1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、t楽しい人生に】 今日は、過去の法話を、臨時法話として投稿を。

2023-06-28 07:18:00 | 法話
【この法話は、昨年10月21日に投稿したものですが、供養と納骨堂に関する考え方を、問うてこられる読者が結構におられますので、再度、この法話を。7月施餓鬼盆、8月盂蘭盆、9秋のお彼岸と続くからですかね。臨時法話】

読者が「毎日投稿される法話を読み始めて3ヶ月程になりますが、住職はお寺に勤めて、何年程になりますか」と。「約40年、ですかね」「今と昔で大きく変わった点は、何ですか」「やはり1番は、看護協会から講演に何度か呼ばれた時、方々の大病院の看護師さん達が、病院で他界の親の遺体を『いらん』と、引取拒否する子供がいる、と聞かされた事ですかね」と。

対し、この読者が「えっ、それって本当の話ですか」と。「病院側が親の遺体を受けに来ない子供に電話をすると『要らん』と返事を。人がそう動くには、必ず、そう動くだけの理由があります。捨てられる様な事をした親なのかも。だが、子供が引き取らねば、病院、福祉が、後の始末を。死んだ人間が自力で歩いて、火葬場には行けない。家庭問題、親子喧嘩に第三者は何の関係もない。例えどんな理由があろうと、他者に迷惑(費用、手間)を掛けて、平気でいる子供の人間性を疑いますよね」と。

更に「他にも、病院から直接火葬場に向かい、遺骨をそこに捨ててくる子供や、遺骨は一応持って帰るが、住所、氏名が記されてある埋葬許可証を抜いて、電車の中や、家庭ごみ収集場所に置き捨てる子供も。それも少ない数ではない。ある自治体では2017年度、身元が判明の捨て遺骨51柱の内、引き取りに来たは1柱だけと。ここまでとは言わずとも、これに近い事例は、拙僧の耳に幾つも。子供や孫が祖父母に対するそんな親の行動を見て、命の尊さを勉強出来るはずがない。ある中学生が『人間死んだら、ゴミ処理と一緒か』と放った言葉には衝撃を覚えました。何か、悲しいですよね。だけど、拙僧の今回のこの話は、こうした問題のほんの一部に過ぎません。お寺側(住職)の責任問題も当然、問われています。人間関係が希薄になってきたも、こうした事が要因の1つになっているのかな、と思わん事も。また、機会があれば、おいおいこの話を」と、この読者に。

【追伸、こんな事例も】

檀家が住む分譲マンションで、1人暮らしの老人(男性)が孤独死を。檀家が曰く「福祉の人が子供に連絡すると『葬式はそっちでやって、遺骨だけを持ってこい』と、その福祉の人に命令口調で。その3ヶ月後、その老人の息子家族が、分譲マンションに何食わぬ顔で引っ越して来た。マンションの住人は皆、事情を承知。が、悪びれもせず、こちらから挨拶しても、挨拶を返す事は一切なし」と。似た様なケースを拙僧、何度か耳に。

以前、こうした法話を投稿すると、親に酷い仕打ちをした子供の方を、擁護するメールを送ってよこしてきた人達が。どうも、その人達の反論の内容を聞いていると、これに似た様な事を親に対して、しておったようで。人間は、人に言われて腹が立つ時は、自分に身に覚えがあるから、なのかな。人間は皆、事情を抱えております。事情の塊が人間であるに、間違いはありませんが、正当化するにも、限度というものが、ありますよね。

【わが寺での納骨堂契約】

読者が「住職は檀家さんには、大変厳しそうですが、納骨堂の契約の時もやはり、厳しいのですか」と。「別に、普通通りにしていたら、何も厳しい事は言いませんよ。ただ、わが寺の納骨堂契約書には『金剛寺の納骨堂は、要らない物を置かせる場所、要らない物を捨てる場所、に非ず。姥捨山の如き扱いをしたら即、遺骨は突き返す』の文言が記してあります。過去に2家、突き返した家が。数日後『2度とこんな事はしませんから』と、その家の人達がお寺に。対し、拙僧『他の家は家族で参拝してきて、先祖に声掛けを。あなたの家だけだよ、ほったらかしているのは。本堂に上がって、手を合わせい、とまでは言わん。せめて、祖父母や親に声掛けを。この家の故人達を皆、知ってるから、気の毒でならん』と。すると、その後は毎月、納骨堂に参拝を。どんな心で来てるかは知らんですよ。『あの坊主、うるせえ。行っときゃ、文句ねえだろ』かもしれません。ところが、毎月行き出すと、今度は行かないと気になり始めます。習慣付けさせるが、住職の役目にて。手を合わせて、頭を下げるという習慣は、特に、幼児、子供にとっては、非常に大事な事。これで、命の尊さと命の流れに対する感謝が、身に宿っていきますもんね」と。

次回の通常法話は、6月30日になります。