岩手公園といえば石垣。今日はこれでもかというほどの石垣づくしをお届けします。
↑櫻山神社の右手、かつて鳩御門があったあたりが北側の入り口です。入ってすぐの右側がこの石垣。このあたりに宝永2年(1705)の石垣普請奉行銘石があるはずです。
石と石との隙間がほとんどない、きれいな切込接(きりこみはぎ)です。
↑一枚目の写真の向かい側です。傾斜しているラインにそって算木積(さんぎづみ)で角を作り、強度を持たせています。
↑上の2枚からほんの少し上に移動。瓦御門跡付近。算木積の美しさが分かるのはこういう部分だと思います。長方形の石を長辺・短辺交互に積んで角を作っています。くっきりしてます。
↑車御門跡付近。背後に教育会館の建物が見えています。この近くに啄木の歌碑があります。
この石垣を土台にして門があったのでしょうか?小さな石組みですが、だからこそ組み方が難しそうです。
↑二ノ丸から吹上馬場に向かって行きます。御二階櫓南西角。
どうやら私は算木積のすっきりした角のラインばかり追いかけているようです。
↑虎屋敷跡付近から二重隅櫓(大櫓)跡を見るとこんな感じになります。ずっと奥に小櫓跡も見えて、三重の角です。角・角・角。算木積ファンにとってはたまらない場所です。
↑米内蔵跡付近から。青い空に映えます。昭和・平成の大修理で復元されたのはこの石垣のはずです。(上、下の写真も含めて)
↑南西角。角の傾斜が直線ではなくわずかに曲線を描いています。これにもきっと理由があるはず・・・。
↑菜園通り側出口に向かって、石垣も斜めに下がっていきます。
↑石垣の斜度が切り替わっています。侵入者をよけるためでしょうか。それとも排水のためでしょうか。上の方に穴がありますが、蛇口跡(排水口跡)でしょうか、それとも矢穴跡でしょうか。専門家の話を聞いてみたいです。
石垣の美しさは、場所にあわせてきっちり丈夫に組んでいく機能美なのですね。まだまだ見落としているポイントがたくさんあります。石垣の世界は深い。
↑櫻山神社の右手、かつて鳩御門があったあたりが北側の入り口です。入ってすぐの右側がこの石垣。このあたりに宝永2年(1705)の石垣普請奉行銘石があるはずです。
石と石との隙間がほとんどない、きれいな切込接(きりこみはぎ)です。
↑一枚目の写真の向かい側です。傾斜しているラインにそって算木積(さんぎづみ)で角を作り、強度を持たせています。
↑上の2枚からほんの少し上に移動。瓦御門跡付近。算木積の美しさが分かるのはこういう部分だと思います。長方形の石を長辺・短辺交互に積んで角を作っています。くっきりしてます。
↑車御門跡付近。背後に教育会館の建物が見えています。この近くに啄木の歌碑があります。
この石垣を土台にして門があったのでしょうか?小さな石組みですが、だからこそ組み方が難しそうです。
↑二ノ丸から吹上馬場に向かって行きます。御二階櫓南西角。
どうやら私は算木積のすっきりした角のラインばかり追いかけているようです。
↑虎屋敷跡付近から二重隅櫓(大櫓)跡を見るとこんな感じになります。ずっと奥に小櫓跡も見えて、三重の角です。角・角・角。算木積ファンにとってはたまらない場所です。
↑米内蔵跡付近から。青い空に映えます。昭和・平成の大修理で復元されたのはこの石垣のはずです。(上、下の写真も含めて)
↑南西角。角の傾斜が直線ではなくわずかに曲線を描いています。これにもきっと理由があるはず・・・。
↑菜園通り側出口に向かって、石垣も斜めに下がっていきます。
↑石垣の斜度が切り替わっています。侵入者をよけるためでしょうか。それとも排水のためでしょうか。上の方に穴がありますが、蛇口跡(排水口跡)でしょうか、それとも矢穴跡でしょうか。専門家の話を聞いてみたいです。
石垣の美しさは、場所にあわせてきっちり丈夫に組んでいく機能美なのですね。まだまだ見落としているポイントがたくさんあります。石垣の世界は深い。