横浜 青葉 茗荷館 (よこはま あおば みょうがかん)

花・風景・スナップショット・写真紀行などの写真館です。

雲巌寺 その2

2012-01-11 | 城・史跡・神社仏閣 (関東)

天正18年(1590年)、烏山城主那須資晴が小田原参陣を果たさなかった為、豊臣秀吉による奥州仕置きの対象になり、雲巌寺は戦渦に巻き込まれ、焼き討ちに合ったそうです。後に、再建されたとのことです。
元禄2年(1689年)には、松尾芭蕉が"奥の細道"で雲巌寺を訪れているそうです。当時の住職の仏頂禅師と芭蕉が詠んだ歌と句の石碑があります。






竪横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば  (仏頂禅師)
木啄も庵はやぶらず夏木立  (松尾芭蕉)












松尾芭蕉は弟子の曾良を伴い、元禄2年(1689年)3月27日(旧暦)に江戸深川から、関東、東北、北陸を巡る約600里(2400Km)、約150日間の”おくのほそ道”の旅に出ました。雲巌寺のある黒羽には、4月3日から14日間滞在したそうです。雲巌寺への参拝は、仏頂禅師修行の山居跡を見ることも目的の一つだったそうです。現在、山居跡は非公開とのことです。

「おくのほそ道」(栃木県内)で読まれた主な句 
 4月1日  日光        あらたふと 青葉若葉の 日の光
 4月5日  黒羽・雲巌寺   木啄も 庵はやぶらず 夏木立
 4月9日  黒羽・光明寺   夏山に 足駄を拝む 首途哉
 4月19日 那須・殺生石   野を横に 馬牽むけよ ほととぎす

光明寺以外の句碑は見たことがあります。この他にも、白河の関、多賀城、平泉や山寺(立石寺)なども。松尾芭蕉翁一行、今でも観光地といわれているところなども周ったようです。真の旅の目的は”?”、謎だという説もあるそうです。



【アクセス】: JR西那須野駅、JR那須塩原駅からバス(旧黒羽町内で乗り換え)
        東北自動車道矢板ICから約1時間、西那須野塩原ICから約45分

【データ】 : Nikonデジタル一眼レフカメラ、広角~中望遠系ズームレンズ
        2009年1月  





  
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