池島には午後12:44発のフェリーで渡る予定なので、午前中は旧海軍針生送信所を訪れることにします。入場は無料ですが募金箱があるので、協力させていただきました。パンフレットをくれるし、いろいろとお話を聞かせてくれます。募金する気のないひとは、ささっと通り過ぎていきますが、やはり多少の寄付をしてコミュニケーションをとったほうが楽しいと思います。
見学時間は昼休みを除くとなっています。
いまでこそ陸続きの土地ですが、かつては大村湾と佐世保湾の海峡の中にある針生島で、そこに建設資材を船で運搬しました。陸揚げされた資材は送信所まで敷設されたトロッコにより運搬されたが、海岸から380mの区間には急斜面の場所があり、ウインチで引き上げられました。その後の平坦地は、トロッコは人力で動かしたそうです。
この長波用電波塔は137mの鉄筋コンクリート柱3本で構成され、三角形を形成しています。アンテナを切り替えることで、アンテナの指向性を変えることができました。真珠湾攻撃の電文「ニイタカヤマノボレ1208」は、ここから送信されたといわれていますが、終戦時に機密文書は焼却処分されているので正式には確認されていません。当時の無線通信は、長距離は長波でなければ通信できないと思われており主に長波が使われていました。そのため、こういう巨大なワイヤーアンテナが必要でした。(アマチュア無線家は、当時使い物にならないと思われていた短波帯に追いやられたが、実は電離層反射をうまく使うと比較的簡単なアンテナと小さなパワーで長距離通信が可能という事を発見した。その功績もあり、今でも多くの短波帯のバンドがアマチュア無線に割り当てられている)
これは現役の海自の建物なので、敷地内に入ることはできません。
旧針生送信所に入ると、特徴のある巨大なコン柱3本を写真に収めるのは困難です。近代的な鉄塔とパラボラアンテナが見えますが、現在は海上自衛隊の通信設備が稼働しています。短波のワイヤーアンテナも見えます。
まず、この建物の1F部分から見学しましょう。
入り口には来客用のヘルメットがあるので、各自好きなものを被ります。
設備は撤去されているので、建物のみ残っている感じです。老朽化しているので、やがては一般公開が難しくなる時期が来るものと思われます。奥に木の看板で「海上保安庁佐世保海上保安部通信針生送信所」と書かれています。かつて海上保安庁の施設があったそうですが、現在はすべて撤収したようです。
古い建物ですが、造りはしっかりしているのでリニューアルしたら使えそうな雰囲気ではあります。
一番奥の部屋に到着しました。
ここは機械室です、アレクサンダーソン型高周波発電機(米国製)が設置されていました。長波帯の高出力電波を作るために、こうした高周波発電機を使っていました。(高出力用真空管が実用化される以前の話である)今の電信のような綺麗なサイン波ではなく、とにかくパワーを出してそれを電鍵でON/OFFするので、いわゆるノイズの塊のような電波だったと思われます。ネットで調べてみたら、この型の発電機は周波数17.4KHz、出力200KWという情報がありました。発電機の回転音は、さぞうるさかったでしょう。
建物の2Fは電信室となっています。建物内には入れないので、外観のみの見学となります。
国重要文化財に指定されており、内部の様子が図に示されています。
これは老朽化が進んでいるので、見るからに危険そうではあります。
無線塔の方に向かって歩いていたら、なにやらワイヤーで作ったログペリアンテナ(広帯域の対周期アンテナ)風のものがあります。回転はできないので固定ビームですね。海自の短波用アンテナと思われます。(と個人的に思っただけ)
お目当ての137m無線塔です。当たり前ですが、根元に立ってみると驚くほど高いです。1号から3号の無線塔がありますが、一般公開されているのは3号無線塔のみです。
これも、国重要文化財に指定されています。1、2号無線塔は大正7年(1918年)10月、3号塔は大正8年(1919年)12月から工事が始められ、1号塔から順に大正11年(1922年)4、5、7月に完成したとのことです。これだけの規模の鉄筋コンクリート柱が現存しているのは驚異的と思います。当時の建築技術力が高かったという事と、軍事施設なので高品質のものを作ったと思われます。
塔の奥の方は危険なので、入り口付近の実見可能です。
中は中空になっており、鉄梯子が上部に続いています。円筒形の筒なので声が良く響きます。一緒に見学した(知らない)子供が「わあー」とか叫んでいましたが、5秒くらい残響が残っている感じです。「わあー、わあー、わあー‥‥」みたいな。
昔は自己責任で登らてもらえた時期があったようで、クレイジーな写真が残されています。命綱も付けず、塔の上でなにしとんねん。あんたはカイジくんか、海自の施設だけに。(正確には旧日本海軍でございます)
3号棟の脇に、休憩用の東屋があるなあと思ったら立ち入り禁止でした。
実は、これも国重要文化財の附(つけたり)・見張所です。「3号棟は3基の無線塔の一番南端にあり、渦潮で有名な針生瀬戸から近い場所にある。無線施設は重要な軍事機密であり、外部の人を近寄せられない場所であることから、送信所の中で瀬戸の渦潮を見学するために外部の人が一番侵入しやすい場所に造られた。建設されたのは送信所が開局した翌年の大正12年(1923年)」とのことです。めっちゃ古い建物ですが、そんなに古そうには見えません。無線塔と同様に、しっかりした材料を使ったのだと思います。(いわゆる金に糸目をつけなければ、100年もつものを作ることができるということでしょう)
当時の一般人は、こういう景色を見たくても見られなかったのでしょう。
長崎県佐世保市針尾中町382 Pあり無料 入場無料なるも寄付推奨
ゲートの近くに無人売店があります。地元の農家の方が、みかんを販売しているようなので1袋買って帰りましょう。
大きい方の300円みかんをいただきました。ちょうど小銭があったので、良かったです。
フェリーの出港時間まで少し余裕があります。ガイドの方から「新西海橋公園に行くと無線塔が良く見えるし、橋の下も歩ける」という情報と共に地図を貰えたので、そこに寄ってから大瀬戸へ向かうことにします。(やはり、ガイドさんとは仲良くしておくに限る)しかし、本日のフェリー運行状況が気になるので、運行会社から情報を得ようと電話をしますが電話に出んがな。とりあえず、新西海橋に向かうがどうなるN村。(天気もいいから大丈夫やろう、多分だけど)
つづく
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