甚六ぶらぶら日記

岩手の穀潰し主婦・甚六の覚書

岩手公園4

2007-12-31 00:34:40 | 盛岡散歩


 ↑彦御蔵の屋根瓦。南部家の家紋、向かい鶴。美しい意匠です。
 3回シリーズのはずの岩手公園レポートですが、今日は補足です。

 【盛岡城・岩手公園の歴史】
 慶長2年(1597)南部信直公により築城開始。
 明治5年盛岡城閉鎖。7年廃城、陸軍省の用地となり建築物のほとんどが取り壊しとなる。明治23年南部家へ払い下げられ、39年岩手県へ貸与となり、公園として整備される。設計は当時の第一人者・長岡安平。平成18年(2006)開園100周年。愛称が「盛岡城跡(もりおかじょうあと)公園」に決定。


 実は私はこれまで、時鐘も彦御蔵も烏帽子岩も見たことがありませんでした。子供のころから何度も訪れたはずの岩手公園ですが、実は何も見ていなかったのではないかと思ってしまいます。変わってしまった部分もありますし。(イワマ靴店がなくなったり、多目的広場から孔雀がいなくなったり。)
 また、下調べをしてガイドブックを手に歩いたのに、見落としてしまった場所がいくつもありました。意外と広いのです。やはりもう一度歩いて見なければなりません。おそらくこのシリーズも続く!

 今回初めて岩手公園を丁寧に見て、ここはやはり城跡なのだということを感じました。ずっと「岩手公園」と呼んできたので今さら呼び方を変えるつもりはないのですが、私たちの祖先が大切にしてきたお城の跡に対し、敬意を払うことを忘れないでいようと思います。

 これで私も仕事納めです。皆様よいお年を。