バコパ・コピア(ピンク系)の花、年が明けた今も咲き続けています。
アフリカ、カナリア諸島原産、ゴマノハグサ科の半耐寒性多年草。小さな、綺麗な花です。
前回掲載はこちらから、6月の「バコパ コピア(紫色)」はこちらから見ることができます。
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我が家に咲いたパンジーです。
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宇都宮城は関東七名城の一つとされています。築城については、平安時代の天慶3年(940年)に藤原秀郷が築城したという説と、藤原宗円(宇都宮氏の祖)が二荒山の南に館を構えたのが始まりという説があるそうです。藤原宗円が前九年の役の功により、下野国の領主となった後、約530年間、宇都宮氏の居城として続いたそうです。慶長2年(1597年)、豊臣秀吉による改易で、下野宇都宮氏は滅びました。慶長3年(1598 . . . 本文を読む
今、雪が降っています。
5cm前後、積もっているような感じです。
明日の朝が、大変です。
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飛山城は宇都宮景綱の重臣(一族)、芳賀(清原)高俊により、鎌倉時代後期の永仁年間(1293~1298年)に築かれたといわれています。慶長2年(1597年)、宇都宮国綱が豊臣秀吉による領地没収の処分を受け、芳賀氏のこの城は廃城になったそうです。宇都宮市の郊外、鬼怒川左岸の河岸段丘にあり、約14haという広大な面積で、北と西側は鬼怒川の河岸段丘による自然の防備を形成し、東及び南側は土塁と空堀などが二 . . . 本文を読む
勝山城はさくら市氏家の鬼怒川左岸河岸段丘にあった中世の城郭です。宇都宮氏一族の氏家氏が築城したそうです。南北朝時代に氏家氏が没落した後は、芳賀氏の居城となリましたが、1597年(慶長2年)に豊臣秀吉により、宇都宮氏が改易され、勝山城も廃城になったそうです。
現在は勝山公園の一部となっており、南北約420m、東西約370mの城郭跡も残されています。
勝山公園内には、勝山城址の他に大規模な縄文遺跡や . . . 本文を読む
応永11年(1404年)創建の黒羽山久遠院大雄寺(だいおうじ)は、茅葺屋根の本堂、坐禅堂、庫裡、回廊など、室町様式の伽藍が残っている禅寺(曹洞宗)です。栃木県大田原市(旧黒羽町)にあります。
天正4年(1576年)に、大関高増が白旗城から黒羽城へ居城を移した時に、余瀬村にあった大雄寺も現在地に移されました。大関氏の菩提寺であり、累代のお墓があります。
御本尊は釈迦如来坐像。
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黒羽山大雄寺(だいおうじ)「ラカンの丘」の石佛十六羅漢像の続きです。
十六羅漢、五百羅漢、お釈迦様の教えを後世に伝える役割を担っているとのことです。
羅漢さまを観ていくと、知っている人に似た像があるかもしれません。
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2009年1月
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黒羽山大雄寺(だいおうじ)山門の手前に「ラカンの丘」がありました。平成7年、開創600年を記念して、奉安されたそうです。
羅漢とは阿羅漢(あらはん)の略で、サンスクリット語の「アルハット」が語源で、修行により、悟りを得た人、悟りを開いた功徳な仏教修行者の尊称とのことです。十六羅漢とはお釈迦様の優れた16人の弟子をいい、五百羅漢は初めての経典編纂に携わった弟子達のことをいうそうです。
始めの写真は . . . 本文を読む
八重咲きベゴニア、いろいろな表情を見せてくれる小さな花です。
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黒羽城本丸跡(大田原市前田)
黒羽城は、戦国時代末期の天正4年(1576年)に大関高増が白旗城からこの地へ本拠を移し、居城としました。豊臣秀吉の小田原北條攻め際、主家の那須氏は参陣しなかったために改易されたのですが、参陣した大関氏は所領(後に1万8000石)を安堵され、明治4年の廃藩置県までの約295年間、累代の居城として続いたそうです。
空堀跡
松尾芭蕉は、”おくのほそ道 . . . 本文を読む
天正18年(1590年)、烏山城主那須資晴が小田原参陣を果たさなかった為、豊臣秀吉による奥州仕置きの対象になり、雲巌寺は戦渦に巻き込まれ、焼き討ちに合ったそうです。後に、再建されたとのことです。
元禄2年(1689年)には、松尾芭蕉が"奥の細道"で雲巌寺を訪れているそうです。当時の住職の仏頂禅師と芭蕉が詠んだ歌と句の石碑があります。
竪横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば . . . 本文を読む
雲巌寺は栃木県大田原市雲岩寺にある臨済宗妙心寺派の名刹です。大治年間(1126年~1131年)に叟元和尚により開基、1283年(弘安6年)に仏国国師により開山されたといわれています。筑前の聖福寺、越前の永平寺、紀州の興国寺と並んで、禅宗の日本四大道場と呼ばれているそうです。松尾芭蕉が奥の細道紀行で立ち寄った寺院としても知られています。
山号は東山、御本尊は釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)。
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