台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

708 ブログ708 私の一生は

2013-08-18 22:36:16 | 台湾
私は、まだ人生が終わっていませんが、幸せだと思います。
だって、自分の好きなことしかしてきませんでした。
わたしが、退職後生活のために、教師をしょうか?といったら家内は、「あなたは、したいのですか?」{余りしたくないけど、生活のため何年間かしても・・・・ }
「あなたがしたくないのなら、いいわよ 」「私が働くから・・・。 」
それが今の今まで、続いて居ます。現在、61歳。もう一年と四ヶ月働いていません。
台湾で、中国語の勉強・・・、本当にしているの?
一応、しているつもりですが・・・・。
 私は、二つつつだけラッキーがありました。
ひとつは、妻と子供に恵まれたこと。之がなかったら、今はない。
 もう一つは、時代に恵まれたことです。
こんないいかげんな人間でも、教師が務まりました。
いいかげんでも、教師の仕事は、真面目にしたつもりです。見る立場によって、異なるかも・・・。校長や教頭の立場と 生徒の立場。保護者の立場で異なるかもしれません。
管理職には、いろいろご迷惑をおかけしました。生徒は、そこそこ幸せでは。
親は、その人によって、私と価値観が一致する人には、評判良かったが・・・。違う価値観の人とは・・。適当に言い争いました。親たちもいろいろ居ますから。
 私の時代は、そんなに親が厳しく要求しなかった。今は、結構、モンスターペアレント居るようですが・・・。之も時代のお陰。
 時代を選んで生まれてくることは、できません。親を子供が選べないのと同じです。
昭和50年~^平成24年3月まで、勤めました。まだ、良いのかもしれません。
これからの先生は、私より大変かもしれません。教員免許の書き換えとか、自己評価表とかいろいろ新しい制度が出来ているようですね。
 教師という仕事は、とても楽しい仕事です。それで「給料」も結構貰える。
わたしらの勤め始めた時代は、教員・公務員は、バカにされました。なぜなら、安い給料で、親や生徒に気を遣うと言われ・・・。けど、やってみると、面白い。いろんな人生を知ることが出来る。人の成長に関わることが出来る。そして、教え子と、いろいろな関わり方ができる。教え子にもいろいろ居ますから。歌手、先生、弁護士、医者、歯医者、
アルバイト、パート・・・・。それぞれの人生に関わる喜び。
 生まれた時期というのは、人生を大きく変える。私が現代て゛、青年だったら・・・。
やっぱし、先生を目指して、臨時教員をし続けたことだろう。中々受からず、時として、腐ったりして、生きて居たのでは、・・・・。けど、根本の所は、真面目。
真面目であれば、あるほど、現代は、生きずらい。むしろ、いいかげんなくらいの方が、現代を渡には、いいかも・・・。それほど、現代が生きづらいと言うことです。
 ま、しょうがありません。生まれる時期は、選べないのですから・・・。
私の人生は、本当に幸せです

707 ブログ707 品について、

2013-08-18 20:16:09 | 台湾
上品、下品と言う言葉をたまに使う。あの人は、上品。あの人は、下品。
なんだろうと思う。たまに、生徒の中にも、上品な生徒が居ることがある。
1,000人に1人くらい。極々まれ。
 一つ言えることは、ギャンブルやる人で、上品な人は、見たことがない。ギャンブルと品は、相容れない物のようだ。
 品って 、いったい何だろう?
私には、無いからわからない。その人格から、でる「香り」のようなもの。着ている物とか、顔立ちもあるだろうが。仕草やものごし、もののいいよう。決して亜子がけるわけではないが・・・。今までの育ちから、くる「躾け」のようなものなのか ?
生活のゆとりからくる物腰なのだろうか。
 品とは、不思議なのもの。
仕事をしている人でも、その品がある人も居る。吉永小百合の様な人なのか?
だいたい、行っている本人が、品とは、何なのかわかっていない。だから、これ以上議論が進まない。
 だいたい女性に多い様だ。男性でも、まれにあるが・・・。意図的につくれる物だろうか。お嬢様とは、又違う。
 品の本質は、・・・・。
後で調べてみます。ヤフーで調べました。
「貧すれば鈍する、という言葉がありますね。
ひと昔前は、貧乏人は根性がいやしい、などといわれました。
人間は、貧しいと、生きていくだけで精一杯で、学問や精神教育を十分に学ぶ
機会が少ない、そういう両親から生まれた子供もそうなってしまいます。
だから、人の悪口ばかり言ったり、自分の損得しか考えないような、見苦しい人は、育ちが悪いんだね、と思われます。
逆に、品位のある人は、育ちが立派である、と見られます。
昔は、論語を勉強するのは、お金のある家だけでした。
武士の家では、武士道、武家の女のあるべき姿を学びました。
品位というのは、外見でなく、究極的には、心・精神です。
自分を飾らず、他人に与える事ができる人。人やものを見るときに、あらさがしするのではなく、いい面を見つけられる。相手の立場に立ってものを考えられる。小さい事で腹をたてて他人の悪態をついたりしない。いつもグローバルに前向きにものを考える、ひたむきさ、真面目さ。さらには、その人がそこに存在するだけで、場が明るく和やかになる、オーラを出している
そういう人が、本当の意味で、品のある人だと思います。
現在では、品位の有無は、お金の有無とは全く関係ありませんね。お金や権力があるがゆえに精神を失う人が多いですから。
場にそぐわないていねい言葉を使うのはわざとらしくて、「上品」とは違うと思いますよ。」
わかりますが、現代では、なかなか見かけることが少なくなってきました。

706 ブログ706 魚釣り

2013-08-18 20:01:48 | 台湾
私は、小さい頃は、さかな釣りが好きだった。私の小学校のグランドの横に釣り堀があり、学校給食のパンで、口ぼそをよく釣った。結局先生に叱られた、そこでの釣りは、辞めた。兄貴が釣りが好きで、たまに 一緒に。ヘラブナ釣りに行った。
へらは、難しい。だから、素質がないようで、余りつれなかった。何となく、それからは、釣りをしなくなった。
 再会したのは、なんと、アラスカでの鮭つり。もう、25年位前の話。
これは、面白い。釣りのライセンスを買い、1週間毎日釣りをした。もちろん、もの凄い手応え。之が釣りの醍醐味と思えるほどの引き。
 20キロぐらいあるものと 30~40分格闘する。釣り上げた快感は、爽快。一日3匹というリミットがあるので、時々、形の悪いのは、離したりもした。
釣りがスポーツだというのがわかる。結構体力、根気、などなどたくさんの知識を持っていないと出来ない。私は、にわか釣り師。だから、ぜんせん知識も何もない。けど、してみると、面白い。
 アラスカの川は、流れが速い。 雪解け水があふれ、結構急流。
そこかしこに鮭が見える。見えてつれないのだから、不思議。だんだん、わかる。そのうちに、私にも罹る間抜けな奴が現れる。その間抜けと闘う。どっちが本当の間抜けかよくわかる。もちろん、ばらすこともある。それは、それ。
今、北海道や東北などでは、鮭が秋に産卵の為に帰る。こういう自然をいつまでも残して欲しい。昔手賀沼 に行ったとき、穴あきへらを見てびっくり。それ以来、釣りは、していない。釣りが好きな人は、自然に敏感。私は、鈍感だから、つりは、向かない。
 同僚で 魚釣りが好きな人がいた。三度ぐらい一緒に行った。まだ、寒かったため、一度もつれずに、終わった。「円良田湖」。へらで有名なところなのだが・・・。
こういうのも、才能と運。最初の出会いでつれないとおもしろさがわからない。
何でもそうだが、最初の出会いが良いと、引き込まれる。ところが、最初良くないと、なかなかその中に入れない。趣味という物は、そう言う物だ。
 私は、ギャンブルとばかりであったが、それは、それで楽しい。
ただ、趣味として、余り人に言えない。普段何していますか?はい、オートレースと麻雀を・・・。相手の方が、少し が少し引くかも。
釣りを少々というとかっこいい。ま、嘘を言わない程度に、本をよく読んでいます。小説等と答えるようにしている。釣りは、ほんの少しかじったが・・・。機会に恵まれないというより、他のことの方が楽しいのだと思う。時間とお金は、欠けてこなかったと言うことです。趣味には、両方。そして、一番肝心なことは、好きかどうか。
この一点。
 すきなら、みんな塡ります。
何を好きになるかで、人生の楽しみ方が、全然異なります。
あなたは、何が好きですか。
再見。

705ブログ705 長野方式に学べ。

2013-08-18 19:58:46 | 台湾
長野県は、老人問題に取り組むのに、まず、県全体の食生活の見直し、と老人の運動に取り組んだ。その成果は、確実に、平均寿命に出てきて、しかも、医療費の削減にも繋がった。つまり、健康という問題を、食生活と老人の生き甲斐となる運動二つの面から運動を展開。約二十年がかりで、県の衛生局かな 取り組んだという。
私がこれから、心配するのは、一つは、引きこもりの自立問題。
もう一つは、老人の孤独死等の老人問題。
 この二つに共通性を見いだし、両方とも成功させるという提起です。
まず、引きこもり問題は、どの方が、どの程度で、どんな生活しているか。かなり突っ込んだ実態調査。それから取り組み開始。まず会合を持つことから、手を付け、・・・・。お互いの安心感が得られるレベルまで引き上げる。それができるようになったら、
それだけで一年は、かかると思ってください。 そして、彼らに自立へ。
仕事として、年寄りの家庭訪問をして貰う、もちろん、興味のない方も多い。一方的な、押しつけのようになっています。「仕事」として、月に、4回。老人の話し相手になって貰う。 ひとりの方が三人ぐらい。そうすると、月、12回仕事が生まれる。もちろん、幾分かの報酬も払う。
 大切なことは、社会と接点を持たせること。自分にも役立つ仕事ができるという自信を付けさせる。これは、2・3年して貰う。そうしている間に、少しずつ、自己の過去の傷が癒えて、自己の活動性が回復してくるかもしれません。
仕事として「福祉」が適切かわかりません。必要なら、福祉2級の免許を取るのも良いと思います。生活の意欲を喚起するのに、今一番人手不足は、福祉分野かと思っただけです。あまりにも効率的に考えすぎていると思います 。
 各個人の、生活や興味、仕事を総合的に考えたわけではなく、出発点として、老人の訪問が・・・・。
 少し安直なところがありますが、彼らが、このまま自立せずに、年を取り、生活保護になるよりは、手始めに、仕事をと思い。まず、生活の実態調査にかなりの時間が費やされると思います。おそらく、各市町村でも正確に捉え切れていないのでは・・・。
親も隠したがるでしょうから・・・。
 一つの問題を解決するのに、別の角度から、取り組む。そうすると、相乗的な効果が得られることもある。・・・。 勘違いしないでください。「アイデア」を提起しただけです。
 十年がかりでも良いのです。人の人生がかかっているのですから・・・。
それぐらいの時間を掛け、じっくり腰をすえ、取り組む必要があると思うのです。
今、取り組んで、生活を少しずつ、 変えるきっかけになればいいのです。
今のままでは、きっかけもないまま、ずるずると時間が過ぎ、・・・・。
ま、取り組む こと自体大変難しいテーマです。
 少し安直なところがありますが、 皆さんどうお考えですか?
再見。