C型肝炎をやっつけるぞ!

C型肝炎を2007年よりIFN治療したけど根治せず、その後、4年豪州に住んでいる間に腫瘍見つかり2014年に手術して切除

ミャンマー事変

2007-09-29 20:38:09 | Weblog
今、ミャンマーが揺れている。
しかし、今に始まったことではなく1988年に軍事政権から民主化宣言するが、民主化に伴い、それまで住んでいた英国から一時帰国したかつての英雄の娘”アウンサンスーチーさん(通称、The Lady)”を拉致・軟禁開始、それから今までずっと何かが起きている。
イスラム諸国と違うのは、その何か、が、武装対立ではなく、穏便に平和的に勧められていたことにある。
例えば、民主化宣言し、総選挙した結果、民主化を主張する政党が圧勝するも、政府はそれを認めず、無視、し続けている。
また、最近では2005年にそれまでの首都ヤンゴン(旧ラングーン)から現在の首都ピンマナに遷都している。ピンマナは全く新しく作られた町で、そこにはお役人専用の豪華マンションが立ち並ぶ。 要は、ヤンゴンは貧乏な農民が集まってきてしまい住みにくくなったので、政府関係者一同、引越しした、ということ。

穏便で平和に勧められていた背景には、この国民は敬虔な仏教徒であることにある。 つまり、すべては仏の道に従う、という精神があった。

今回の事変は、それを政府・軍部が見事に裏切った。
物価上昇や、格差問題など、その理由が報道されているが、過去10数年間、政府・軍部に虐げられてきた一般市民・僧侶がついに爆発、もはや軍事的に押させなければならないと考えた政府が、武力にて弾圧した。

暫く、ドタバタするだろう。
多分、時間が経てば、良い方向になると思う。
問題は、一般市民がそれまで苦労しなければならないことだ。

ヤンゴン(旧ラングーン)は、かつては英国統治領で、シンガポールやクアラルンプールよりも、むしろ、ラングーンの方が栄えていたし、Asian Gardenといわれるほど、緑と湖で美しい町並みだった。 今も緑が豊富で、美しい町だ。
早くに国際社会に戻れば、きっと素晴らしい観光国になるだろう。
早くに正常になること期待する。

自分は1990年~1995年にかけて仕事で数回(通算2ヶ月ほど)ヤンゴンに居た。
そのときには、日本人というだけで、ミャンマーの人達は歓迎してくれた。

前の大戦のときに、日本兵はミャンマーでは限りなく紳士的な振る舞いをしていたそうだ。現地では日本語学校を開設し、教育を提供したり、農業指導などもしていたそうだ。 泰緬鉄道は、ミャンマーにしてみればありがたいインフラ整備だったのだろう。 日本兵はミャンマーを拠点に、バングラディッシュ、インド方面にインパール作戦を仕掛ける。 それで敗退するわけだが、ミャンマーはその日本兵のお世話をしている。

日本と関係の深い国だけに、今回の事変での最初の犠牲者が日本人だった、ということに非常に憤りを感じる。