願成寺は甲斐武田氏の祖、武田信義公の菩提寺 . . . 本文を読む
総持寺祖院回廊
総持寺租院は元享元年(1321年)開山。永平寺と並ぶ曹洞宗の大本山でしたが、明治31年(1898年)の大火で多くの建物を焼失し、大本山は神奈川県横浜市鶴見へ移転したそうです。焼失を免れた経蔵、伝燈院、慈雲閣などもあり、往時の面影を残し、風格を感じるお寺です。
能登半島地震半年後、地元放送局のロケが行われていました。
山門
経蔵
法堂(大祖堂)
【データ . . . 本文を読む
尾山神社本殿
慶長4年(1599年)、前田利家公没後、第二代藩主利長公は卯辰山麓に社殿を建立し、物部八幡宮と榊葉神明宮を遷座、利家公の神霊を合祀し、卯辰八幡宮をつくりました。明治6年、卯辰山から現在地(旧金谷御殿)に移し、尾山神社としたそうです。境内には、雅楽の楽器を模した橋、島を配した庭園、金沢城二の丸の門だった東神門や神門があります。
神門は和洋中の三様式が取り入れられたもので、三層目のギヤ . . . 本文を読む
金沢城は、犀川と浅野川との間の台地に築かれた平山城です。
天文15年(1546年)、空堀や柵などを備えた寺院、尾山御坊(金沢御堂)が建立され、一向一揆、本願寺の拠点とされたそうです。天正8年(1580年)、佐久間盛政により、尾山御坊が攻め落とされ、天正11年(1583年)に前田利家が入城し、以後、金沢前田家の居城となりました。江戸時代などの火災により、多くの建物が失われましたが、石川門、三十間長 . . . 本文を読む
朝倉館跡
東側背後に山城、一乗谷城があり、西南北の三方は幅約8メートルの堀と高さ約1.2メートルから約3メートルの土塁で囲まれています。土塁の三方には、それぞれ隅櫓や門があったそうです。西方が正門で、現在は江戸時代に建てられた唐門が残っています。舘の面積は約6,400平方メートルで、17棟の建物があったそうです。
朝倉館跡庭園
唐門
【アクセス】:JR越 . . . 本文を読む
復元街並みの中に、武家屋敷とともに町屋、職人屋敷などがありました。
【アクセス】:JR越美北線、一乗谷駅から徒歩
北陸自動車道福井インターから国道158号線経由
福井市「特別史跡 一乗谷朝倉氏遺跡」のホームはこちらです。
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朝倉氏は、戦国時代に五代約100年にわたり、越前の国を支配していましたが、1573年(天正元年)、織田信長に滅ぼされました。一乗谷朝倉氏遺跡は、朝倉氏が越前統治の拠点としたところです。武家屋敷、町屋、職人屋敷などが復元された街並みもありました。
個室。扉は?
【アクセス】:JR越美北線、一乗谷駅から徒歩
北陸自動車道福井インターから . . . 本文を読む
一乗谷朝倉氏遺跡は、戦国時代、一乗谷城を中心に越前の国を支配した戦国大名朝倉氏五代の遺跡です。福井県福井市城戸ノ内町にあります。
1573年(天正元年)8月、刀禰坂の戦いに敗れた朝倉義景は一乗谷を放棄し、大野へ逃れたそうです。一乗谷は織田信長軍により、焼かれてしまったそうです。朝倉氏滅亡後、朝倉家旧臣間の争いや一揆が起こり、平定され、その後に越前の国を与えられた柴田勝家は本拠地を北ノ庄(福井市) . . . 本文を読む
源智の井戸です。城主小笠原氏の時代、その家臣、河辺与三佐衛門源智の名をとって、源智の井戸と呼ばれるようになったそうです。明治13年(1880年)の明治天皇御巡幸時には、御膳水として使われたそうです。
今日まで清水は守られ、平成の名水百選「まつもと城下町湧水群」、松本市特別史跡に指定されています。湧水群の湧水量、約280トン(1日)。
現在も、水を汲みにやって来る人は後を絶たないそ . . . 本文を読む
松本城天守閣
埋の橋周辺から、外堀の外周を歩いてみました。
カメさんが甲羅干しをしていましたが、目を覚ましてしまいました。この後、堀の水中へ戻って行きました。
埋の橋
松本城天主(外堀周辺から)
外堀
外堀
冬には白鳥も(数年前の3月)
松本城についての情報はこちらから。
松本駅からの観光は、松本市内の東西南北の4コースを回るタウンスニーカーが便利です。大人1 . . . 本文を読む
二の門(高麗門)
松本市役所前の外堀の内側に二の門(高麗門)があり、そこから城内へ向かうと太鼓門枡形、そして、一の門(櫓門)へ到ります。
太鼓門は天禄四年(1595年)頃に築かれ、明治四年に取り壊されたましたが、1999年(平成11年)3月に史跡「松本城太鼓門枡形」として復元されました。太鼓門は一の門(櫓門)と二の門(高麗門)から成り、時や登城を知らせる太鼓楼があったことが名前の由来といわれて . . . 本文を読む
別名、深志城(ふかしじょう)。安土桃山時代末期、または江戸時代初期に建造されたともいわれ、日本100名城の一つ。国指定の史跡、天守は国宝に指定されています。
戦国時代、甲斐の武田信玄がこの辺りを治めていた小笠原長時を追い、信濃支配の拠点としました。この後、武田氏と上杉氏との攻防、川中島の戦いが興っています。天正10年(1582年)に小笠原貞慶が旧領地を取り戻し、深志城から松本城と名を改めたそうで . . . 本文を読む
数年前の3月、二の丸御殿跡から撮った松本城天守閣です。
松本城二の丸御殿跡、数年前の冬と先月に撮ったものを掲載します。
狭そうで...
石垣修復中(平成23年6月松本地震の爪痕)
先月、二の丸御殿跡から撮った松本城です。
お城の南側や西側から天守閣を見る人は多いのですが、二の丸御殿跡の方は少ないようです。
松本城についての情報はこ . . . 本文を読む