禁制(参拝者は別)ですよね。1260回以上も奈良時代から途絶える事なく。時代が移り変わっても、何らそのやり方は変わらずに。それに対し、異論を唱えるは、何か違うような気がしますよね」と。

読者の若者が「その時代、その時代に合わせた考え方の事ですが、何でもがスマホ頼りの時代に、アナログの方が間違いない事って、何かありますか、住職」と。「これは、ほんの1例ですよ。今年の5月、家族5人で四国巡礼に。43番明石寺を出る時、息子に『レンタカー屋にタクシーを2台呼んでおけ』と指示すると『スマホ調べでは、約5分でタクシーが来ると書いてあるよ。大丈夫だよ。前もってタクシーを呼んでおかなくても』と言うので『そうか』と。が、実際に5分で来たは1台。先に家内と家内の母を乗せて走ってもらい、もう1台を待ったが、来たは30分後、定刻の船に乗れず、次の便に。長男が『父さんの言う通りにしておけばよかった』と。次男は『俺は基本的に間に合わんと思ってたから、焦りもしなかった』と。拙僧、息子2人に『母さんと婆様は、出港10分前に港に着いてたそうだぞ』と。すると、息子達が『間に合ったんだ。父さんならこの場合、どの様な手立てを』と。『父さんは昨夜、愛媛市内のレンタカー屋から松山観光港までの距離を調べ、出港30分前にレンタカー屋を出たら、間に合うと計算してた。30回以上毎年、四国巡礼に来ている経験があるから、大方の予想がつく。北九州では10キロを30分では無理な話だが、愛媛の海岸線10キロは30分以内で行ける。今回は1分、2分を争う時間だったから、父さんならレンタカー屋に、料金メーターを発動させた状態で、2台待機してもらっていただろうな』『何故、僕らにそうさせなかったの』『父さんの言う通りにしろ、と言おうかな、とは思ったんだが、失敗も経験になると思って言わなんだ。それに、船を1便乗り遅れたからとて、次の便もあることだし。父さんは基本、スマホ情報は信用してない。世の中は動いているので、情報通りにはいかない。時間に余裕があるのなら、スマホ情報でも構わんが。経験なき知識(スマホだけの情報)は、経験ある知識よりは当然、失敗する可能性は高いわな』と息子達に」と読者の若者に。

更に続けて、この読者若者に「拙僧の檀家には、阪神淡路大震災にも、東北大震災にも、その場にいた人達(被災者)が。彼ら曰く『震災時にはスマホ(携帯)は全く役に立たず、お年寄りの知識、知恵、経験にどれほど救われた事か』と言ってたよね。手先1つで、水も火も電気も、簡単に手に入るが当たり前になっていて、物が壊れりゃ、買い換えるが当たり前の時代。電車が止まれば、帰宅難民がそこらじゅうに。ライフラインが止まった時点で、手も足も。工夫して活かす必要のない環境で生きているが、私達にて。昨今、あまり耳にしなくなった言葉『温故知新』を、再確認する必要があるのかな、と最近、つくづくそう思いますよね」と。

次回の投稿法話は、6月20日になります。