聖書にはソロモンの晩年が記されている。
それは読む者に複雑な感情を引き起こす。
彼の人生の結末とは?
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ソロモン王はファラオの娘のほかにも
モアブ人、アンモン人、エドム人、シドン人、ヘト人など
多くの外国の女を愛した。
これらの諸国の民については、主がかつてイスラエルの人々に、
「あなたたちは彼らの中に入って行ってはならない。
彼らをあなたたちの中に入れてはならない。
彼らは必ずあなたたちの心を迷わせ、彼らの神々に向かわせる」
と仰せになったが、ソロモンは彼女たちを愛してそのとりことなった。
彼には妻たち、すなわち七百人の王妃と三百人の側室がいた。
この妻たちが彼の心を迷わせた。
ソロモンが老境に入ったとき、彼女たちは王の心を迷わせ、
他の神々に向かわせた。
こうして彼の心は、父ダビデの心とは異なり、自分の神、主と一つではなかった。
・・・
ソロモンの心は迷い、イスラエルの神、主から離れたので、
主は彼に対してお怒りになった。
主は二度も彼に現れ、他の神々に従ってはならないと戒められたが、
ソロモンは主の戒めを守らなかった。
そこで、主は仰せになった。
「あなたがこのようにふるまい、わたしがあなたに授けた契約と掟を
守らなかったゆえに、わたしはあなたから王国を裂いて取り上げ、
あなたの家臣に渡す。あなたが生きている間は父ダビデのゆえに
そうしないでおくが、あなたの息子の時代にはその手から王国を
裂いて取り上げる。ただし、王国全部を裂いて取り上げることはしない。
わが僕ダビデのゆえに、わたしが選んだ都エルサレムのゆえに、
あなたの息子に一つの部族を与える。」
列王記上8:1-6,9-13
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
老境に入ったとき、彼は外国の女たちによって心惑わされ、
偶像礼拝を行い、主から離れた。
その結果、彼の子供の時代にイスラエルは南北に分裂することになった。
自らの箴言で、誘惑に気をつけるよう、主に従うよう警告していたソロモンだが、
「ミイラ取りがミイラに」なってしまったようだ。
晩節を汚したといえよう。
これが人間の弱さというものなのだろうか。
大きな教訓を後世に残してソロモンは去った。
主に従い通してこの世を終えた彼の父ダビデとは異なる人生であった。
「わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。
世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、
決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。
今や、義の栄冠を受けるばかりです。
正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。
しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、
だれにでも授けてくださいます。」
(テモテへの手紙二4:6-8)
人生最後の時にその人の真価が問われる。
あなたはどのような状態でこの世での人生を終えたいだろうか?
この点、ソロモンは後世の人々の「反面教師」となったのではないだろうか。
それは読む者に複雑な感情を引き起こす。
彼の人生の結末とは?
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ソロモン王はファラオの娘のほかにも
モアブ人、アンモン人、エドム人、シドン人、ヘト人など
多くの外国の女を愛した。
これらの諸国の民については、主がかつてイスラエルの人々に、
「あなたたちは彼らの中に入って行ってはならない。
彼らをあなたたちの中に入れてはならない。
彼らは必ずあなたたちの心を迷わせ、彼らの神々に向かわせる」
と仰せになったが、ソロモンは彼女たちを愛してそのとりことなった。
彼には妻たち、すなわち七百人の王妃と三百人の側室がいた。
この妻たちが彼の心を迷わせた。
ソロモンが老境に入ったとき、彼女たちは王の心を迷わせ、
他の神々に向かわせた。
こうして彼の心は、父ダビデの心とは異なり、自分の神、主と一つではなかった。
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ソロモンの心は迷い、イスラエルの神、主から離れたので、
主は彼に対してお怒りになった。
主は二度も彼に現れ、他の神々に従ってはならないと戒められたが、
ソロモンは主の戒めを守らなかった。
そこで、主は仰せになった。
「あなたがこのようにふるまい、わたしがあなたに授けた契約と掟を
守らなかったゆえに、わたしはあなたから王国を裂いて取り上げ、
あなたの家臣に渡す。あなたが生きている間は父ダビデのゆえに
そうしないでおくが、あなたの息子の時代にはその手から王国を
裂いて取り上げる。ただし、王国全部を裂いて取り上げることはしない。
わが僕ダビデのゆえに、わたしが選んだ都エルサレムのゆえに、
あなたの息子に一つの部族を与える。」
列王記上8:1-6,9-13
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老境に入ったとき、彼は外国の女たちによって心惑わされ、
偶像礼拝を行い、主から離れた。
その結果、彼の子供の時代にイスラエルは南北に分裂することになった。
自らの箴言で、誘惑に気をつけるよう、主に従うよう警告していたソロモンだが、
「ミイラ取りがミイラに」なってしまったようだ。
晩節を汚したといえよう。
これが人間の弱さというものなのだろうか。
大きな教訓を後世に残してソロモンは去った。
主に従い通してこの世を終えた彼の父ダビデとは異なる人生であった。
「わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。
世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、
決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。
今や、義の栄冠を受けるばかりです。
正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。
しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、
だれにでも授けてくださいます。」
(テモテへの手紙二4:6-8)
人生最後の時にその人の真価が問われる。
あなたはどのような状態でこの世での人生を終えたいだろうか?
この点、ソロモンは後世の人々の「反面教師」となったのではないだろうか。