グランドスラム東京は、土曜、日曜、月曜と変則的な日程であったが観客も思ったよりは入り、主催者側も「一応、成功」と胸を撫で下ろしているかもしれない。しかしながら、会場の半分は観客を入れなかったにも関わらず、満席になることもなく、パリ大会などと比較すると質が落ちるといった感は否めない。
3日間大会を観戦したが、充実感よりも疲労感が大きかったのはなぜだろうか。予選ラウンドは3試合上でアナウンスも名前を紹介するだけで淡々と試合が続いていく。以前にも言ったが、強豪選手が出る場合には紹介があったりすればもう少し注目してみるのかもしれないが・・・。
終わってみれば日本が多くの階級を制して活躍したかのように思えるが、実際には活躍すべき選手が今一で若手やダークホース的な選手が活躍したおかげである。この現象は9月の世界選手権と似ている。一番手の選手ではなく、2番手の選手が活躍した。世界選手権のときには、一番手のプレッシャーだと思ったが、今回は、選手達が皆一様に疲れていると強く感じた。やる気が感じられないというと言い過ぎだが、みなぎる闘志のようなものが出ていなかったのは確かだ。
福見選手は準決勝戦で勝利した後、本来自分が戻るべき側に下がっていくのではなく正面席のほうに戻ってきてしまった。係の人に声をかけられるまでは全く気がつかなかった。疲れて車を運転していると、到着したときにどうやってこの場に着いたのか記憶がないことがある。目を開いていても見えていない、やっていても意識していない、集中していないという現象であり、一つ間違えば大きな事故につながる可能性もある。福見選手に限らず、1、2番手の選手のほとんどがこのような状態ではないのか。
彼らを疲れさせるのは、この大会が終わっても休めるという期待がないことだ。引き続いての合宿、1月にはマスターズ(アゼルバイジャン)、2月にはパリのグランドスラムが待っている。試合は出れば良いというものではない。当たり前ながら、練習、調整、減量をしなければならない。ロンドンまでという思いで必死に自分に鞭を打っているのだろうが、心も身体も悲鳴を上げているのが私達にも伝わってきた。
強化とは、強くするのが目的なはずであるが、今やっているのは、ただ選手達に鞭を打って働かせる悪徳サーカスのようだ。サーカスの動物が無理をして病気になろうと死んでしまおうと、サーカスのオーナーは次を探せば良いのだから一向に構わない。強化に携わっているコーチたちは自分たちも辿ってきた道なのだから、これだけの合宿、試合をこなすことが可能かどうかの判断は容易にできるはずだ。海外の選手とは状況が違う。海外は選手層も日本ほどに厚くなく国内の競争がないに等しい。練習相手も国内には少ないから、国際合宿、大会が練習の場になっている。それらの選手と比較して日本人は逞しくないといった議論はおかしい。
強化選手の中には大学生も多く含まれるが、強化の方針に沿って全ての合宿、大会に参加していたら、まず4年間で卒業するのは無理だろう。オリンピックの代表に選ばれて、その年に限って柔道に専念するということで休学というのはこれまでにもあったが、世界選手権が毎年ある現状では、選手の間は大学に行く時間がないといっても過言ではない。大学側や先生が事情を考慮したとしても間に合うスケジュールではない。
確かに、他の競技では、それこそ365日合宿をしなければ、常に海外遠征をして鍛えなければメダルを狙うことが難しいともいえる。しかし、柔道は違う。例えば、現在、ランキング上位であり、経験もあるベテラン選手が大会に出場し続ける意味が何なのか?大会に出れば出るほど、各国から研究されることは間違いない。勝たせるために行かせているのか、勝ちづらくするために行かせているのか?
現在では、マルチサポート事業のサポートもあって医科学的な側面から選手達をサポートしている。この人たちに「トレーニング期、調整期、減量、ピーキングなどの観点から1年間の適正な試合数は?」と聞いてみたいぐらいだ。
負けた選手達のインタビューを聞くことはなかったが、そのうちの1人でも「こんなに試合をしていたら、負けるのが当たり前ですよ。もう疲れました。怪我をしないで終われただけでもラッキーでした。柔道が楽しくありません。」ぐらいの発言があっても良かったのではないかと思う。選手の正直な気持ちはそうだろうと推察する。
選手はベルトコンベアに乗ってくる商品ではない。つぶれたから次がいるというものではない。現場の先生が長い時間をかけて作り上げた傑作である。彼らが最高の状態で競い合って五輪の代表権を争ってほしい。消去法で生き残った選手を連れていくのなら強化とは言わない。また、消去法で生き残った選手であれば、代表権を勝ち取った時点で気持ちが切れてしまう可能性も少なくない。
世界選手権、グランドスラムと日本は成績を残しているが、この結果を額面通りに受け取って五輪に期待するのはいかがなのもかと思う。そのことを強化の現場がわかっていることを信じたいが・・・。
3日間大会を観戦したが、充実感よりも疲労感が大きかったのはなぜだろうか。予選ラウンドは3試合上でアナウンスも名前を紹介するだけで淡々と試合が続いていく。以前にも言ったが、強豪選手が出る場合には紹介があったりすればもう少し注目してみるのかもしれないが・・・。
終わってみれば日本が多くの階級を制して活躍したかのように思えるが、実際には活躍すべき選手が今一で若手やダークホース的な選手が活躍したおかげである。この現象は9月の世界選手権と似ている。一番手の選手ではなく、2番手の選手が活躍した。世界選手権のときには、一番手のプレッシャーだと思ったが、今回は、選手達が皆一様に疲れていると強く感じた。やる気が感じられないというと言い過ぎだが、みなぎる闘志のようなものが出ていなかったのは確かだ。
福見選手は準決勝戦で勝利した後、本来自分が戻るべき側に下がっていくのではなく正面席のほうに戻ってきてしまった。係の人に声をかけられるまでは全く気がつかなかった。疲れて車を運転していると、到着したときにどうやってこの場に着いたのか記憶がないことがある。目を開いていても見えていない、やっていても意識していない、集中していないという現象であり、一つ間違えば大きな事故につながる可能性もある。福見選手に限らず、1、2番手の選手のほとんどがこのような状態ではないのか。
彼らを疲れさせるのは、この大会が終わっても休めるという期待がないことだ。引き続いての合宿、1月にはマスターズ(アゼルバイジャン)、2月にはパリのグランドスラムが待っている。試合は出れば良いというものではない。当たり前ながら、練習、調整、減量をしなければならない。ロンドンまでという思いで必死に自分に鞭を打っているのだろうが、心も身体も悲鳴を上げているのが私達にも伝わってきた。
強化とは、強くするのが目的なはずであるが、今やっているのは、ただ選手達に鞭を打って働かせる悪徳サーカスのようだ。サーカスの動物が無理をして病気になろうと死んでしまおうと、サーカスのオーナーは次を探せば良いのだから一向に構わない。強化に携わっているコーチたちは自分たちも辿ってきた道なのだから、これだけの合宿、試合をこなすことが可能かどうかの判断は容易にできるはずだ。海外の選手とは状況が違う。海外は選手層も日本ほどに厚くなく国内の競争がないに等しい。練習相手も国内には少ないから、国際合宿、大会が練習の場になっている。それらの選手と比較して日本人は逞しくないといった議論はおかしい。
強化選手の中には大学生も多く含まれるが、強化の方針に沿って全ての合宿、大会に参加していたら、まず4年間で卒業するのは無理だろう。オリンピックの代表に選ばれて、その年に限って柔道に専念するということで休学というのはこれまでにもあったが、世界選手権が毎年ある現状では、選手の間は大学に行く時間がないといっても過言ではない。大学側や先生が事情を考慮したとしても間に合うスケジュールではない。
確かに、他の競技では、それこそ365日合宿をしなければ、常に海外遠征をして鍛えなければメダルを狙うことが難しいともいえる。しかし、柔道は違う。例えば、現在、ランキング上位であり、経験もあるベテラン選手が大会に出場し続ける意味が何なのか?大会に出れば出るほど、各国から研究されることは間違いない。勝たせるために行かせているのか、勝ちづらくするために行かせているのか?
現在では、マルチサポート事業のサポートもあって医科学的な側面から選手達をサポートしている。この人たちに「トレーニング期、調整期、減量、ピーキングなどの観点から1年間の適正な試合数は?」と聞いてみたいぐらいだ。
負けた選手達のインタビューを聞くことはなかったが、そのうちの1人でも「こんなに試合をしていたら、負けるのが当たり前ですよ。もう疲れました。怪我をしないで終われただけでもラッキーでした。柔道が楽しくありません。」ぐらいの発言があっても良かったのではないかと思う。選手の正直な気持ちはそうだろうと推察する。
選手はベルトコンベアに乗ってくる商品ではない。つぶれたから次がいるというものではない。現場の先生が長い時間をかけて作り上げた傑作である。彼らが最高の状態で競い合って五輪の代表権を争ってほしい。消去法で生き残った選手を連れていくのなら強化とは言わない。また、消去法で生き残った選手であれば、代表権を勝ち取った時点で気持ちが切れてしまう可能性も少なくない。
世界選手権、グランドスラムと日本は成績を残しているが、この結果を額面通りに受け取って五輪に期待するのはいかがなのもかと思う。そのことを強化の現場がわかっていることを信じたいが・・・。