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1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 昨今は、坊主(住職)の法話を聞きたいと、お寺の法要にやって来る子供達が増えてきましたよね。

2025-03-26 22:11:00 | 法話

【臨時法話】


3月彼岸の仏壇参りで檀家の家に伺った時、そこの子供(中学生男子)と、その子の友達が数人、仏間へ雁首揃えて。お経が終わると檀家の子供が「うちの住職さんは、法話がめっちゃ面白いんだよ。なんか話してもらおうよ」と無茶振りしてきおった。そこで拙僧「仏教の中では、結構に知られとるクイズみたいな話があるんだが、みんなでこれ、考えてごらん。『虎の首に鈴が掛かっている。さて、どうやったら、その鈴を取る事が出来ると思うや』と問うと、子供達はしばらく考え込んでいたが、ある子が「虎が寝ている間に取ればいい』と。対し、他の子供が『あかん、あかん、虎が起きたら、食い殺されるで」と。すると、別の子供が「じゃ、寝ている間に、麻酔注射を打てばいいじゃん」と。その答えに対し、別の子供が「同じ事だろ。注射を打たれた違和感で目を覚ますよ」と。更に別の子供が「じゃ、殺すしかないだろ」と言うと、他の子らが「そりゃ、あんまりだろ。殺す前に、食い殺されるわ」と一斉に反論を。すると「殺したら」と回答した子供が「そんな顔すんなよ、冗談に決まっとろうが」と気まずそうに。


そのやり取りを黙って聞いていた1人の子供が「虎の首に鈴を付けた人間を連れてくれば、いいんじゃないの」と冷静な回答を。その答えに子供達が「ああっ、そりゃ、名案だわ。鈴をつけられたんだから、外せるよね」と。そこで拙僧「ほう、どうしてそう思ったの」と、その冷静君に尋ねると「僕の家で飼っている犬は、ものごっつ気性が荒くてさ、知らない人が近づこうもんなら、危ないったらありゃしない。だけど、家族と接する時は、嘘の様に大人しいんだよね。だから『その虎も一緒かな』と、そう思っただけだよ」と。


返して、拙僧「じゃ、もう一丁、ここで君らに問うが、この『虎の首に鈴』の話だが、何を君らに悟ってもらいたいと思って、このクイズの様な話を拙僧が出したと思うや」と尋ねると、しばらく沈黙の後、この家の子供が「自分がやった事の責任は、自分がやるしかない、という事なのかな」と。対し、拙僧「まあ、そういう解釈の仕方もあると思うが、解釈の仕方は恐らく、様々あると思うよ。例えば、人が嫌がる仕事(虎の首に鈴をつける)を誰が率先してやるか、とか。どの様に工夫をすれば、その大変な仕事(虎の首から鈴をとる)をやり遂げる事が出来るのか、とか。20歳、25歳、30歳、35歳、40歳と年齢が増す毎にに、その仕事(虎の首に鈴をつける、虎の首から鈴を外す)の内容も違ってくるだろうから、このクイズの様なお話は、君らの将来に何かしらの教訓になっていく話だから、覚えとっても損はないと思うよ」と。


【付録】

約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を下記で読む事が出来ます。

金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808

金剛寺ツイッター  :https://twitter.com/kongouji093

金剛寺フェイスブック:https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/

                   拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」

金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?


次回の投稿法話は、、4月1日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 信仰は特別な物じゃない。特別な物にしている者がいるだけ。何が悲しゅうして、子孫を祟る先祖など、いるもんかいな。

2025-03-23 18:17:56 | 法話

【3月25日投稿分】


昨今、また、拝み屋さん関連の相談(苦悩)が、ちらほらと拙僧のところに。春のお彼岸に入って2日目(3月18日)のこと、拙僧とは初めてご縁の老女が電話で「住職さん、知り合いが、どこからか僧侶を連れて来て『この家には不動明王が祀られてあるから、この家の先祖さん達が家の中に入る事が出来んと、玄関の外で怒り狂っとる。大きな祟りがある前に、不動明王を排除せよ。私が排除してあげよう』と、その僧侶から言われまして」と。「ふーん。で、排除するのに、幾ら払えとか、言われたの」と尋ねると「はい。30万円と」「ほう、そりゃ、べらぼうに高額だね」「先祖の供養も含むからと。お金の事よりも、私のお婆ちゃんの時代(70年前)から、お大師さん信仰で大切にお不動さんをお祀りしてきているのに、排除なんて、気が引けて。だけど、玄関の外で先祖さん達が怒り狂っとる、なんて事を聞かされたら、もう怖くて、怖くて。どうしたらいいでしょうか」と。対し拙僧、この老女に「話はよくわかりました。では、明日ですが、私のお寺に来る事が出来ますか」と問うと「はい、有難うございます。必ずお伺いします」と老女が喜んで。


翌日、約束の時間通りに老女がわが寺へ。その老女に拙僧、開口一番に「あれ、無事に来れたんですね」と言うと「えっ『無事に』とは、どういう事ですか」と。「だって、玄関の外に怒り狂った先祖さん達が、待ち構えてるんでしょ。それが本当なら、当然、なんかされるでしょ、怒り狂ってるんだから」と返すと「あっ、そう言われれば、そうですよね」「じゃ、この話はもう、終わりでいいですよね。70年も前から不動明王を祀られているんでしょ。何で今頃になって、先祖さん達が怒り狂うの。少し考えたら、わかる事でしょ。あなたが『えっ』という反応をされるから『しめしめ、この老女、身に覚え(先祖を大事にしてない)があるんだな。よし、よし、ラッキー、カモが来た〜』と、その僧侶が仕掛けてきたんじゃないの。先祖は祟らんよ、失礼な。何が哀しゅうして、子孫を祟る先祖などおるもんか。先祖さんを愚弄するのも、大概にせにゃいかんよね」と、この老女に。嘗て、過去に1度だけですが、これと極似の相談を受けた事がありましたね。


加えて、この老女に「今年に入ってね、わが寺の檀家さんではないですが、ある若者が『住職さん、ちょっと聞いてよ。両親がのぼせ上がっとる、怪しげな信仰の拝み屋さんが、全くこの信仰に靡(なび)かない私に、両親を通じて勧誘(下記)を仕掛けてきたんですよ』と拙僧に。その若者と拝み屋さんの会話というが、下記の通りです。


【拝み屋さんから若者へ】

「あなたの7代前の先祖が大変な事をやらかして、向こうの世界で彷徨い苦しんでいる。その祟りがあなたにも必ず来る。この信仰に入って、それを抑えなければ、あなたの将来に不吉な事が起こる」と。


こう脅してきおったので、一応黙って聞いていましたが、あまりに辻褄の合わない事を、うだうだと言ってくるので、もう堪り兼ねて、


【若者から拝み屋さんへ】

「ちょっとあなた(拝み屋さん)、いいですか。確認ですけど、その7代前の私の先祖とやらに、あなたはコンタクトが取れてるんですよね。そこまではっきりと言い切っているんだから。なれば、その先祖とやらに、あなた(拝み屋さん)から言ってやってくれませんか。『あなた(7代前の先祖)がやらかした事を、私にどうしろと言うんだ。自分でやらかした事は、自分で責任を取りなっせ。7代先の子孫に、あんたがやった事の責任をおっ被せる様な、そんな情けない事はしなさんな。あなた(7代前の先祖)の近くには、阿弥陀さんも、閻魔さんもおらっしゃるんだろ。子孫に不吉な事を仕掛けようとしているのに、阿弥陀さんや閻魔さんは、何も注意をせずに黙って、あなた(7代前の先祖)の諸行を見て見ぬ振りをしようとしてるんですか。もしそうなら、仏の存在価値なんてないやん』と、その7代前の先祖とやらに、あなた(拝み屋さん)から言ってやってくれんかい」と。


そこまで言うとその拝み屋さん、物が言えずに黙ってしまったんですって。しかしながら、この若者の両親は「あんたは、何て失礼な事を言うの、謝りなさい」と、その拝み屋さんを庇って、若者を責めてきたんだと。最後にその若者が「住職がいつも法話で言われている様に『人は教えられても、身に付かん。人は気付かにゃ、身に付かん』は、真理ですよね。私の両親はいつ、これが紛い信仰だと、気付くんでしょうかね」と。


この老女にこの(上記)話をすると「この世の中に、こんな恐ろしい自称僧侶、どのくらいいるんでしょうか」と。対し拙僧「信仰は特別な物じゃないよ。特別な物にしている者がいるだけ。普通に菩提寺(その家の先祖代々を供養するお寺)で、先祖の供養に勤(いそ)しんでいたら、拝み屋系の僧侶に出会う事は、殆どないですよ。必要以上に欲を持つと、四方八方から勧誘の手が延びてくるので、そこを気を付けさえすれば」と。


【付録】

拙僧はこれまでに法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてください。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。


約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を下記で読む事が出来ます。


金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808

金剛寺ツイッター  :https://twitter.com/kongouji093

金剛寺フェイスブック:https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/

                   拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」

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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


投稿の添付写真は、わが寺の内陣の不動明王です。

次回の投稿法話は、4月1日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 どんな情報も全てを鵜呑みにして追い込んでいく決めつけ刑事(デカ)に、なっちゃいけないよね。

2025-03-18 15:51:44 | 法話

【3月20日投稿分】そろそろ終わりにしませんか。自分の見解だけが正しいと主張する、正義感の暴走、という風潮。


読者男性が「数日前、住職がSNSの法話の中で読者が『番組、水曜日のダウンタウンで、松ちゃんの録画の小出しに対し、出演の足固めか、やり口が姑息やな、と文句が出ている』とか。また『まあ、文句を言ってるは、アンチ松ちゃんが、大半だとは思いますが』とか。それに対し『松ちゃんのテレビ出演(再起)を住職はどう思われますか』とその読者から。その問いに対し住職が『松ちゃんが出演の番組を、見たい人は見ればいいし、見たくない人は見なきゃいいだけでしょ。拙僧は見ると思うよ。松ちゃんの出演している番組にチャンネルを合わせるも、チャンネルを合わせないも、視聴者側にその選択権があるんでしょ。見たくないと言ってるのに、チャンネルを合わせて、文句を言ってくるというは、何ともおかしな話ですよね』との回答を、法話の中で言われておりましたよね」と。


続けて、この読者男性が「私も住職の松ちゃん法話に、御意、です。『どんな情報も全てを鵜呑みにして追い込んでいく、決めつけ刑事(デカ)』なる面白いCMがあってますが、これは、正義感を暴走させる人達が昨今、数多に湧いて出てきたからでしょ。ほんと、住職の言う通り、松ちゃんをテレビで見たくないなら、見なきゃいいだけ、ただそれだけの事、なんですけどね。断っておきますが、私は、松ちゃんの件だけを取り上げて言ってる訳ではないですよ。住職の松ちゃん法話の投稿も、そうなんでしょ。昨今のこの国に流れる風潮(正義感の暴走)に対し、いささか、嫌気が差しているだけなんです」と。


更に、この読者男性が「住職の投稿法話においても、そうですもんね。住職がわざわざ法話の前置きで『法話が長いと思われる人は、どうぞ、無視して下さいね。長い法話の方がわかりやすくて有難いです、と言われる読者さんも、少なからずおられますので』と注意書きしてあるにも関わらず『話を短くしないと、誰も読まんぞ。話が長過ぎる』と文句を言ってくる人がいるみたいですが、長いと思うなら、読まなきゃいいだけなのに。わざわざメールでそんな事を言ってくる必要がありますか。『俺の意見は、世の中の意見だ』とでも言いたいのかな。SNSや様々な媒体で、著名人が叩かれているを見る度に『こんな風潮、もう大概に、やめにしない』と思っているは、私だけでしょうかね、住職さん」と。


対し、拙僧「23年前に他界した父(先代、行年73歳)が、偶に拙僧に『世相(流行、風潮)の流れを止めるは、非常に難しい。人が飽きてくれるか、人が忘れてくれるか、人の目線、心を惹きつける、別の何かが起こるか、時期を待つしかない。但し、手をこまねいて時期を待つ、はいかん』と。そんな事を言ってたな」と。対し、この読者男性が「住職の父上の言葉ですが、もう少しわかりやすく」と。「例えば、川の流れですが、それを止める事は出来ないでしょ。だけど、ダムを造って、川の流れを調整する事は出来ますわな。コロナなどの感染病で例えると、台風や大雨の時の川の濁流、激流は、パンデミック状態という事かな。そうではない穏やかなせせらぎの時にも、川は止まる事なく流れ続けているでしょ」「そうか、感染病が消滅する事はない、つまり、手立てを講ずるしかない、という事ですよね」「御意」と。「と、なると、ダムを造るを手伝う人、つまり、問題意識を持ってる人が、多ければ多いほど、その効力は増していくという事ですよね。と、いう事は、今、この国は、ダム(手立て)を造ろうとする人が、少ないという事か」と。


【余談】

春の彼岸参りで、大分県中津市へ檀家の仏壇参りに伺った時、その家の玄関に入ると奥の部屋から爺様の「昭和の常識は、令和の人間にとっては非常識かもしれんが、令和の常識も、昭和の人間にとっては、非常識なんだぞ」という声が。機会を伺って「入るよ」と仏間の引き戸を開けると、高校生の孫(男子)ちゃんが口をへの字にして、拙僧に頭を下げ、部屋の外へと。その高校生が後日、電話をしてきて「住職さん、この前、僕の爺ちゃんが言った言葉ですが、聞こえてましたか」と。「ああ、聞いてたよ」「ほんと、そう思った。住職さんがよく言う『世の中に、これ正解、はない』は、その通りだよね」と。


対し拙僧「人というは大なり小なり、自分にとって都合が良いか、悪いかで是非(善悪)の判断をするもの。今現在『これ、正解』と思っている事も、知識、知恵、経験が増していけば、自ずとその正解も変わってくる。10年経てば、人の考え(言動)は変わる。なればこそ、今の感情だけで、人を簡単に批判しちゃいかんのだよね」と。この高校生が「人を批判、と言えば、ここんとこ、ずっと気になっていたんだけど、お笑い芸人さんを含め、著名人さん達のやらかしに対して、世間はとことん追い込んでいる様だけど、これって、いったい、どうしたいの。ご本人さんが、自殺するまで追い込み続けたいの。ほんと、住職が言われた『正義感の暴走』が、あまりにも広がり過ぎてるよね」「そうだね。ところで、過労で休養に入った浜ちゃんのリリーフだけど、1年も1人で頑張らせたんだから、その恩返しの穴埋めは、松ちゃんしかいないでしょ。さあ、針の筵に、いざ、出陣」と。


【田中角栄元総理語録】


田中角栄元総理が「相手が立てなくなるまでやっつければ、敵方の遺恨は去らない。徹底的に論破してしまっては、相手が救われない。土俵際には追い詰めるが、土俵の外に押し出す必要はない」と教訓を後世の人達に。


さて、角栄さんが現在にいたら、今のこの世の中の状況を見て、何と言われるでしょうね。躾(しつけ)は『するもの』ではない。躾(しつけ)は『見せるもの』ですもんね。昨今の大人達はいったい、子供達に何を見せたいのかな。


【付録】

偶に、読者の方から「住職は長い法話が多いですが、字数はどのくらいなんですか」との質問を受ける事が。対し「SNSに投稿初期の2、3年は、ツイッターの140字だけでした。大半の読者は、140字の中に隠れている含み言葉を、しっかり読み取ってくれていました。中には『住職の法話は、140字の俳句ですね』と言ってくれる読者さんも。が、読者さんが増えるに連れ、明後日の方向から的外れの指摘をされる人が徐々に。そこで『わかりやすい法話にしなければ』と変えていったが、現在のこの字数に。法話作成の経緯は、まずメモに書いて、ブログに投稿するんですが、ブログは30000字が限度ですので、5日ごとに投稿しておりますから、4日間で書いてるは、400字詰原稿用紙で70枚前後ですかね。そのブログから、Facebook、Instagram、X  に同じ法話を飛ばしています」と。「10年間も続けてですか。よくそんなにネタがありますね」「拙僧の祖父母、檀家のご老人達の経験、教訓話が8割以上です。聞かしていただいた話をアレンジして書いています。個人情報がダダ漏れしない様に。拙僧個人だけでは、10年間で3000話は無理ですよ。ご老人達の経験話は、後世の人達にとって必ず、宝になりますもんね」と。


約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を下記で読む事が出来ます。

金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808

金剛寺ツイッター  :https://twitter.com/kongouji093

金剛寺フェイスブック:https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/

                   拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」

金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?


【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


添付写真は、わが寺の本堂脇にある鬼子母神社(社)の屋根に座る『見猿、言わ猿、聞か猿』です。「見てはならん、見にゃならん。言うてはならん、言わにゃならん。聞いてはならん、聞かにゃならん」の判断は、自分にあり。


次回の投稿法話は、3月25日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 妻は、天から頂いた最高のプレゼントです。目を閉じるまで大事にしていきます。長生きをしてもらいたいので。

2025-03-14 12:18:47 | 法話

【3月15日投稿分】


昭和63年3月13日に結婚(拙僧25歳、家内21歳)して、今月は37回目の結婚記念日となりました。大変な事も色々、様々ありましたが、夫婦共に存命で今年を迎えられた事は、これほどに有難い事はないですな。感謝、感謝、ですばい。妻は檀家の娘さんで、質素倹約のその姿勢(人間性)に惹かれて、拙僧から申し入れをしました。お寺というところは、檀家さんのお布施(国でいうところの血税)によって成立している組織ですので、贅沢が好きな浪費家では、お寺の坊守(奥さん)は、とても務まりませんからね。


お付き合いが始まって数ヶ月が過ぎた頃、家内の気持ちも聞かずに、拙僧が独断で結婚式の会場と日程を決めて報告を。式場は、美空ひばりさんが最期のステージ(拙僧夫婦が結婚した次年)となった北九州小倉の九州厚生年金会館を抑えました。対し家内が「まだ両親に、お付き合いをしている事も伝えてないのに」と困った顔をしましたが、対し拙僧「これから伝えて、許しをもらうったい」と。承諾を得られたは、式当日の2ヶ月前で、流石に焦りましたね。特に父親様が「一般家庭の娘が、お寺の坊守など務まるはずがない」と猛反対を。後になって子供達から「お父さん、やる事が無茶苦茶やん。これって、犯罪やで」と。対し「何を言うか、そのお陰でお前さん達はこの世に出て来れて、やりたい放題な事が出来てるんだろうが」と。家内もその当時の事を振り返る度に「その時は私も、21歳で若かったからね。何が何やらわからずに、気付いたら結婚させられていたもんね。私に考える時間を与えない事が、お父さんの作戦(勝利)だったんだもんね。まあ、結果オーライだったから、いいんだけどね」と。息子(長男)のお嫁さんが、この一連の流れを聞いて「ひどい」と一言、笑いながら言ってましたね。


拙僧の両親が他界した現在は、家内のご両親と同居(寺内)をしておりますが、娘(現在34歳、2児の母)が高校生の頃「お爺ちゃんとお婆ちゃんを、お父さんが引き取って、これからお世話をしていくの」と聞いてきたので「何や、お前さんは嫌なのか」と返すと「私は嬉しいけど、また、お父さんの負担が増えるのかな、と思って」と。「心配してくれて有難うな。だが、お母さんは女性ばかりの3姉妹だろ。3人とも嫁いでいったら、誰が老いていく爺ちゃんと婆ちゃんのお世話をするんだ。こういう家庭の娘さんをお嫁さんにもらおうと思う男性は、お嫁さんのご両親を将来、世話していく気がないなら、初めっから結婚などしないこった。両家の親を同じ様に大事にしなきゃ、いつしか夫婦の間にも亀裂が入る。両家の両親がいるからこそ、可愛い子供や孫を授けてもらえるんだろ。お嫁さん側の両親の事なんか知らん、は、そりゃ、道理が通らんで」と、娘にはその様な話を。しかしながら、縁というのは面白いものでして、一昨年結婚した長男のお嫁さんも2人姉妹で、現在、結婚を前提にお付き合いをしている次男の彼女さんも、ひとりっ子にて。拙僧の姿を見て育っているもので、息子は2人共、相手のご両親を大事にしておりますもんね。


ところで拙僧夫婦ですが、基本、喧嘩になった記憶は、ほとんどないですね。この37年の間、家内が大声を出して怒ったり、口を効かずに無視してきたり、感情を剥き出しにヒステリックに喚いたりなど、1度もそんな姿を見た事が。ただ、30代の時に1度だけですが、家内からまじ蹴りを喰らった事が。拙僧を蹴り飛ばした後、家内は「よし」と一言、納得したかの様に言葉を発して、その後は拙僧に対して何もなかったかの様に、通常通りの対応を。家内は実に男前でして、何でもがそうですが、後に引き摺る事が全くなし。蹴り飛ばされたは恐らく、踏んではいけない家内の地雷を、踏んだんでしょうね。何故に蹴られたのかは、いまだにその理由はわかりません。理由を聞く勇気もありません。


さて、あとどのくらいの時間、一緒に生きていけるのかはわかりませんが、なるべく長く一緒にいたいですね。もちろん、死んだ後もずっと一緒にいたいですが。偶に子供達が「父さんは、そんなに母さんベッタリで、もし、母さんが先に死んだらどうすんの」と尋ねてくる事が。対し拙僧「心配するな、母さんの身体にまだ、温もりが残っている内に追っていく。後の事(お寺も含め)は、お前達に任せる」と言ったら、呆れ返っていましたね。


【付録】

偶に、読者の方から「住職は長い法話が多いですが、字数はどのくらいなんですか」との質問を受ける事が。対し「SNSに投稿初期の2、3年は、ツイッターの140字だけでした。大半の読者は、140字の中に隠れている含み言葉を、しっかり読み取ってくれていました。中には『住職の法話は、140字の俳句ですね』と言ってくれる読者さんも。が、読者さんが増えるに連れ、明後日の方向から的外れの指摘をされる人が徐々に。そこで『わかりやすい法話にしなければ』と変えていったが、現在のこの字数に。法話作成の経緯は、まずメモに書いて、ブログに投稿するんですが、ブログは30000字が限度ですので、5日ごとに投稿しておりますから、4日間で書いてるは、400字詰原稿用紙で70枚前後ですかね。そのブログから、Facebook、Instagram、X  に同じ法話を飛ばしています」と。「10年間も続けてですか。よくそんなにネタがありますね」「拙僧の祖父母、檀家のご老人達の経験、教訓話が8割以上です。聞かしていただいた話をアレンジして書いています。個人情報がダダ漏れしない様に。拙僧個人だけでは、10年間で3000話は無理ですよ。ご老人達の経験話は、後世の人達にとって必ず、宝になりますもんね」と。


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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


添付写真は、わが寺の境内地に座る、やすらぎ地蔵菩薩さんです。


添付写真は家内です。当たり前の事ですが、先祖を大事にしてくれます。

次回の投稿法話は、3月20日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 人に恩返し出来る方法があるなら、自分が出来る方法で、恩返しを。

2025-03-11 17:17:14 | 法話

【臨時法話】  一昨日の投稿法話の補足


【アナウンサー】

「監督がベンチから出て来て、ゆっくりマウンドに向かいました。浜田雅功からボールを受け取り、ポンと肩を叩き、何やらひと言声を掛けました。浜田は大観衆の拍手に帽子を取って頭を下げながら、ゆっくりと歩いてベンチへ。監督が主審に「投手交代、松本人志」と告げ、マウンドに上がってきた松本に、浜田から受け取ったボールを手渡しました」


読者さんが「この投稿、味があって面白いですけど、浜ちゃんの代わりの投手交代は、他にも何人か、おられるのでは」と。対し拙僧「浜ちゃんが『あの人(松ちゃん)の代わりはおらん』と言ったでしょ。だから今日まで1人でその重責を。昨年、松ちゃんは「来春復帰出来たら、とにかく初めは、浜田と2人でやりたい」と言ってたようですが、浜ちゃんの体調がこうなった以上、袋叩きになろうが、何だろうが、浜ちゃんが1人でここまでやってきた苦労に報うて、今度は松ちゃんが1人でやって、ゴールデンウィーク明けに復帰希望という浜ちゃんに恩を返さなきゃ。


携わっておられる周囲の関係者には、ダウンタウンで生計を立てている人達、その人達の家族まで含めば、その数は恐らく少なからず。これは、その人達に対する責任問題でもあります。もし、罪があるとしたならば、罪を償う方法は人それぞれにて。それしか恩返しの方法を持たない人を、全く関係のない第三者が止めてどうすんねん。「これ(罪の償い方)が正解」と他人様が決める事ではないかな。これは松ちゃんに限らず、やらかした人全員に言える事かな。世間が許そうと許すまいと、今、自分がやれる事をやるしかない、と拙僧個人は、その様に思ってますけどね。


【余談】

ダウンタウンの浜ちゃんが体調不良で休養に入りましたね。精神的負担も大きかったのかな、この1年間は。拙僧よりも1つ下(当年62歳)なので、もう無理が出来ない年齢になってきましたからね。今後、どうなっていくかはわかりませんが、若い頃にお2人共が「最後は難波花月で漫才をしながら、お笑い人生を終わっていきたい」と言われていましたもんね。その最後の前にまだ、やる事があるかな。諸行無常(誰にも訪れる老いと引き際)とは世の習い、とは知ってはおりますが、なんか、同年代としては、寂しいですね。


【付録】

約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を下記で読む事が出来ます。

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添付写真は、わが寺の薬師如来坐像さん。

次回の投稿法話は、3月15日になります。