スーパーホテルは無料の朝食があるので、有難くいただきます。無料でも、これだけある有難いなあ。
札幌から夕張方面に行くのですが、途中の栗山町で開拓記念館に立ち寄ります。
北海道夕張郡栗山町角田60-4 Pあり 訪問時には、特別展として鉄道展が行われていました。
開拓記念館と・泉記念館の入館料:一般100円
北海道は開拓時代の資料が沢山残されています。農機具や寒冷地のため、暖房設備(だるまストーブ)などが多く展示されています。当時の過酷な生活を垣間見ることができます。
自分が東京都中野区の小学校低学年の頃は、まだ古い木造校舎で冬はこのようなダルマストーブを使っていた。今では信じられないことだが、生徒のみでのストーブ当番があり、みんなが登校する前にコークスを運び火を点けるということをやっていた。(大人は立ち会わない)
教師は暖かくなった教室に、悠々と後から入ってくるのである。一度、誰がやったか不明なるも(当番制なのでだいたい分かると思うのだが)着火用のマキがストーブからはみ出しており、そのまま落下したらあやうく火災になったかもという事件があった。教師は「犯人捜しはしないが、今後注意するように」とだけ言って、コンクリートの校舎に建て替わるまで生徒だけのストーブ当番は続いた。おおらかというか、そういう時代だった。
鉄道に話を戻すが、かつての夕張鉄道は採炭輸送や旅客の交通手段として大いに活用されたが、1975年にはすべての営業が終了したとのこと。
説明文には「夕張炭鉱発見後、夕張鉄道(株)が採炭輸送や利便を図るため、札幌・室蘭方面とを結ぶ計画を立て、栗山・夕張間に鉄道を敷設、大正15(1926年)、営業が開始された。その後、昭和5(1930年)に栗山・野幌間に区間が延長され、札幌・江別に向かう地域住民の交通手段として大いに利用され、沿線の産業文化の進展に寄与すること多く、栗山は一層賑わいを見るようになった。
その後、交通輸送体系の変遷により、昭和46(1971年)に夕張・栗山間の旅客列車が休止、さらに昭和49年(1974年)には栗山・野幌間の旅客列車も休止。昭和50(1975年)には、残された夕張・野幌間の貨物輸送も廃止、夕張鉄道のすべての営業が50年の歴史と共に膜を閉じた」と書いてあります。
あら授業中でしたか、おじゃましました。昔の小学校の授業風景ですね。
同じ敷地に「泉記念館」があるので行ってみます。
泉記念館とは「現在の建物は、明治3年に栗山町発祥地に建立したものを開基90周年(昭和53年度)にあたり修復したものであります。泉 麟太郎翁は、栗山町の開拓創始者であり北海道の開拓功労者でもあります」と書かれています。
昭和50年まで泉 勝文氏が生活していたが、昭和51年町史跡保存のためにと、家屋の寄贈をされたとのこと。一般公開は、昭和54年からです。
昔の日本家屋といった感じですが、冬は寒いんだろうなぁ
栗山町には「栗山公園」があるというので、そちらも訪問しました。
ここには「21」というSLが保存されています。ん、21ってなんだ?
1941年(昭和16)に、国鉄9600形蒸気機関車を夕張鉄道向けに製造されたものと書いてます。なるほど、ここにも夕張鉄道に関するものが残されていました。また、同型の夕張鉄道25号も長沼町のながぬまコミュニティ公園に展示されているとのことですが、今回は時間がとれず未訪問です。
「エゾシカなう」これから北に向かうと、エゾシカはいやというほど見ることになります。
ほんもの、いまっせ。
なかなか夕張にたどり着けません(笑)途中に、造り酒屋を見つけたので立ち寄ります。急ぐ旅でもないので、観光地っぽいものを見つけたら躊躇なく寄り道をします。北の錦記念館がありました。日本酒の酒蔵で、見学することができ直売所もあります。
小林酒造の記念館で、1Fが直売所2Fは資料室になっています。
2Fの資料室には、小林酒造関係の資料や、昭和の道具などが展示されています。
お、豪華な宴会ですね。これは甑(こしき)といって昔の甑倒しの祝宴風景とのことです。「甑とは、酒米を蒸す大桶のことで、それが倒れることは酒造りが終わるころを意味しています。半年に及ぶ酒造りの労をねぎらうために行うこの祝宴は、今でも大切な酒屋行事の1つで、現在では毎年三月の下旬に行われています」と説明文がありました。
敷地内も自由散策できます。これは「横置多管型蒸気気缶」といい、「酒蔵では、蒸米づくりや酒道具の殺菌のために大量の蒸気が必要になります。この装置は昭和2年に完成し昭和30年代まで活躍した函館船渠(現函館どっく)製のボイラーです」と説明文がありました。潜水艦っぽくも見えますね。
本館とは別に大正、昭和の暮らし館があり、ここも自由見学可能です。
この資料館は「この小さな資料館を造り酒屋の裏方としてつつましく忍耐強く生き抜いた小林チノさま(1887~1962)に捧げます」と書かれています。
小林チノさんが、生前愛用されていたものかもしれません。
おや、小林家特製の大吟醸甘酒が売っています。大吟醸でっせー。しかし、酒粕といってもアルコールが含まれているとさすがに飲めない。
「大吟醸甘酒にはアルコールは含まれていますか?」
「いえ、含まれていません」
とのことでしたので、あたたかい大吟醸甘酒をいただくことにしました。
あち~、熱いので持ち帰り用に紙コップ2重にしてくれました。沸騰させているので、微量のアルコール分も飛んでいるのでしょう。日本酒も大吟醸は一味違うので、この甘酒も深い味わいと濃厚な味です。本場の酒蔵で飲むスペシャル甘酒は、やはりいいですなあ。
せっかくなので、小林酒造の「北の錦」セットを売店で購入しました。このセットは、記念館のみで販売されている、ここだけのものということで購入しました。
小林酒造さんは日ハム押しですね~。栗山監督押しなのかな、栗山町の栗山つながりとか?(知らんけど)
敷地の一番奥には龍神様がいらっしゃるので、挨拶して帰ることにします。
旅の無事を祈願して退散します。(龍神様にこの手のお願いはいいのかな?)
なぜ、小林酒造で蛇にまつわる龍神神社があるかというと「明治30年小林家建築中に当主が中庭を歩いていると、白い蛇がに出くわしました。白蛇のすみかを奪ってしまったことに心を痛めた当主は、龍神様に白蛇もお祭りしました」というお話があります。
なので、白蛇手ぬぐいなども売っています。
栗山町には、まだ見どころがあります。「坂本九思い出記念館」です。
北海道夕張郡栗山町大井分256-21 Pあり 入館無料なるも要寄付(金額任意)
坂本九氏は、「上を向いて歩こう」(米国ではスキヤキソング)で大ヒットを飛ばした歌手として有名でしたが、あの日航羽田発大阪行き123便に乗り合わせて死亡したことは有名な話です。
坂本氏の出身地でもない栗山町に記念館があるというのは、特別な理由があってのことです。
坂本氏は、STV(北海道のTV局)で、「ふれあい広場サンデー」に出演し、各地の福祉施設で様々なハンディに負けず頑張っている仲間を紹介し励まし続ける一方、チャリティコンサートを開くなどをしていました。栗山町大板井と縁ができたのは、知的障碍者施設「栗山ハロー学園」が福祉関係のコンサートなどに出演したことなどから交流が続いたものとのことです。日航123便の事故、2週間前にもサンデー九の仕事で大板井を訪れたそうです。
最後の訪問地栗山町には札幌の精神薄弱者厚生施設「ノビロ青年の家」の実習場があり、坂本氏か取材したそうです。そういう縁があり、ノビロ青年の家の橘氏が独立し、栗山町に栗山ハロー学園を気に記念館開設の機運が高まり、施設は常正寺境内に多くの寄付金を基に3千万円をかけて建設されました。坂本氏のステージ衣装や、多くの私物が展示されています。
栗山町から夕張市に入りました。映画「幸福の黄色いハンカチ想いで広場」を訪れました。山田洋次監督で、高倉健・倍賞美恵子・武田鉄矢さん等豪華出演者の感動映画です。(自分はTV放送で見た)ラストシーンの撮影は夕張で行われ、建物や資料が残されています。
有料施設なので、映画に思い入れの無い人や、外国人などは看板だけ撮って帰る人も多いようです。
夕張市日吉5-1 Pあり 一般550円(JAF割引などあり)夕張石炭博物館に行く予定であれば、ここのチケットで割引が受けられるので捨てないでとっておきましょう。
おわわ、なんじゃこりゃあああ
メッセージを書いて、建物内に残せるようになっています。映画に関係あり・なしに関わらずいろいろなメッセージ(思い)が書かれていました。
映画の一コマです。みんな若いなあ。
この中に一人、北海道が舞台だが違うドラマの主人公がいる(笑)
映画に使われた車のうち、1台(ファミリアAP5ドア)が保存されています。同じ車が2台使われたが、1台はスタッフに払い下げられたとか。
これだこれだ、映画で見たワンシーンです。
遅い昼飯(もう晩飯か)は、セコマのカツ丼(割引あり)
本日最後に訪れたのは「旧南大夕張駅南部列車公園_三菱大夕張鉄道車両保存地」です。
この鉄道は、かつて清水沢⇔大夕張炭山駅を結んでいた路線で、石炭や木材の運搬に使われていましたが、国のエネルギー政策転換とともに需要は激減し廃線となりました。
豪雪の北海道らしく、先頭はラッセル仕様になっています。近代化産業遺産として、平成19年度に経済産業省に登録されています。
中は自由に見学できますが、貴重な車両なので注意しましょう。
三菱大夕張鉄道保存会により、維持管理されています。
当時のバスも保存されています。列車もバスも、比較的良い保存状態です。
夕張には、炭住用の銭湯が残されていて、旅行者でも利用できる。というのは、事前に調べてありました。地元おばちゃんが、福岡ナンバーのくるまを見て…
「へー福岡から来たんかい。夕張はなんにもないやろう」(言い回しは良く覚えていない)
「いえ、石炭記念館とかいろいろあるかなと思って来ました」
「そうかね楽しんで行ってね、祭りもあるよ」と言われた。
また、番台のおばちゃんからは、夕張で明日の夜お祭りがあることや、付近の観光情報を教えていただきました。親切だな。お祭りは明日の夜ということなので、残念ながら見学はできませんでした。
風呂なので写真はありませんが、大人数が一度に入れる大きなステンレス製の湯舟が2つと、カランが壁際に多数並んでいます。湯舟は、思いの外深いです。(中腰で入るくらい)夕方の早い時間だったせいか、客は数人でした。温泉ではありませんが、いい経験をさせていただきました。
今日は盛沢山の一日でしたが、道の駅夕張で仮眠をとることにしますが、屋外トイレが故障して使えないと書いてあります。
トイレに関しては、隣接するJR新夕張駅を利用するようにと書いてあったので、駅を利用させていただきました。そういう事情もあって、仮眠する車は少なかったです。
夕張といえば、夕張メロンが有名ですが、メロン熊も生息しているので要注意です。くま、こえー
つづく