横浜 青葉 茗荷館 (よこはま あおば みょうがかん)

花・風景・スナップショット・写真紀行などの写真館です。

景徳院 (甲斐国主武田氏滅亡の地)

2010-03-31 | 武田氏・風林火山ゆかりの地
山梨県甲州市大和町田野 天童山景徳院(曹洞宗) (2006.11)           ここ田野は、甲斐国主としての武田氏の滅亡の地です。天正10年(1583年)3月、武田勝頼は、織田・徳川軍の侵攻で形勢が不利になり、新府城(韮崎市)を放棄し、重臣の小山田信茂の岩殿城を目指しましたが、小山田氏の謀反に遭い、日川渓谷沿いに天目山へと向いました。その後、この地での織田・徳川軍と戦いの末に、ここが、武 . . . 本文を読む

新府城址

2010-03-29 | 武田氏・風林火山ゆかりの地
山梨県韮崎市中田町 新府城址 (2007.2)           築城は天正10年(1582年)。武田勝頼は本拠地を躑躅ヶ崎館から新府城へ移したとのことです。その後、織田軍の侵攻で、武田勝頼は形勢不利となった新府城を放棄し、小山田氏の居城の岩殿城へ向かったそうです。 防御のために築かれた丸馬出しなど 釜無川が侵食して造られた台地の上にあります。西側は天然の要害の . . . 本文を読む

アイスランドポピー 三つの色彩

2010-03-29 | 花・草木
神奈川県立フラワーセンター大船植物園 アイスランドポピー(橙) (2010.3.28)         今回は、ボケと早咲きのアイスランドポピーをメインの対象にと思って出掛けました。風もあり、あまり良い状況ではありませんでした。桃や桜なども咲いていましたが、桜の種類は比較的多いのですが、見ごろの時季のものはあまり多いとはいえないところです。これからでしょうか。それでも、いろいろな花が彩りを添えて迎 . . . 本文を読む

2010-03-28 | 花・草木
神奈川県立フラワーセンター大船植物園 (2010.3.28)           温室内でのものです。ここでは、三脚などは使用禁止です。湿気によるレンズの曇りを取りながら、という状況でした。 『機材』 カメラ:Nikon D300 レンズ:SIGMA 150mm F/2.8G             ■ ¥1,500以上(税込)、国内配送料無料 ■ ■ 商品の詳 . . . 本文を読む

スイレンとボケ

2010-03-28 | 花・草木
神奈川県立フラワーセンター大船植物園 (2010.3.28)           大船植物園のホームページによると、『神奈川県内の観賞植物の生産振興並びに県民への花き園芸の普及と植物に親しむ場の提供を目的に、昭和37年に神奈川県農業試験場の跡地に開設されました。』とのことです。寒い日でしたが、ちょっと、行ってきました。道が空いていたので、1時間くらいで着きました。 『機材』 . . . 本文を読む

恵林寺 その2

2010-03-28 | 武田氏・風林火山ゆかりの地
山梨県甲州市塩山小屋敷 乾徳山恵林寺(臨済宗妙心寺派) (2007.2)           武田信玄公墓所の近くには、柳沢吉保(江戸幕府5代将軍徳川綱吉の側用人から甲府15万石藩主に)の墓所があります。宝物館では、孫子の旗(風林火山の旗)、信玄公の軍配団扇や六十二間筋兜、武田24将の図などの武田家に関するものや夢窓国師、快川国師、柳沢吉保に拘わるものが展示されています。 本堂 夢窓 . . . 本文を読む

恵林寺 その1

2010-03-28 | 武田氏・風林火山ゆかりの地
山梨県甲州市塩山小屋敷 乾徳山恵林寺(臨済宗妙心寺派) (2007.2)           このお寺で、天正4年(1576年)4月に武田信玄公の葬儀が行われたそうです。天正10年(1582年)、天目山の戦いで武田勝頼が敗れた後に織田軍による焼き討ちにあったそうです。この時に、快川国師は燃え盛る山門の上で「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と偈を発した後に焼死したそうです。 . . . 本文を読む

武田信玄公墓所

2010-03-27 | 武田氏・風林火山ゆかりの地
山梨県甲府市岩窪町 武田信玄公墓所 (2006.2)           武田神社の一つ手前の信号を右折し、円光院方向へ向い、少し右へ入ったところにありました。信玄公は、大永元年(1521年)に甲斐国守護武田信虎(甲斐源氏武田家第18代)の嫡男として生まれました。天正元年(1573年)4月12日、信州伊那駒場(長野県下伊那郡阿智村)の陣中で53歳で亡くなったそうです。その死は遺言により、3年間秘 . . . 本文を読む

塩澤寺・湯村温泉

2010-03-27 | 武田氏・風林火山ゆかりの地
山梨県甲府市湯村 福田山塩澤寺 地蔵堂 (2006.10)           福田山塩沢寺は、大同3年(808年)に弘法大師が6寸余の坐像(秘仏)を彫られ、開眼されたことが始まり(開創)とのことです。天暦9年(955年)に空也上人が6尺余の開扉仏(公開)を彫られ、安置したことを塩澤寺の開基というそうです。毎年2月13日昼12時から翌日の昼12時まで、厄除地蔵尊祭りが行われるそうです。お寺の境内 . . . 本文を読む

善光寺界隈

2010-03-25 | 甲信越(風景、他 )
長野県長野市元善町 善光寺界隈 (2008.3.1)           善光寺へ向う石畳の通りの両側は仲見世商店街です。仏具店、名産品の土産店、おやきや蕎麦などの飲食店などがあります。山葵や味噌味のソフトクリーム屋さんもありました。ちょっと、懐かしいみすず飴も売っていました。明治の始め頃までは、善光寺七名物というものがあったそうです。ローソク、ねり膏薬や善海の田楽などは現在では売られていないと . . . 本文を読む

善光寺 その2

2010-03-25 | 武田氏・風林火山ゆかりの地
長野県長野市元善町 定額山(じょうがくさん)善光寺 (2008.3.1)           現在の本堂は宝永四年(1707年)に再建されたもので、国宝に指定されています。間口約24メートル、奥行き約54メートル、高さ約26メートル、国内最大級の木造建築で撞木(しゅもく)造りという様式とのことです。 善光寺は「宗派を問わない、宗派を超えた」無宗派のお寺とのことです。浄土宗大本願(だいほんがん)と . . . 本文を読む

善光寺 その1

2010-03-23 | 武田氏・風林火山ゆかりの地
長野県長野市元善町 定額山(じょうがくさん)善光寺 (2008.3.1)           ご本尊は、一光三尊阿弥陀如来様。仏教伝来(552年)の時に、百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれているそうです。歴史的ないろいろな出来事の影響を受けながら、本田善光の手で飯田市(元善光寺)に祀られ、その後、ここに遷座したと伝えられているそうです。 戦国時代になり、武田信玄は善光寺の焼失を懸念し . . . 本文を読む

カゲツ(花月)・カネノナルキ

2010-03-22 | 花・草木
カネノナルキ (2010.3.21)           和名はフチベニベンケイ(縁紅弁慶)というそうですが、カゲツ(花月)、オウゴンカゲツ(黄金花月)とも呼ぶそうです。日当たりの良いところがベストですが、室内でも育てることは可能とのことです。この木もそうですが、葉の厚い植物は水分をたっぷりと貯えることができるので、水やりは少なめで良いそうです。 去年は5年ぶりの開花。今年は2年 . . . 本文を読む

典厩寺 (武田典厩信繁の菩提寺)

2010-03-22 | 武田氏・風林火山ゆかりの地
長野県長野市篠ノ井杵淵 典厩寺 (2007.8)           武田典厩信繁(信玄の異母弟)は、第4次川中島の戦いの最中、永禄4年(1561年)9月10日に戦死しました。その菩提寺です。もとは鶴巣寺といったそうですが、川中島の戦いの60年後に真田信之(初代松代藩主)が典厩寺と改めたそうです。 懐古の碑 ウサギと亀の石像 ボケ封じの石 山門 信繁は大永5年( . . . 本文を読む

川中島 その2

2010-03-22 | 武田氏・風林火山ゆかりの地
長野県長野市小島田町 八幡原史跡公園(川中島古戦場) (2007.8)           武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いは、12年(5回)に及びましたが、川中島の戦いの中で最も激しい第4次、永禄4年(1561年)の戦いが繰り広げられたところが、ここ、八幡原です。信玄公の弟で副将格の武田典厩信繁や軍師山本勘助などの武将が戦死したそうです。このときの戦いは、武田軍、上杉軍ともに痛み分けと言うとこ . . . 本文を読む