ひさしぶりに、ここ一番の勝負バッグ(なんの勝負だ?)を買おうとデパートに行ったら、浦島太郎の私がいた。
エルメス、グッチは知っている。プラダにシャネルも。もっとも、そうしたラインは手の届かぬ存在であるからして、ブランド抜きで、なにか、と探してみるが、知らぬブランド名が、そこには溢れていた。
ファッション雑誌のエディター(編集者とはいわぬのが通例)と呼ばれた時代、ブランドの傾向と対策は私の血であり、肉であった。たいていのことは把握していた。なのに……。
オーイ、亀よ、助けてくれい。
龍宮城、もとへッ! 河岸へ戻れば、そこもまたここ数年は、なにやらブランド攻勢がチラホラの世界。
ブランドに、なにゆえこだわるのかって。しかたないじゃない。ブランド命と教えられた過去は、そう簡単にはぬぐい去れないの。
お魚界のブランドといえば、関あじ、関さば。釣りという漁法にこだわり、きめ細やかな出荷方法で、大衆魚からみごと高級ブランドとなった佐賀関漁協出荷の魚たちだ。
続けとばかり、昨今、ブランド名を記した魚たちが登場しているのだ。
アジでいえば、五島列島から対馬海域で巻き網で揚がる“旬(とき)あじ”。五島列島の瀬付きアジ“ごんあじ”。島根県浜田漁港からやってくる“どんちっち”なんて、かわいいなぁ。浜田では、お神楽のお囃子を「どんちっち」と呼ぶそうで、そこから付いた名だ。こうしたアジたちは、網でとる親しみやすいお値段だが、高級釣りアジとして、その名を欲しいままにしているものといえば、ズバリ産地名を記した“淡路”に“出水(いずみ)”というとこか。
サンマも、負けてない。すでに夏休み前には初サンマが北海道から河岸へとジェットで到着。北海道は、全国の水揚げ量の4割を占める地だが、ブランド合戦賑やかだ。
サンマは、今や塩焼きよりも刺し身が人気。そこらから、鮮度を強調したネーミングが目につくのも特徴。根室管内・歯舞(はぼまい)漁協は、舞い上がる鮮度のよさをうたって「舞さんま」。釧路漁協は「青刀(せいとう)」と、青光りする抜き身の刃をイメージ。なんか、すごそう。
こうして印象的なネーミングで差別化をはかるわけだが、魚の場合、そのブランドたるゆえんは、品質管理やトレーサビリティ(生産履歴)が大きく関係している。
サンマでみると、紫外線殺菌した浄化海水を凍らせた微粒氷を使っての流通で、より高度な鮮度保持を開発した漁協。漁獲海域や生産者、水揚げ日時などをインターネットで開示するのは常識で、携帯電話の画面にそうした情報を示すシステムまで取り込んだ漁協もある。ほのぼのサンマの影には、なみなみならぬ人知、英知が駆使されているのだ。
ところでお魚界にブランドという風が吹き始めると、ニセモノが登場するのも世の常、ひとの常。先日は、ニセ関あじのことがテレビで放映されていた。
ツラツラ眺めながら、ふっと頭に浮かんだのは、ファッションの女王、シャネルの言葉。
「真似されるのは、品質が優れている証拠」
ニセモノは、ホンモノを決して凌駕できない、という自信をあらわすエピソードである。この言葉は、またブランド信仰へのアンチテーゼとも受け止められまいか。名前によりすがる愚かさを皮肉っているというか。
要はホンモノを見極める目。
その意味で、仲卸は目利きの集団。プライドもあってか、店頭では、ことさらブランド名を強調する売り方は、あまりしていない。
でも、店頭にブランド魚が並べば、お客さまとそれについて盛り上がるのも確か。私なぞ、産地から送られてきたブランドストーリー(チラシ)など、せっせと読み、セールストークに使わせていただいているのだが。
ま、河岸へやってきてまでも、ブランドと聞けば、ほっておくことができない私の性分、なぜか哀しい。
dancyu 2005年10月号
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